横川橋 (広島市)

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横川橋
欄干
橋全体
所在地
長さ 61.5m
13.0m
形式 2径間連続鈑桁橋
素材 上部工:鋼橋、下部工:RC構造
建設 1???年 木橋
1923年 鋼アーチ橋
1983年 鋼鈑桁橋
橋の分類
形式 -
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横川橋(よこがわばし)は、広島県広島市天満川にかかる道路橋

目次

[編集] 概要

天満川最上流に架かる橋。江戸時代からこの川に架かる橋で、現在のは1983年に架けなおさたもの。1986年建設省・手づくり郷土賞受賞。 河川水位との関係から、このあたりの橋梁にしては南北詰交差点歩道が急勾配になっているため、冬場は注意が必要である。

井伏鱒二黒い雨」の登場人物・閑間重松が被爆後、北へ非難するときに渡った橋である。

[編集] 諸元

  • 路線名 : 広島市道中3区2号線
  • 橋長 : 61.5m
  • 幅員 : 13.0m
  • 上部工 : 2径間連続鈑桁橋
  • 下部工 : RC逆T式橋台2基、RC張出式橋脚1基
  • 基礎工 :

[編集] 歴史

最初の架橋年は不明。藩政時代において、広島城下唯一の出雲石見街道筋に架けられた木橋であった。このあたりは寺町への門前町として、上流からの木材の陸揚げ場として、本川(旧太田川)と天満川・福島川(現在廃川)の分流地点のため水運拠点として栄え、商家が立ち並んだ。ちなみに防衛上、橋の架橋は制限されており、江戸末期時点で城下にはその他に、己斐橋福島橋(現存せず)・天満橋本川橋元安橋京橋猿猴橋神田橋のみだった。

大正時代に入り木橋から永久橋化され、1923年(大正12年)3月1日、鋼アーチ橋(単径間下路式2ヒンジランガー橋)に架け替えられた。その後市内に路面電車が整備され、1935年(昭和10年)広島電鉄横川線電車専用橋「横川橋電車鉄橋」(現・新横川橋)が、下流側に架けられた。

1945年(昭和20年)8月6日原爆被災(爆心地より約1.29km)。小破したが落橋はせず、北側の可部方面への避難経路に使われた。荒野となった市内に無事だったこのアーチ橋はひときわ目立つ存在で、現在残っている当時の記録写真にしばしば登場する。 被爆と同年9月枕崎台風と同年10月の阿久根台風による水害により、天満川の橋が最上流部のこの橋を残してすべて落橋してしまい、一時は西から市内中心部へと通ずる唯一の橋となった。

1958年(昭和33年)に新横川橋が復旧。戦後、太田川放水路(1967年完成)整備を行い福島川上流は埋め立てられ、それに伴いこの橋の下流側にあった福島川との分流地点はなくなった。

その後、老朽化に伴い架け替えが決定。市民に愛される橋をテーマにデザインが練られ、1983年に架け直された。旧橋親柱を残し、新しい親柱と欄干は昭和初期までこのあたりを往来した帆掛け舟と川の波をイメージして作られ、親柱には橋と地域の歴史を表現したブロンズレリーフが埋め込まれている。架橋までの経緯および特徴的なコンクリート欄干から、1986年に建設省・手づくり郷土賞を受賞した。

[編集] 周辺

下流西側に国道54号旧道と広島電鉄横川線の併用橋である新横川橋がある。 上流東側に本川の分流地点、その遠方の本川対岸に基町高層アパートが見える。

南詰の寺町には、本願寺広島別院をはじめとする数々の寺院が立ち並ぶ。 最寄の駅は広電別院前駅

北詰上流側たもとに横川胡子神社がある。 最寄の駅は広電横川一丁目駅、そのまま北へ進むとJR横川駅へたどり着く。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月11日 (土) 04:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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