森繁和
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| 中日ドラゴンズ コーチ #80 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 千葉県長生郡一宮町 |
| 生年月日 | 1954年11月18日(55歳) |
| 身長 体重 |
181cm 81kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1978年 ドラフト1位 |
| 初出場 | 1979年4月9日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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森 繁和(もり しげかず、1954年11月18日 - )は、西武ライオンズに所属した元投手である。1988年限りで現役を引退。引退後は西武、日本ハム、横浜でコーチを務めた後、中日の投手コーチを経て、現在は中日のヘッドコーチである。速球とフォークボールが武器。
目次 |
[編集] 来歴・人物
駒澤大学から1977年ドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名を受けたが拒否、住友金属へ入社。1978年アマチュア野球全日本代表に選出(落合博満も選ばれている)、1979年ドラフト1位で西武ライオンズの第1号選手として入団。入団当初から一軍入りし先発投手として活躍。広岡達朗が監督に就任した1982年は開幕投手になるが、その後4試合結果が出ず。広岡が抑え転向を決断しシーズン途中からリリーフ投手として西武の初優勝に貢献[1]。1983年には5勝5敗34セーブ(34セーブは当時の日本記録)という成績で最優秀救援投手に輝く。しかし、その後は怪我に苦しみ(1986年は現役選手登録されず、秋季は若手とともにアリゾナ・アストロズに野球留学した)、1988年限りで引退した。
引退後は、1989年~1999年西武二軍(1989年~1991年)、一軍(1992年~1999年)投手コーチ、2000年~2001年日本ハムファイターズ一軍投手コーチ、2002年~2003年横浜ベイスターズ一軍投手コーチを歴任、2004年~2009年中日ドラゴンズ一軍バッテリーチーフコーチ[2]を務め、2010年より中日ドラゴンズのヘッドコーチに就任。
[編集] その他
- 投手コーチとしての手腕は高い。投手交代などのタイミングが絶妙である上、口が堅く絶対に投手の調子などを外に漏らさないなど、各首脳陣から絶大な信頼を受けている(それゆえ、マスコミ泣かせでもある)。また選手に対しても指導が厳しく、西武投手コーチ時代に駒澤大学の後輩でもある竹下潤がふがいないピッチングでKOされた際には、当時バッテリーコーチだった大宮龍男(大学時代にバッテリーを組んでいた)とステレオで竹下を怒鳴りつけたこともある。現在でも中日の若手投手に厳しく指導する様子がよく映される。しかしその反面、兄貴分として慕われ、人望が厚い。
- 2004年の日本シリーズでは第3戦での岡本真也や第7戦でのドミンゴの交代機を逸したことが響き、結果的に中日の日本シリーズ敗北の大きな要因になってしまったためファンから非難を浴びた。
- 森は過去の中日と西武(クラウン以前の時代を除く)の4度の日本シリーズ全てに両チームいずれかのユニフォームを着て参加した唯一の人物であり、同時に日本一(1982年と1988年に西武の選手として、2007年に中日のコーチとして)、シリーズ敗退(2004年に中日コーチとして)と両方を経験した唯一の人物でもある(他には宇野勝がこれらの5度の日本シリーズに全て出場しているが、いずれのシリーズも中日側での出場である)。
- 近年は外国人投手の獲得にあたって森が自らドミニカ共和国で開催されるウィンターリーグの視察を行なっており、そこで得た情報などを基にする部分も大きい。現在、在籍しているトニ・ブランコ、マキシモ・ネルソン、ネルソン・パヤノなどの4選手ははすべて森がウインターリーグからスカウトした選手である。2009年は現地の臨時投手コーチを務める他、森立会いの下で中日への入団テストを行なう。
[編集] 年度別成績
- 表中の太字はリーグ最多数字
| 年度 | チーム | 登板 | 完投 | 完封 | 無四 球 |
勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 被安打 | 被本 塁打 |
与四 死球 |
奪三振 | 自責点 | 防御率(順位) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1979年 | 西武 | 43 | 7 | 0 | 0 | 5 | 16 | 7 | 203.1 | 207 | 27 | 87 | 130 | 102 | 4.52(20) |
| 1980年 | 40 | 4 | 1 | 1 | 10 | 14 | 7 | 156.2 | 160 | 31 | 55 | 73 | 82 | 4.70(18) | |
| 1981年 | 31 | 10 | 3 | 2 | 14 | 11 | 0 | 200.1 | 188 | 26 | 55 | 83 | 84 | 3.78(15) | |
| 1982年 | 51 | 1 | 0 | 1 | 10 | 2 | 10 | 101.2 | 81 | 12 | 23 | 46 | 36 | 3.18 | |
| 1983年 | 59 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 34 | 85 | 53 | 6 | 25 | 46 | 14 | 1.48 | |
| 1984年 | 38 | 0 | 0 | 0 | 6 | 7 | 13 | 64 | 66 | 7 | 17 | 36 | 20 | 2.81 | |
| 1985年 | 39 | 0 | 0 | 0 | 6 | 8 | 8 | 73.1 | 85 | 14 | 28 | 22 | 35 | 4.30 | |
| 1987年 | 22 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 28.2 | 24 | 0 | 12 | 10 | 5 | 1.57 | |
| 1988年 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 26 | 25 | 4 | 8 | 9 | 11 | 3.81 | |
| 通算成績 | 344 | 22 | 4 | 4 | 57 | 62 | 82 | 939 | 889 | 127 | 310 | 455 | 389 | 3.73 | |
[編集] タイトル・表彰
- 最多優秀救援投手(1983年)
- オールスターゲーム出場 2回(1981年、1983年)
[編集] 背番号
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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