楢崎正剛
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| 楢﨑 正剛 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | ナラ | |
| カタカナ | ナラザキ セイゴウ | |
| ラテン文字 | NARAZAKI Seigo | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1976年4月15日(33歳) | |
| 出身地 | 奈良県香芝市 | |
| 身長 | 187cm | |
| 体重 | 80kg | |
| 血液型 | AB型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 名古屋グランパスエイト | |
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 1 | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴2 | ||
| 1998- | 69(0) | |
| 2. 2009年6月17日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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楢﨑 正剛(ならざき せいごう、1976年4月15日 - )は、日本のサッカー選手。ポジションはGK。名古屋グランパスエイト所属。2男の父。
目次 |
[編集] 来歴
全国高等学校サッカー選手権大会でベスト4に進出。同期のチームメイトに、日本のフットサルを代表する藤井健太がいた。
卒業後奈良育英高校から、1995年に横浜フリューゲルスに入団。 長期出場停止処分を受けた森敦彦に代わって、入団初年から正GKの座を射止めた。
1996年シーズンは開幕から6試合連続無失点のJリーグ記録を樹立。 クラブは開幕8連勝を果たすなど、優勝争いに大きく貢献した(最終順位は3位)。 同年、Jリーグベストイレブンに初選出される。
1998年シーズンでクラブが消滅したため、1999年に名古屋グランパスエイトへと移籍した。 この時は、師と仰ぐGKコーチのマザロッピと揃っての移籍だった。 移籍後間もなく、正GKの座を伊藤裕二から奪取した。
なお、名古屋では、2000年から現在に至るまで8年連続でキャプテンを務めている。これは選手全員の投票によるものである。
日本代表には1996年に初選出され、1998年2月15日のオーストラリア代表戦で国際Aマッチ初出場。2002年日韓W杯では正GKを務め、日本代表史上でW杯での初勝ち点・初勝利(完封勝利)・初の決勝トーナメント進出に大きく貢献した。
監督がジーコに代わっても、選ばれ続けジーコ体制の前半は代表正GKであった。 しかし、怪我で出場できなかったアジアカップから、楢﨑の代わりに活躍した川口能活にその座を徐々に奪われ始める。 結局、2006年ドイツW杯は第2GKであった。
2006年に代表監督に就任したイビチャ・オシムからはしばらく招集を見送られていたが、好調さを評価され2007年6月のキリンカップのメンバーに招集され、モンテネグロ戦で24試合ぶりの先発出場を果たした。 2008年、ワールドカップアジア3次予選途中からは川口の不調で正GKは楢﨑にスイッチ。 抜群の安定感で約5年振りとなる代表レギュラーの座を射止めている。
2008年から、名古屋グランパスエイトの監督がドラガン・ストイコビッチになり、その監督から将軍と呼ばれている。 守備陣への指示はほとんどなく、絶大な信頼を勝ち取っている(グランパスTVより)。
2009年7月25日の対浦和レッドダイヤモンズ戦(埼玉スタジアム2002)にて、史上初の「Jリーグ公式戦100完封」を達成。
[編集] 評価・プレースタイル
187cm、80kgでハイボールに強く、安定した守備で派手さはないが常に冷静沈着で堂々とした風貌で最終ラインに指示を出す。またPKの際には相手のキックを読む力などトータルバランスに優れており大きな欠点も無い。
とてつもない根性の持ち主で、シドニーオリンピック準々決勝のアメリカ戦で中澤佑二と衝突。流血しながら最後までプレーを続けた(後の検査で、頭蓋骨骨折と判明)がPK戦で敗れる。決勝トーナメント進出に貢献。
同世代のGK川口能活(ジュビロ磐田)とは対照的なプレースタイルで、積極的に飛び出す勇猛果敢な川口を「動」、冷静沈着な楢﨑を「静」のGKと、マスコミはかつて頻繁に表現していた。今では動静兼ね備えているとの高評価を受ける。
[編集] 所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 1995年 - 1998年 横浜フリューゲルス
- 1999年 - 現在 名古屋グランパスエイト
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 1995 | 横浜F | - | J | 23 | 0 | - | 2 | 0 | 25 | 0 | |
| 1996 | 23 | 0 | 14 | 0 | 2 | 0 | 39 | 0 | |||
| 1997 | 1 | 24 | 0 | 7 | 0 | 5 | 0 | 36 | 0 | ||
| 1998 | 34 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 39 | 0 | |||
| 1999 | 名古屋 | J1 | 25 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | 34 | 0 | |
| 2000 | 30 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 34 | 0 | |||
| 2001 | 28 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | |||
| 2002 | 30 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 33 | 0 | |||
| 2003 | 28 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 36 | 0 | |||
| 2004 | 26 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 28 | 0 | |||
| 2005 | 32 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 33 | 0 | |||
| 2006 | 24 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 28 | 0 | |||
| 2007 | 28 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 34 | 0 | |||
| 2008 | 30 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 33 | 0 | |||
| 2009 | |||||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 385 | 0 | 47 | 0 | 35 | 0 | 467 | 0 | |
| 総通算 | 385 | 0 | 47 | 0 | 35 | 0 | 467 | 0 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2009 | 名古屋 | 1 | 6 | 0 |
| 通算 | AFC | 6 | 0 | |
[編集] 代表歴
[編集] 出場大会など
- 1996年 AFCアジアカップ(出場なし)
- 1998年 FIFAワールドカップ・フランス大会(出場なし)
- 1999年 コパ・アメリカ
- 2000年 シドニーオリンピック(オーバーエイジ枠で全試合出場)
- 2002年 FIFAワールドカップ・日韓大会(全試合出場)
- 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ (全試合出場)
- 2003年 東アジアサッカー選手権(全試合出場)
- 2004年 AFCアジアカップ(出場なし)
- 2006年 FIFAワールドカップ・ドイツ大会(出場なし)
- 2007年 AFCアジアカップ(出場なし)
[編集] 試合数
- 国際Aマッチ 69試合 0得点(1998 -)
| 日本代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1998 | 2 | 0 |
| 1999 | 3 | 0 |
| 2000 | 9 | 0 |
| 2001 | 1 | 0 |
| 2002 | 10 | 0 |
| 2003 | 12 | 0 |
| 2004 | 9 | 0 |
| 2005 | 4 | 0 |
| 2006 | 0 | 0 |
| 2007 | 1 | 0 |
| 2008 | 12 | 0 |
| 2009 | 6 | 0 |
| 通算 | 69 | 0 |
[編集] 主な受賞歴
- 1996年 Jリーグ ベストイレブン
- 1997年 Jリーグ優秀選手賞
- 1998年 天皇杯優勝(横浜フリューゲルス)
- 1998年 Jリーグ ベストイレブン、Jリーグ優秀選手賞
- 1999年 天皇杯優勝(名古屋グランパスエイト)、Jリーグ優秀選手賞
- 2000年 Jリーグ優秀選手賞
- 2002年 Jリーグ優秀選手賞
- 2003年 Jリーグ ベストイレブン、Jリーグ優秀選手賞
- 2004年 Jリーグ優秀選手賞
- 2008年 - Jリーグベストイレブン、Jリーグ優秀選手賞
[編集] CM出演
[編集] エピソード
- フリューゲルスへの思い入れが強い。ライバルの川口が当時マリノスにいた事もあり、フリューゲルス合併後に統合チーム(F・マリノス)へ所属するという見方はほとんど無かった。2008年の「サッカーマガジン」でのインタビューでは、名古屋から移籍すると「前所属・横浜フリューゲルス」が消えるのが嫌だという発言をしている。
- 2004年、名古屋に川島永嗣が移籍した。川島は当時J2の大宮アルディージャで正GKを務め、前年のFIFAワールドユース選手権では日本をベスト8まで導く活躍をしていたが、楢﨑は安定した成績を収め、レギュラーの座を譲らなかった。名古屋では楢﨑の負傷時、あるいは代表招集時の代役にとどまった川島は2007年に川崎フロンターレへ移籍したが、同年からは日本代表で再び楢﨑と同じチームに所属している。
- 顎がしゃくれているせいか、森岡隆三に、「ピーター・フォンダに似てる」と言われた事がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月21日 (土) 21:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【楢崎正剛】変更履歴

