横浜F・マリノス

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横浜F・マリノス
原語表記 横浜F・マリノス
愛称 マリノス
クラブカラー ブルー、レッド、ホワイト
創設年 1972年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン J1
ホームタウン 神奈川県横浜市横須賀市
ホームスタジアム
日産スタジアム
収容人数 72,370
運営法人 横浜マリノス株式会社
代表者 齋藤正治
監督 木村浩吉
公式サイト 公式サイト
  サッカークラブPJ

横浜F・マリノス(よこはま エフ・マリノス、Yokohama F. Marinos)は、日本神奈川県横浜市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。旧名称は横浜マリノス横浜フリューゲルスが消滅した際に吸収合併という形をとった為、その頭文字のFを名称に取り入れ横浜F・マリノスに改称した。

目次

[編集] クラブの概要

  • クラブの法人事務所、練習場などの施設は、横浜市西区みなとみらいにあるマリノスタウン2007年1月グランドオープン)に集約されている。
    • 法人事務所は神奈川区新子安から移転した。
    • 練習場は、戸塚区戸塚トレーニングセンターからの移転である。同地は、元々は横浜フリューゲルスの練習場で、フリューゲルスとの合併以前は鶴見区の獅子ヶ谷グラウンドを用いていた。横浜国際競技場完成後は、日産フィールド小机(小机陸上競技場。横浜国際の補助トラック)でも練習を行っていた。
    • 本施設の建設に際し、建設費および借地料、さらに成績の低迷に伴う観客動員減などが重なった事で、強化費などの他の部分に影響が及んでいるとされる。実際、2007年、監督として早野宏史を招聘したのには、「安く雇えるから」という理由もある。戦力補強に関しても、世代交代という目標と併せ、即戦力となる選手の獲得ではなく、高卒・大卒・ユース出身選手の獲得、若手育成などを進めていく方針に転換している。また、サポーター向けのサービスにも変更が出ている。
  • チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語で船乗りを意味する。「F」はフリューゲルス (Flügels) の頭文字(詳細は後述)。
  • チームカラーは「青・白・赤」のトリコロール(三色)。これは元々日産自動車コーポレートカラーであったものである。各色の意味合いは、青「冷静さと港町・横浜の海」、赤「スポーツに触れ合う場をつくり、皆が誇れるクラブを目指す」、白「皆に支えられ、息の長い活動を続ける、自立したクラブを目指す」である。
  • クラブの社長は齋藤正治(さいとう まさはる)。東京大学法学部卒。日産自動車で商品開発を担当していたが、2007年4月よりチーム顧問を務め、同年6月に社長に就任した。6月9日の就任会見では、挑戦者としてのリスタート・更なる地域密着・風通しの良いクラブの3本柱、2010年にはホームゲームの年間総入場者数100万人を目標とする、などの方針を発表した。Jリーグ理事(2008年7月 - )。
  • 井原正巳小村徳男松田直樹中澤佑二など伝統的に優秀なディフェンダーが多く、日本代表の守備陣を多く輩出している。また、松永成立川口能活の日本代表GKもマリノスから輩出している。過去数年リーグ戦での失点数の少なさにおいても上位に入っている。残留争いに巻き込まれた2001年、2008年シーズンにおいても、失点数はリーグ3番目に少ない。
  • 2008年6月、下部組織の選手育成・強化を目的にフランスのオリンピック・リヨンと業務提携を結んだことを発表した。

[編集] エピソード・アラカルト

  • 新規スタジアムのこけら落とし試合をアウェイチームとして迎えることが多い。1993年のJリーグ開幕戦(対ヴェルディ川崎・国立霞ヶ丘競技場)、2001年の埼玉スタジアム2002オープニングゲーム(対浦和レッズ)、同年の札幌ドームのサッカー競技場としてのオープニングゲーム(対コンサドーレ札幌)、これまた同年の神戸ウイングスタジアムのオープニングゲーム(対ヴィッセル神戸)、2005年のフクダ電子アリーナオープニングゲーム(対ジェフ千葉)などを戦っている。しかも、これらの試合では一度も負けたことがなく、「こけら落とし無敗神話」とも言われる。また、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)においては、1998年のダイナスティカップの日本-韓国戦が柿落としであったが、Jリーグの初開催となったこの年の開幕戦・横浜マリノス-横浜フリューゲルスの「横浜ダービー」では、延長戦の末佐藤一樹(のちに吸収合併によりF・マリノスに入団)のVゴールで敗れている。命名権により「日産スタジアム」となった初戦の横浜F・マリノス-ジュビロ磐田でも、ロスタイムに福西崇史のヘディングでのゴールを喫し、敗れている。尚、このゴールは福西がジャンプをした時に伸ばしていた手に当たって決まったゴールではないのかとの疑惑が挙がった。[1]また福西本人も手に当たった感触が有った。ラッキーなゴールだね(後日談)と語っている。(その試合で主審を務めていた岡田正義の記事も参照)
  • 1992年天皇杯を制覇し、前身の日産自動車時代と合わせて連覇を達成しているが、その後は同大会での成績は振るわず、アップセットを演じられることもしばしばある。
  • 神奈川県内の4チームで唯一J2を経験していない(1999年以後)。しかし2001年、2008年シーズンなど、残留争いに巻き込まれたことは間々ある。

[編集] クラブの歴史

[編集] 前身

1972年神奈川県横浜市で「日産自動車FC」を設立した。読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)を参考にユース(高校生)などの下部育成組織を早くから整備。JSL1部は、79-80年に昇格。

日本初のプロ監督・加茂周のもとチームは上位を必ずキープし、1988-89年度のJSLJSL杯天皇杯の当時の日本サッカー主要大会三冠を達成した。

金田喜稔水沼貴史木村和司井原正巳など数々の日本代表を輩出してきた。名門である読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)との対決は「黄金カード」として、Jリーグでも人気カードとして愛されていた。しかし、2006年はヴェルディがJ2に降格、天皇杯でもヴェルディが早期敗退したため、伝統の一戦が27年ぶりに行われなかった。

[編集] 1991年-1998年(横浜マリノス時代)

1991年に、Jリーグ加盟。1993年5月15日Jリーグの開幕試合(対・ヴェルディ川崎戦)を2-1で制した。当初はヴェルディとの2強と見られながら、実際にはヴェルディ川崎の2連覇を許し、さらにステージ優勝も1993年の鹿島アントラーズや1994年のサンフレッチェ広島にさらわれた。

しかし、1995年にはシーズン途中で就任した早野宏史監督の指揮でJリーグチャンピオンシップでヴェルディを下し、リーグ初優勝を果たした。これは、アルゼンチン人のホルヘ・ソラリ監督が進めるチーム改革に対するベテラン選手の反発が2年目のGK川口能活の抜擢を巡って表面化し、先発から外された日本代表GK松永成立鳥栖フューチャーズジャパンフットボールリーグ (JFL) 所属)への移籍、さらにその直後のソラリ監督の退団という激動を収拾した結果であった。ただし、その後はアントラーズやジュビロ磐田の台頭を防げず、覇権はマリノスの手を離れた。

1999年のシーズンから、同じ横浜市をホームタウンとしていた横浜フリューゲルスを吸収合併し、現在の名称となった。これは、従来は日産自動車が100%出資していた運営会社「株式会社日産フットボールクラブ」に、フリューゲルスの親会社だった全日本空輸が資本参加し、「横浜マリノス株式会社」として70:30の資本比率にする形であった。「F・マリノス」の「F」は、横浜フリューゲルス (FLÜGELS) の頭文字から取ったものである。なお、フリューゲルスはマリノスのチーム史では傍系(別チーム)として扱われるので、フリューゲルスの優勝回数や個人賞などの記録はマリノスに通算されない。

[編集] 1999年-2002年(横浜F・マリノス初期)

2000年に5年ぶりとなる1stステージでの優勝を果たしたが、2ndステージ優勝の鹿島アントラーズとのチャンピオンシップに敗れ、年間チャンピオンにはならなかった。この年中村俊輔が史上最年少でMVPを受賞した。

2001年シーズンは、主軸の三浦淳宏柳想鉄の移籍もあって、1stステージでは16チーム中15位という不本意な成績に陥り、ナビスコカップで初優勝を飾る一方で、まさかの残留争いに巻き込まれ、最終節に漸く残留を決めた。しかし、この戦績に日産のゴーン社長が激怒。翌年、ステージ優勝または年間3位以内でなければチームを解散させる、と発言したという報道も一部あり、サッカー好きが行き過ぎた冗談とも取れたが、チームは存続の危機に立った。

しかし、その翌2002年東京ヴェルディ1969から中澤佑二ジュビロ磐田からは奥大介(レンタル)、清水範久コンサドーレ札幌からはウィルなど各チームの主力選手を補強し、2002年シーズンの1stステージは2位と好発進した。この年はジュビロ磐田がJリーグ史上初の両ステージ制覇を達成したため、チャンピオンシップに出場せずに年間総合順位が2位となり、ステージ優勝こそならなかったもののゴーン社長の気まぐれ解散の可能性は消滅した。

[編集] 2003年-2006年(岡田政権時代)

2003年、監督に岡田武史を招聘し、この年J2へと降格したサンフレッチェ広島から久保竜彦を補強。1stステージを制し、2ndステージも劇的な逆転優勝(2003年J1・2ndステージ最終節)を飾り、前年度の磐田に続く両ステージ制覇で年間王者に輝いた。

2004年、韓国のエースFW安貞桓などを補強し、昨年度の2ステージに続きこの年の1stステージでも優勝し、3ステージ連続優勝を達成。2ndステージの優勝は浦和レッドダイヤモンズに譲ったが、浦和の圧倒的優位との予想の中、サントリーチャンピオンシップ第1戦横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)での対戦は河合竜二がコーナーキックから先制ゴールを決め、1-0で勝利。第2戦埼玉スタジアムでの対戦は、三都主にFKを直接決められ0-1。延長戦では決着が着かず、PK戦で勝利し連覇を達成。

しかし、2005年は、期待されたACLでのグループステージ敗退、主力選手の怪我などがリーグでの成績にも影響したのか、年間9位と不振であった。2006年も、元名古屋グランパスエイトのFWだったマルケスを補強し、開幕4連勝で首位に立つ。しかし不敗チーム同士の直接対決となった第5節の浦和戦で敗戦して以降、15試合で2勝と低迷し、シーズン途中の8月に成績不振で岡田監督が辞任、後任に水沼貴史コーチが監督に昇格した。それでも残留争いを回避するのが精一杯で、上位進出とはならず、前年と同じ9位で終了。

[編集] 2007年 - 現在 -育成型クラブとしての激闘-

2007年みなとみらいへの移転(『マリノスタウン』)など、クラブとして節目を迎えることになったが、奥大介久保竜彦ドゥトラを初めとしたベテラン選手の退団・移籍、ユース・高校・大学からの若手選手の大量加入など、チームも世代交代を図ることとなった。

コーチへ降格した水沼貴史に代わり、監督には早野宏史がサポーターの抗議(柏レイソルをJ2へ降格させたとしてサポーターは拒絶反応を示し、700通に及ぶ抗議メール、更には年間チケットの不買運動が起きた)も強い中、11年振りに就任した(奇しくも早野は水沼が現役引退した年に、(シーズン途中からの指揮ではあるが)マリノスを優勝に導いている)。

横浜FCに負け、J2降格をも危惧する声がある中、攻撃陣が大活躍を見せ、FWの大島秀夫坂田大輔、トップ下の山瀬功治が2ケタ得点をマーク。大島は日本人最多得点で、坂田はフェアプレイ個人賞受賞、山瀬は日本代表の常連になるまでに知名度を上げた。最終的に前年度を上回る7位でリーグ戦を終了した。しかし、目標とした3位以内には届かなかったため、翌シーズンへの契約更新はなされず、天皇杯終了後にコーチの水沼貴史・高橋真一郎・武藤覚らとともに辞任(事実上の解任)。

2008年シーズンからはジュビロ磐田をリーグ優勝に導いた桑原隆が監督に就任した。松田直樹をボランチにあげる奇策が嵌って開幕2連勝で発進。山瀬功治の活躍も光って、4月までは最高で3位だった。

ところが、第10節にお得意様であるはずの東京ヴェルディに負けてから、戦術を見破られ始めたせいか得点が取れなくなった。5月以降は勝ち星を挙げられず4連敗を喫する。特に、第16節のアルビレックス新潟戦では、26本のシュートを放ちながら1点も取れず、反対にシュートを4本しか打てなかった新潟に敗戦するという記録的な決定力不足を露呈し、この敗戦でチームも16位まで転落。この試合後、桑原は解任された。

後任には生え抜きOBでもある木村浩吉が統制本部長から昇格。桑原が頑なに使い続けた新外国人を諦め、調子重視・若手重視の方針の下で臨んだものの、就任後にも2連敗し、クラブ史上最悪のリーグ戦6連敗を含む10試合勝ちなし(クラブタイ記録の公式戦6連敗も記録)となった。しかし、木村が促したチーム内競争によって中澤佑二らの守備陣が奮闘、狩野健太ら若手の台頭を生み、8月以降はチームが好転。第22節に降格圏を脱出し、その後も順位を少しずつ上げ、第33節に残留を確定、最終的に年間9位でシーズンを終えた。一方、前年度日本人得点王だった大島秀夫の退団、木村の3年契約での監督続投が発表されている。天皇杯も好調で、優勝できれば14年ぶりの天皇杯戴冠だったが、準決勝でガンバ大阪に破れシーズンを終了した。

2009年シーズンは、昨年残留争いに巻き込まれたこと、石油高・リーマンショックに拠る不況の影響からか、オフシーズン開始直後から他チームからの選手の獲得オファーが殺到した。特に大型補強を目論むヴィッセル神戸は中澤、山瀬功、坂田の代表クラスの獲得を打診しストーブリーグを沸かせた(3名とも残留)。2007-2008年オフのジェフ千葉に比べると主力の引止めはうまく行ったが、田中隼磨名古屋グランパス乾貴士セレッソ大阪に去り、世界的に名高い中村俊輔の凱旋獲得は親会社である日産自動車からの獲得資金調達が本業の業績悪化により困難に陥り、失敗に終わっている。リーグ2位の人件費を誇りながら、2004年のリーグ制覇を最後にタイトルには恵まれていない。

2009年3月7日に行なわれたサンフレッチェ広島との開幕戦にて、新入団の渡邉千真が前半3分に得点、2009年シーズン初の得点及びチームでは城彰二以来の新入団選手の得点で先制したがその後に守備が崩壊し、2-4でJ2より昇格したばかりのチームに惨敗した。第3節の柏レイソル戦でも2点リードを追いつかれるなど先行逃げ切りができない試合が目立つ。

若手を抜擢する木村らしくルーキーにして得点源になった渡邉以外にも天野貴史飯倉大樹田代真一などの抜擢・台頭、長谷川アーリアジャスールの成長、坂田大輔山瀬功治の復調、ナビスコ杯での準決勝進出など一定の成果は見せているが、GK榎本哲也の不調、4バック化の機能不全などもあって、F・マリノスの生命線である「堅い守備陣」が機能せず、7月終了時点で14位。「広島の呪い」に苦しめられている渦中にある。

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st)
FP(2nd)
GK(1st)
GK(2nd)
GK(3rd)
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 3nd

[編集] 配色について

  • ユニフォームのデザインは基本的に上:青、下:白、靴下:赤のトリコロールである。これは日産FC時代から続いた伝統である。
  • 副は長らく上:白、下:青、靴下:白でメインとの色違いであるデザインを採用していたが、2003 - 2006年はこの配色をスパルタングレーのユニフォームを使った。2007年以降は白のユニフォーム、青のパンツに白ソックスという伝統的な配色へ戻っている。
  • 2001年は黒の第3ユニフォームが誕生した。これは海外クラブに倣いチームカラーと関係無い色調のユニフォームを取り入れたものである。尚、2003年は第3ユニフォームの採用を取り止めた。
  • 2002年は上衣が青と紺のツートンのユニフォームを採用した(上:青/紺、下:白、靴下:赤) これはYC&AC(横浜カントリー・アスレチッククラブ)で使われた紺と白の概念を取り入れたものである。
  • 2003年は上下靴下全て紺のユニフォームで戦った。尚、副は上:白/シルバー、下:黒(チェンジショーツはシルバー)、靴下:シルバーであった。トリコロールの封印は「名門復活なるまでは」という左伴繁雄社長(当時)の大号令に基づくものであった。この年はJリーグ始まって以来のクラブ史上最高位となる完全優勝を納めた。名門復活を果たし、翌2004年には再び伝統のトリコロールのユニフォームに戻した。
  • 2009年6月の期間限定で、特別ユニフォームを着用する。これは、横浜港開港150周年記念として、青と白の2色横じま模様(NISSANのロゴ、背番号と選手名ローマ字は赤文字、全日空ロゴは企業カラーの青地に白文字)であしらったものである。
  • その他2009年より背番号に選手名を記入。その中で中澤佑二は「BOMBER」、清水範久は「JIRO」と表記されるなど、姓名に捉われないニックネーム表記のものも登場(由来についてはそれぞれの項で参照)。

[編集] ユニフォームスポンサー

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
日産自動車 NISSAN 1993年〜
背中 全日本空輸 ANA 1999年〜
メガネスーパー メガネスーパー 2008年〜
パンツ なし

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

  • 1992年 - 1996年 リーグ戦はミズノ、カップ戦はアディダスデサント
  • 1997年 - 2007年 リーグ戦・カップ戦ともにアディダスに統一 (厳密には1998年まではデサント社、1999年以降はアディダス・ジャパン社)
  • 2008年 - ナイキと8年総額30億円というJリーグ史上最高のユニフォームサプライ契約を結ぶ。
    • しかし一部のサポーターからは、「ユニフォームサプライヤーを変えるのはやめろ。」、「俺たちの誇りを汚すな」や「伝統を消すな」など批判が出て、クラブへの抗議や苦情が送信されるなどのトラブルも発生した。

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992年 - - - - Mizuno/adidas
1993年 NISSAN BP Kodak - Mizuno/adidas
1994年 NISSAN BP Kodak - Mizuno/adidas
1995年 NISSAN BP Kodak - Mizuno/adidas
1996年 NISSAN xanavi Kodak - Mizuno/adidas
1997年 NISSAN xanavi Kodak - adidas
1998年 NISSAN xanavi Kodak - adidas
1999年 NISSAN - ANA - adidas
2000年 NISSAN - ANA - adidas
2001年 NISSAN - ANA - adidas
2002年 NISSAN - ANA - adidas
2003年 NISSAN GE ANA -/NATURALLY PLUS adidas
2004年 NISSAN GE ANA - adidas
2005年 NISSAN - ANA - adidas
2006年 NISSAN MLJ ANA - adidas
2007年 NISSAN MLJ ANA - adidas
2008年 NISSAN メガネスーパー ANA - Nike
2009年 NISSAN メガネスーパー ANA - Nike

[編集] 下部組織・サッカースクール

[編集] 下部組織

横浜F・マリノスの下部組織は高校生世代が在籍するユース、中学生世代が在籍するジュニアユース、ジュニアユース追浜、小学生世代が在籍するプライマリー、プライマリー追浜で構成されている。

主な大会の戦績としてプライマリーが2006年全日本少年サッカー大会で前人未到の大会3連覇を達成。同年の大会においてはプライマリー追浜も3位入賞を果たしている。また、ジュニアユース追浜も全国制覇を成し遂げており、ユースもJFAプリンスリーグU-18関東で2005年 - 2006年に2連覇を成し遂げている。

ユース出身者は、横浜F・マリノスの選手一覧#下部組織出身者を参照。

[編集] サッカースクール

日産自動車時代の昭和60年に発足したサッカースクールは現在、会員数は3,500名にものぼり、日本でも最大級のサッカー教室である。対象は幼児から中学2年生までで、みなとみらい、追浜、NAS二俣川、大和、港北ニュータウンの5箇所でスクールが実施されている。

[編集] 地域貢献活動

[編集] サッカー教室

ホームタウンである横浜市、横須賀市を中心とした地域の学校やスポーツセンターで横浜F・マリノス専属コーチによるサッカー教室を行っている。サッカー教室は大きく分けて小学生以下の子供を対象とした「ふれあいサッカー教室」、「サッカーキャラバン」と成人を対象とした「ENJOY FOOTBALL」に分かれる。

[編集] 障害者サッカー

横浜F・マリノスでは障害者サッカープロジェクト「futuro」が行われている。「futuro」では横浜ラポールで行なわれている「体験・育成」プログラムと連携しながら横浜F・マリノスのコーチを中心に基本的な技術や個人・チーム戦術のトレーニングを行い、大会に参加していて、よりコミュ二ケーションを深めている。

[編集] 商店街でのフラッグ等の掲出

横浜市、横須賀市、大和市の商店街にチームフラッグやポスターの掲出をしている。

[編集] 地域イベントへの参加

横浜市、横須賀市の商店街や大学、メインスポンサーである日産の工場関連のイベントにブースを出展している。また、公式チアリーディングチームであるトリコロールランサーズによる演技が披露されることもある。 マスコットキャラクター「マリノスケ」は大半のイベントに登場してくる。

[編集] 横浜市内にある大学との業務提携

2007年11月現在、関東学院大学横浜国立大学と業務提携を結んでいる。

[編集] 補足

[編集] スポンサー契約について

[編集] 表記略称について

  • Jリーグ公式サイトでは「横浜FM」、totoでは「横浜M」である。新聞・雑誌等でも、これらに倣い「横浜FM」もしくは「横浜M」とすることが多い。「横浜F」と略した場合、基本的には横浜フリューゲルスのことを指す場合が多く、しかも横浜FCと区別が付かないため、前者は区別が付く2文字目(「横浜FM」「横浜FC」)までを表記している。後者は、前者の表記において重複する「F」の省略か、(マリノスの場合においては)以前の表記(後述)をそのまま使っているものである。
  • 一部の媒体、例えば日刊スポーツスポーツニッポンサッカーダイジェストなどでは、単に「横浜」と表記する。これは、横浜FCがJ2リーグに昇格するまでの2年間(1999 - 2000年)、横浜市をホームタウンとするJリーグのクラブがマリノスのみであったため、マリノスを「横浜」と表記していたことの名残である。
  • なお、2006年まで横浜FCとは別カテゴリ(マリノスはJ1、横浜FCはJ2)に所属していたので、J1のみについて扱うなど、特に紛らわしくない場合は単に「横浜」とすることも多かった(これは横浜FCについても同様である)。
  • 2007年度は横浜FCがJ1に所属したため、一部媒体が使用する略称が変更された。例えば、スポーツニッポンは、横浜FCと同時に名前が出る記事においては「横浜M」と表記していた。
  • Jリーグ発足当時は「横浜M」「横浜マ」と表記するマスコミが多かった。ただし、読売新聞フジテレビプロ野球ニュース」では、横浜フリューゲルスの本拠地が横浜市(ホームタウン)と九州地方(特別活動地域。長崎県熊本県鹿児島県)にまたがる特殊な扱いであったこと、またプロ野球ニュースでは全日空が番組スポンサーだったこともあり、やはり略称を「横浜」のみで出したことがあった(同時期読売系のスポーツ報知日本テレビは「日産横浜(マリノス)」と表記)。

[編集] マスコットキャラクター

チームキャラクターは「マリノス君」と「マリノスケ」。ともにカモメをモチーフとしたキャラクターである。マリノスケは『月刊コロコロコミック』誌上で誕生し、マリノス君の甥という設定になっている。マリノスケはホームゲーム以外に地域のイベントにも参加して横浜F・マリノスのPRのために活動している。


2008年、謎のマスコットキャラクター「ワルノス」が突然出現した。「ワルノスクイーン」と呼ばれる女性たちと行動を共にしており、同年の開幕戦の「トリコロールランド」でダンスを披露する、敵チームの偵察と称して無断で日立柏サッカー場に訪問する、「クラシコ」を前に東京Vのクラブハウスを「襲撃」するなどの活動を行っている。チーム側はあくまで「非公認」としており、素性などは一切不明である。HIP-HOPダンスを得意とし、独自のスタンスでチームを鼓舞、応援している。2008レジェンド・オブ・F・マリノスのトレーディングカードにも登場し、非売品のグッズのプレゼントや広報活動を行っている。目標はJリーグ・ナンバーワンキャラクター。ダンスの技術はプロ級。

[編集] その他

  • Jリーグ発足時、同じ横浜市をホームタウンとしていたマリノスとフリューゲルスが同じ日にホームゲームを組むことがあった。しかし、Jリーグではスタジアムの芝生保護や観客入れ替えなどの観点上、1日2試合の開催を認めていなかったので、マリノスが三ツ沢(球)、フリューゲルスは九州地方(特別活動地域の長崎県熊本県鹿児島県の3県)または国立などで試合を行うことがあった。なお1995年以後はホームゲームの開催日が調整され、同じ日にマリノスとフリューゲルスの主催試合を重複開催することは皆無となった。
  • オフィシャルテーマソングはゆずが歌う「We are F・Marinos」。
  • マリノスクイーンと呼ばれる広報や試合運営補助を仕事とする女性がおり、その独特な容姿から一部ファンの熱い支持を集めている。なお、マリノスクイーンは神奈川県在住・通勤・通学者から選ばれている。

[編集] 歴代監督と成績

年度 所属 試合 勝点 勝利 敗戦 引分 ステージ
順位
年間順位
(チーム数)
ナビスコ杯 天皇杯 監督
1992年 - - - - - - - - 予選リーグ敗退 優勝 日本の旗 清水秀彦
1993年 J・サントリー 18 - 11 7 - 3位 4位(10) 予選リーグ敗退 ベスト8
J・ニコス 18 - 10 8 - 3位
1994年 J・サントリー 22 - 8 14 - 9位 6位(12) ベスト4 ベスト4
J・ニコス 22 - 14 8 - 3位
1995年 J・サントリー 26 52 17 9 - 1位 優勝(14) - 2回戦敗退 アルゼンチンの旗 ホルヘ・ソラリ
J・ニコス 26 46 15 11 - 3位 日本の旗 早野宏史
1996年 J 30 42 14 16 - - 8位(16) 予選リーグ敗退 3回戦敗退
1997年 J・1st 16 28 11 5 - 5位 3位(17) ベスト4 4回戦敗退 スペインの旗 ハビエル・アスカルゴルタ
J・2nd 16 32 12 4 - 3位
1998年 J・1st 17 32 11 6 - 4位 4位(18) 予選リーグ敗退 3回戦敗退
J・2nd 17 32 11 6 - 4位
1999年 J1・1st 15 23 8 6 1 7位 5位(16) ベスト8 ベスト8 スペインの旗 アントニオ・デラクルス
J1・2nd 15 30 10 3 2 3位
2000年 J1・1st 15 30 10 5 0 1位 2位(16) ベスト8 ベスト8 アルゼンチンの旗 オズワルド・アルディレス
J1・2nd 15 24 8 6 1 5位
2001年 J1・1st 15 11 3 10 2 15位 13位(16) 優勝 3回戦敗退 アルゼンチンの旗 オズワルド・アルディレス
日本の旗 下條佳明
J1・2nd 15 19 6 6 3 10位 ブラジルの旗 セバスティアン・ラザロニ
2002年 J1・1st 15 33 11 1 3 2位 2位(16) 予選リーグ敗退 4回戦敗退
J1・2nd 15 22 8 6 1 6位 日本の旗 下條佳明
2003年 J1・1st 15 32 10 3 2 1位 優勝(16) ベスト8 ベスト8 日本の旗 岡田武史
J1・2nd 15 26 7 3 5 1位
2004年 J1・1st 15 36 11 1 3 1位 優勝(16) ベスト8 5回戦敗退
J1・2nd 15 23 6 4 5 6位
2005年 J1 34 48 12 10 12 - 9位(18) ベスト4 5回戦敗退
2006年 J1 34 45 13 15 6 - 9位(18) ベスト4 ベスト8 日本の旗 岡田武史
日本の旗 水沼貴史
2007年 J1 34 50 14 12 8 - 7位(18) ベスト4 5回戦敗退 日本の旗 早野宏史
2008年 J1 34 48 13 12 9 - 9位(18) ベスト8 ベスト4 日本の旗 桑原隆
日本の旗 木村浩吉
2009年 J1 34 - - - - - - - - 日本の旗 木村浩吉

[編集] Jリーグ対戦通算成績(2009年第22節終了時点)

[編集] J1対戦通算成績

対戦チーム 勝ち 引分 負け 得点 失点
モンテディオ山形 0 0 1 1  2
鹿島アントラーズ 16 4 19 55 60
浦和レッズ 19 4 14 59 37
大宮アルディージャ 1 4 5 6 11
ジェフユナイテッド市原・千葉(←ジェフ市原) 25 4 10 71 56
柏レイソル 13 3 13 37 42
FC東京 6 6 8 20 27
川崎フロンターレ 4 2 5 15 15
アルビレックス新潟 5 2 5 19 10
清水エスパルス 15 7 17 49 50
ジュビロ磐田 16 1 19 50 57
名古屋グランパス 17 7 15 61 49
京都サンガF.C. 13 2 5 39 18
ガンバ大阪 22 4 13 71 60
ヴィッセル神戸 11 6 6 37 23
サンフレッチェ広島 23 2 10 68 46
大分トリニータ 8 2 3 20 10
コンサドーレ札幌 7 1 0 17 6
ベガルタ仙台 2 1 1 7 2
東京ヴェルディ 19 4 11 68 48
横浜FC 1 0 1 8 2
湘南ベルマーレ 11 0 5 34 20
ヴァンフォーレ甲府 2 1 1 5 2
セレッソ大阪 14 3 7 49 35
アビスパ福岡 11 1 2 29 11
横浜フリューゲルス 10 0 8 26 19
合計 292 71 204 921 718

「全体傾向」

  • 26チーム中17チームに得失点差で勝っている。1試合平均失点が1点以下のチームが10チームある。
  • 本拠地が近いチームに対して分が悪い。天皇杯で苦戦を強いられた市立船橋高校ザスパ草津も関東のチームである。
  • 反対に西日本のチームに強く、磐田以外のチームにはどこにも負け越していない。

「相性」

「珍記録」

  • ジュビロ磐田との対戦では、ジュビロの参入から15年間、一度も引き分けがないという珍記録があった。
  • 鹿島アントラーズとの対戦でも1993~2008年の16年間で「スコアレスドロー」が一度もなかったという珍記録がある。

[編集] タイトル

[編集] 国内タイトル

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[編集] 個人別タイトル

なお日産自動車時代のタイトルについてはその項参照

[編集] サポーター・応援スタンスについて

[編集] トリパラ

応援の必須アイテムの一つとして、トリコロールの傘、通称「トリパラ」がある。 元々は2003年に某サポーター集団のメンバーが発案し、実際にトリコロールカラーのビーチパラソルを試合に持ち込んだところから始まる。その後にパラソルサイズでサポーター有志で特注して始まる。

当初はサポーター有志により作られていたもので、その作業には多くの時間を要したという。現在では、サポーターがグッズショップ「トリコポイント」[2]と連携して生産・販売を行ったり、チームもオフィシャルグッズの一つとして販売するなど、その認知度は高くなっている。

そして、試合に勝つと傘をコーヒールンバをベースにした応援に合わせて回す(コーヒールンバを基調にした応援はボカ・ジュニアーズヴァンフォーレ甲府でも行われる)。現在では発案とは別の応援グループがトレードマークに利用する程、横浜の顔として定着している。

[編集] NPO 法人ハマトラ・横浜フットボールネットワーク

横浜F・マリノスサポーター有志によって設立されたNPO法人。

平成21年4月30日神奈川県による特定非営利活動法人の認証を取得。

サッカークラブのサポーターの活動を超えて、市民や各団体などとネットワークを形成すると同時に、地域活動に関わる行政や企業とも連携しながら、「スポーツカルチャーへの貢献」および「地域社会の活性化と地域愛の醸成」を横浜市を中心とした地域に浸透させることが設立目的。

主な活動内容は

  • フリーペーパー(「hamatra」、「We are F・Marinos」)の配布
  • ウェブ・コミュニティ「ハマトラ SNS」の企画・開発・運用活動
  • 横浜市を中心とした地域で開催されるイベントへの参加
  • サポーターによる地域清掃活動
  • 横浜市を中心とした地域での横浜F・マリノスやその他サッカー大会のポスター掲示や配布
  • ハマトラ・オリジナルアパレルブランドの企画・販売

活動内容の告知は「ハマトラ SNS」によって告知される。

[編集] hamatra

サポーター有志により、hamatra(ハマトラ。Yokohama Traditionalが由来)というフリーペーパーがホームゲーム時に配布されている。サポートソングの歌詞カードをフリーペーパーとして発展させたものであり、歌詞とともにサポーター有志によるコラムなどが掲載されている。また、その名は同名を冠したマリノス・サポーター用のSNS、「ハマトラSNS」[3]を指すこともある。

なお、hamatraをマッチデープログラムと見る者もいるが(例: サッカーJ+ Vol.1でのホームスタジアム・日産スタジアムの紹介において、「マッチデープログラムはサポーター有志が配布」と記載)、マッチデープログラムはhamatraとは別に販売されており、その捉え方は間違いである。

[編集] トリコロールマーメイズ

2007年、公式チアリーディングチームとして「トリコロール・ランサーズ」が結成された。詳細はランサーズの項を参照のこと。その後、2008年6月28日から「トリコロールマーメイズ」と名称を変更しリニューアルした。

[編集] トラブル

サポーター数が多い浦和レッズFC東京等と同様、騒ぎを起こすこともある。

  • 2006年Jリーグ第5節(3月25日)、日産スタジアムで行われた浦和レッズ戦の試合前、本来横浜F・マリノスのサポーターにのみ許された横断幕の掲出場所を、運営の都合としてサポーターの了承も無く勝手に浦和レッズに提供し、サポーター同士でにらみ合いが生じた。
  • 2007年Jリーグ第8節(4月28日)、アウェイで行われたアルビレックス新潟戦の試合終了後、スタジアム付近の交差点にて、サポーターによる発煙筒および爆竹の使用があった。
  • 同第19節(8月11日)の横浜FC戦(日産スタジアム)の前日(8月10日)深夜、サポーターグループの「JUST GEDO」(ジャスト・ゲドウ)のリーダーら数人が、同スタジアム南ゲート前で横浜FCサポーターの男性三人に暴行を加え怪我を負わせたとして、翌2008年1月に同グループのリーダーが逮捕された。
  • 2007年第31節のジェフ千葉との対戦時、F・マリノスサポーターが狼藉を働いた。
    • ただその一方で試合後、急病で倒れた当時のイビチャ・オシム日本代表監督の回復を祈願してジェフとサポーターとともに「オシムコール」を行ったことがある。[4][5]
  • 2008年8月、横浜FCのサポーターにF・マリノスの広告を無断で破棄され、警察に届けるトラブルも起こった。これは刑法261条・器物破損罪に該当する。今は和解。詳細は[6]

[編集] チーム名変遷

  • 1972年 - :日産自動車サッカー部
  • 1991年 - :横浜マリノス
  • 1999年 - :横浜F・マリノス

[編集] 関連項目

オフィシャル・パートナー

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月10日 (木) 01:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【横浜F・マリノス】変更履歴

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