森山佳郎
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| 森山 佳郎 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ゴリ[1] | |
| カタカナ | モリヤマ ヨシロウ | |
| ラテン文字 | MORIYAMA Yoshiro | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1967年11月9日(42歳) | |
| 出身地 | 熊本県熊本市 | |
| 身長 | 175cm | |
| 選手情報 | ||
| ポジション | DF、MF | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 1991-1992 1992-1995 1996-1997 1998 1999 |
マツダ サンフレッチェ広島 横浜フリューゲルス ジュビロ磐田 ベルマーレ平塚 |
2 (0) 95 (4) 53 (1) 0 (0) 18 (0) |
| 代表歴2 | ||
| 1994 | 7 (0) | |
| 監督歴 | ||
| 2000-2002 2002-現在 |
広島ユースコーチ 広島ユース監督 |
|
| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月17日現在。 2. 2007年10月17日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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森山 佳郎(もりやま よしろう、1967年11月9日 - )は、日本の元サッカー選手(DF)、指導者[2]。熊本県熊本市出身。元サッカー日本代表。
現サンフレッチェ広島ユース監督。
目次 |
[編集] 人物
現役時代は豊富な運動量とガッツ溢れるプレーで活躍した右サイドバック。親近感が持たれる性格[1]でチームのムードメーカーな面も持ち合わせた[3]。
熱心な指導をするサッカー指導者としても知られ[4][5]、広島ユースを日本クラブユースサッカー選手権の2連覇など屈指の強豪へ育て上げたとともに、トップチームで活躍する選手を育成するといった指導者としての評価も高い。
[編集] 来歴
サッカーでは無名の熊本二高から、一浪し大学サッカーの名門筑波大学へ進学。そのため井原正巳、中山雅史は同じ歳であるが、彼らは森山の一年先輩である。大学時代のほとんどを4軍に所属し公式戦には出られず、4年次になってようやくトップチームで試合に出られるようになる。
卒業後は大学の先輩・今西和男のスカウトもありマツダサッカークラブ(現:サンフレッチェ広島)に入団[6]。入団1年からJリーグプレ開幕戦として開催されたナビスコ杯に出場するなど順風満帆なスタートを切った。が、右SBは柳本啓成がレギュラーとなり途中出場が続いた。
1993年8月柳本が怪我による負傷欠場、翌1994年CBに怪我人が続出したため柳本がCBにコンバート、それに伴い右SBのレギュラーを獲得した。サントリーシリーズでは、広島のステージ優勝に貢献する[7]などの活躍が認められ日本代表に選出されるまでになった。翌1995年、この年より監督に就任したビム・ヤンセンの評価を得ることができず出場機会も減少。この年限りで広島を退団。
その後横浜フリューゲルス、ジュビロ磐田、ベルマーレ平塚でプレー、平塚時代ではキャプテンも務めた。1999年のシーズンをもって現役引退。
引退後は、海外へコーチ留学を行おうとしていたが、今西に誘われ、サンフレッチェ広島ユースのコーチに就任。2002年8月に当時ユース監督であった中村重和のアビスパ福岡監督就任に伴い、同ユースの監督に昇格した。
[編集] 所属クラブ
- 熊本市立東町小学校
- 熊本市立錦ヶ丘中学校
- 熊本県立第二高等学校
- 筑波大学
- 1991年 - 1995年 マツダ/サンフレッチェ広島
- 1996年 - 1997年 横浜フリューゲルス
- 1998年 ジュビロ磐田
- 1999年 ベルマーレ平塚
[編集] 指導経歴
- 2000年 - 2002年7月 : サンフレッチェ広島ユースコーチ
- 2002年8月 - 現在 : サンフレッチェ広島ユース監督
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | JSL杯/ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1991-92 | マツダ | JSL1部 | 2 | 0 | |||||||
| 1992 | 広島 | - | J | - | 6 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | |
| 1993 | 広島 | - | J | 29 | 2 | 6 | 0 | 4 | 0 | 39 | 2 |
| 1994 | 広島 | - | J | 42 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 46 | 0 |
| 1995 | 広島 | - | J | 24 | 2 | - | 3 | 0 | 27 | 2 | |
| 1996 | 横浜F | - | J | 26 | 1 | 10 | 1 | 1 | 0 | 37 | 2 |
| 1997 | 横浜F | 2 | J | 27 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 33 | 0 |
| 1998 | 磐田 | 17 | J | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
| 1999 | 平塚 | 2 | J1 | 18 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 |
| 通算 | 日本 | J1 | 166 | 5 | 31 | 1 | 11 | 0 | 208 | 6 | |
| 日本 | JSL1部 | 2 | 0 | ||||||||
| 総通算 | 168 | 5 | |||||||||
[編集] 経歴・タイトル
- 選手時代
- Jリーグ初出場:1993年5月29日サントリー第5節対横浜フリューゲルス戦(鹿児島県立鴨池運動公園陸上競技場)
- 後半16分柳本啓成に代わり途中出場
- Jリーグ初得点:1993年6月5日サントリー第7節対浦和レッドダイヤモンズ戦(広島スタジアム)
- 後半26分得点[8]
- 指導者時代
- 日本クラブユースサッカー選手権(U-18):優勝(2003年・2004年)
- 高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18):優勝(2004年)、準優勝(2007年)
- Jユースカップ:優勝(2003年・2006年)、準優勝(2002年・2004年)
その他詳細はサンフレッチェ広島の下部組織#主な戦績参照
[編集] 代表歴
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 7試合 0得点(1994)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1994 | 7 | 0 |
| 通算 | 7 | 0 |
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ い ろ 現役時代から。「『監督』と呼ばれるのが照れくさい」こともあり、現在監督を務めるサンフレッチェ広島ユースの選手にも「ゴリさん」と呼ばせている。
- ^ ユースのために使うため勉強する時間がないこと、トップチームの指導をする気がないとのことからJFA 公認S級コーチライセンス講習を受けるつもりがない、と雑誌インタビューや講演会等で発言している。
- ^ 横内昭展・吉田安孝と共に現役時代の1993年ごろに「サンフレッチェ劇団」を結成、当時の選手の結婚式披露宴で数々の余興を披露していた。横内は一線を退いたが、2007年1月に行われた森崎浩司の結婚式にて盛田剛平が新たに参加した。また、ユースでの教え子である槙野智章・柏木陽介・森脇良太の3人を中心に、選手たちが2007年から「サンフレッチェ劇場」の名で、公式戦終了後にファンサービスを行っている。
- ^ ユースの選手に投げかける言葉が独特なことでもサポーターなどに知られている。「気合と根性」「気持ちには引力がある」は特に有名。
- ^ 2003年、高円宮杯でその年の高校総体準優勝チームである帝京高校と対戦することとなった。そのとき、朝日新聞が企画で双方の監督にインタビューし、その中で古沼貞雄監督がクラブユース勢に対して辛らつな意見を語った。これを見た森山は発奮、同年9月28日対戦前にこのインタビュー記事を選手達に見せ奮起させ、6-0で勝利を収めた。
- ^ 同期は森秀昭、柳本啓成、笛真人、路木健、松山大輔、小倉一浩。
- ^ 1994年サントリーシリーズで優勝が決まった際にチェアマン杯破損事件が起こったが、この時にチェアマン杯を割ったと勘違いされた。
- ^ 決勝点(1-0)。その際、喜びのあまりユニフォームを脱いで喜びを表現したが、これが非紳士的行為ならびに遅延行為とみなされイエローカードを貰ってしまった。この時、脱いだユニフォームを拾って持っていたのが松田浩。「やったね!ラモズくん」ではパロディ化された。
[編集] 関連サイト
最終更新 2009年10月9日 (金) 10:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【森山佳郎】変更履歴

