横山典弘

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横山典弘
メジロライアンに騎乗
(1991年4月28日)
基本情報
国籍 日本
生年月日 1968年2月23日(41歳)
身長 163.0cm
体重 49.0kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 フリー
初免許年 1986年
免許区分 平地
  

横山典弘(よこやま のりひろ、1968年2月23日 - )は日本中央競馬会(JRA)の騎手である。茨城県出身。血液型O型。美浦トレーニングセンター所属で現在はフリー。

目次

[編集] 来歴

父は元JRA騎手の横山富雄、兄も元JRA騎手の横山賀一(ただしJRAの騎手免許は典弘の方が先に取得している)。さらに叔父に元JRA調教師奥平真治が、遠い親戚にJRA騎手の菊沢隆徳がおり、身内に競馬関係者が多数存在する中で育つ。

1986年3月1日中山競馬第2競走でデビュー(リキアイシンプウに騎乗し12頭立ての3着)。初勝利は同年4月29日東京競馬第12競走のキオイゴッド。デビュー年は8勝と奮わなかったが、翌年は31勝(障害競走1勝も含む)を挙げる。3年目の1988年にはウインターステークスでソダカザンに騎乗し重賞初制覇。

1990年にはキョウエイタップエリザベス女王杯を制し初めてのGIタイトルを獲得。1991年にはメジロライアンとのコンビで宝塚記念を制する。その後も着実に勝ち星を積み重ね、1995年には自身初の年間130勝を達成。初めての関東リーディングジョッキーとなる。この年のマイルチャンピオンシップではトロットサンダーに騎乗し3つ目のGIタイトルを獲得。

1996年は同年に引退した小島太に代わりサクラローレル主戦騎手となる。また、トロットサンダーで安田記念を制したほか、砂の女王と呼ばれたホクトベガにも騎乗。川崎記念(2勝)、フェブラリーステークス(当時はGII)、帝王賞などの地方交流ダート重賞を制した。

1997年ドバイワールドカップでホクトベガに騎乗したが、落馬して競走中止。同馬は予後不良となってしまう。しかし同年の秋、タイキシャトルとのコンビでスワンステークスとマイルチャンピオンシップを制した。これは主戦騎手の岡部幸雄が、シンコウキングとのコンビでマイルチャンピオンシップに出走するために代打騎乗したものであった。

1998年にはセイウンスカイとのコンビで皐月賞菊花賞を逃げ切ったほか、秋に騎乗停止処分を受けた武豊の代わりにエアグルーヴに騎乗した。

以後はブラックホークとのコンビでスプリンターズステークスと安田記念に勝利し、シンボリインディNHKマイルカップを、メジロベイリー朝日杯3歳ステークス2000年)を制した。2004年には天皇賞(春)においてイングランディーレに騎乗し、10番人気の低評価ながら大逃げを打ち、2着に7馬身差をつけ優勝。

2005年11月5日には東京競馬の第2競走で通算1600勝を達成すると、第7競走まで6連勝し、JRAの連続施行競走連続勝利の新記録を達成した。なお、この日の騎乗馬は全て3着以内で馬券に絡んでいる。

2007年10月26日に発表されたJRA競馬学校騎手課程27期生の合格者(入学内定者)の中に長男が合格していたことが明らかになった。11月17日には東京スポーツ杯2歳ステークスフサイチアソートに騎乗して制し、この勝利と同時に4年連続、自身8度目となるJRA年間100勝を達成した。

2008年は、6月15日の第25回エプソムカップサンライズマックス)で、この年の重賞6勝目を記録。これがJRA重賞競走通算100勝目となるメモリアル勝利ともなった。

2009年2月7日小倉大賞典をサンライズマックスで制覇。これにより全場重賞制覇に王手を掛けている。(後は新潟重賞のみ)

同年の3月1日中山記念カンパニーで連覇を飾ると翌週の3月7日にはアーバニティオーシャンステークスを制覇。さらにその翌日ロジユニヴァース弥生賞を制覇。その翌週の中山牝馬ステークスではトップハンデを背負った桜花賞馬キストゥヘヴンに騎乗、このレースで引退、繁殖入りが決まっていた同馬を見事勝利に導き有終の美を飾らせる。横山典弘は自身初の4連続の重賞勝利となった。

同年5月31日日本ダービーロジユニヴァースで優勝、デビュー24年目、15回目のダービー挑戦にして悲願のダービー制覇を達成し、ついにダービージョッキーの称号を手にした。なお、美浦所属の騎手によるダービー優勝は1997年大西直宏以来12年ぶりのことである。また、2006年12月の大西の引退以来、美浦所属のダービージョッキーが不在という、美浦所属騎手の暗黒時代とでも言うべき事態が続いていたが、横山がそれにひとまずのピリオドを打つ事ともなった。2009年現在、中央競馬における現役のダービージョッキーは藤田伸二武豊角田晃一安藤勝己石橋守四位洋文、横山典弘の7人である。

同年7月18日札幌競馬場12Rの3歳以上500万下でスギノブレイドに騎乗し、勝利。史上5人目となる2000勝を達成した。

[編集] 成績表

勝利数・連対率 備考
1986年 8勝 (.138)
1987年 31勝 (.209)
1988年 26勝 (.216) 重賞初制覇
1989年 49勝 (.263)
1990年 73勝 (.248) GI初制覇
1991年 54勝 (.234)
1992年 64勝 (.222)
1993年 64勝 (.224)
1994年 75勝 (.242)
1995年 130勝 (.321) 関東リーディング
ワールドスーパージョッキーズシリーズ優勝
1996年 126勝 (.316)
1997年 94勝 (.282)
1998年 104勝 (.266) クラシック初制覇
1999年 92勝 (.251)
2000年 101勝 (.262) 1000勝達成
2001年 97勝 (.292)
2002年 93勝 (.273)
2003年 90勝 (.253)
2004年 116勝 (.282)
2005年 134勝 (.308) 関東リーディング(2回目)
2006年 113勝(.303) 関東リーディング(3回目)
2007年 106勝(.274)
2008年 95勝 (.242) 重賞100勝達成

[編集] 受賞歴

[編集] GI競走勝利一覧及び当該競走における騎乗馬(年度別)

(カッコ内は騎乗馬名。また斜字は交流GI太字は海外GIを指す)

JRA17勝 交流4勝

[編集] GIに関する記録

  • G1初勝利を挙げた1990年のエリザベス女王杯で、喜びの余りゴール前にガッツポーズを見せてしまい、後に戒告処分を受ける。
  • イングランディーレでの天皇賞(春)やセイウンスカイでの菊花賞など、京都競馬場の長距離GIで優れた実績を残している。
  • GIで2着になる事が多い。GI2着は通算47回(JRAでは38回)。NHKマイルカップとエリザベス女王杯では2着を5回も経験している。
  • 菊花賞では2003年から2006年にかけて4年連続2着という非常に珍しい記録を残している。

[編集] エピソード

  • 「ノリが吹いたら切れ」という格言が競馬ファンの間にあり、レース前にマスコミ陣に対して多弁になるとそのレースでは負ける事が多い。武豊TV!では、天皇賞(春)のディープインパクトに対して「何だその馬は」やNHKマイルカップでもロジックに僅差で負けた際に「またお前かよ」などの過去の発言をネタにされたことがある。2009年の皐月賞で1番人気ロジユニヴァースで14着に敗戦した後「僕が吹いたから負けたんですかね」という発言に見られるように本人も自覚しているものと思われる。
  • 2006年の天皇賞(春)のレース後には、勝ち馬ディープインパクトがあまりにも強すぎたのか「(騎乗馬リンカーンの)生まれた時代が悪かった」との言葉を残す。
  • GIを制した際、ランフランコ・デットーリの様に馬上からジャンプして降りるパフォーマンスを見せている。
  • 田中勝春とパチンコをしていた時に、背が小さく童顔だったことから中学生に間違えられて、既に25歳の子持ちだったにもかかわらず締め出されたことがある。
  • 同期の松永幹夫とともに、競馬サークル内にスープカレーを広めたのも横山である。
  • 岡部幸雄の騎手引退に伴うセレモニーで同騎手を神輿に乗せてパドックを周回することを発案した。
  • 岡部の引退後、好物であった酒を断っていたが、『サラブレ』2008年9月号掲載の四位洋文との対談において、酒はまた飲み始めたとコメントしている。
  • 2007年4月東京競馬場で行われたジョッキーマスターズで、後藤浩輝騎手、細江純子元騎手と共に誘導馬の鞍上を務める。
  • 騎手では柴田善臣、武豊、田中勝春、四位洋文と親しい。又、競馬学校からの友人で同期の松永幹夫調教師に初勝利(2007年3月25日中京7Rでアグネススピリッツに騎乗)をプレゼントした。
  • 岩田康誠が尊敬している人物として真っ先に名前を挙げるのが、横山典弘である。

[編集] テレビ出演

ホクトベガの特集の回にVTR出演した。

[編集] 外部リンク

先代:
四位洋文
(2007年、2008年)
日本ダービー優勝騎手
2009年
次代:
-
先代:
田原成貴
有馬記念優勝騎手
1996年
次代:
藤田伸二

最終更新 2009年11月22日 (日) 07:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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