椋梨藤太

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椋梨 藤太(むくなし とうた、文化3年(1806年) - 慶応元年5月27日1865年7月19日))は、日本の武士長州藩士。長門国の萩に生まれた。諱は景治。

[編集] 来歴

嘉永3年(1951年)に密用方から政務座役に抜擢され、長州藩の重臣になる。 長州藩校、明倫館に深く関わっている。 幕末の長州藩において、長井雅楽・中川宇右衛門とともに保守佐幕派(俗論派)の代表的人物であった。

長州藩の改革派(のち、正義派)の村田清風周布政之助・桂小五郎(木戸孝允)たちの陣営と藩内政権争いを繰り広げた。第一征長後は、周布を自殺に追い込むなど一時的に優位な立場に立ち、政敵である正義派の面々を大量に処刑していったが、この粛正に危機感を募らせた高杉晋作・伊藤俊輔(伊藤博文)などによる功山寺挙兵、絵堂の戦いによって形勢逆転し、椋梨は政務座から排斥された。桂小五郎が禁門の変のあと潜伏していた但馬出石から無事帰って来ると、長州の藩論は、再び、武備恭順・尊王・破約攘夷・倒幕路線に統一され、椋梨は捕らえられ、処刑された。断首となった保守派は椋梨一人だった。討幕派側の取調べの際に、「私一人の罪ですので、私一人を罰するようにお願いします」と懇願したためだとされる。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年5月31日 (日) 07:42 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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