橋本大二郎
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はしもと だいじろう
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橋本大二郎とダニエル・R・ラッセル(駐大阪・神戸アメリカ総領事)
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| 生年月日 | 1947年1月12日(62歳) |
| 出生地 | 東京都 |
| 出身校 | 慶應義塾大学 |
| 所属政党 | 無所属 |
| 公式サイト | 橋本大二郎 公式サイト |
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| 任期 | 1991年12月7日 - 2007年12月6日 |
橋本 大二郎(はしもと だいじろう、1947年(昭和22年)1月12日 - )は日本の政治家(前高知県知事)、元NHK職員(記者、キャスター)。
厚生大臣、文部大臣などを歴任した橋本龍伍の二男。第82代・第83代内閣総理大臣橋本龍太郎の異母弟。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
大蔵官僚・橋本龍伍の次男として東京に生まれる。慶應義塾大学を卒業後、NHKに入局し、福岡放送局の記者を皮切りに主に社会部畑を歩く。特に『NHKニュースTODAY』の社会部門キャスターとしての活躍が目覚しく、昭和天皇の闘病と崩御、今上天皇の即位を始めとした皇室報道では、怜悧な口調と的確な報道で知られた。
[編集] 高知県知事
1991年、NHKを退職、高知県知事選挙に立候補、同知事選挙史上最多の31万6968票獲得して初当選した(44歳。当時最年少知事でもあった)。
1995年には当時の流行語になるほど問題になった官官接待を全国の地方自治体に先駆けて廃止した。
2001年1月8日、高知市が開催した成人式での挨拶の際、騒ぐ新成人を「静かにしろ!」「出て行け!」と一喝した(その際に『お前が出て行け!』と言い返されている。野次を飛ばした新成人たちは後日、森田益子県議に連れられて知事を訪れ、騒いだことを謝罪している)。なお翌年以降の成人式は全て欠席している。
また長年開催地が総合優勝を果たしてきた国体の在り方に疑問を呈し、無理な強化や資金調達を控えた。その結果、2002年のよさこい高知国体では1977年以来24年続いた開催地の男女アベック優勝と1963年からの天皇杯優勝をストップさせるなど、国体のスリム化にも一役買っている。
2004年9月に高知県議会百条委員会が「1991年の知事選において元後援会事務局長が1億円を借り、県工事受注業者からの資金で借金を返済したと判断できる」との報告書をまとめた。この問題に関して10月8日、知事辞職勧告決議が提出され可決(賛成22、反対15)。この結果を受けて知事を辞任した。11月28日、出直し選挙が行われ、橋本が再選された。出直し選挙の背景には次男による強制わいせつ事件への批判もあげられる。
高知県議会は数少ない日本共産党(県政与党)以外のオール野党だといわれるが、民主党の菅直人衆議院議員や自民党の元衆議院議員の野中広務などが知事選挙の応援に駆けつけていた。橋本は、左右という旧来の視点による分類からはやや違う位置に立とうとしていて、従来型の利益誘導政治を否定するその政治姿勢から県議会の自民党とはしばしば対立関係に陥って来た。橋本自身はどちらかと言えば「保守系無所属」の政治家であり左よりの政治家ではない。選挙でも、自民党支持の保守系票から民主党・共産党支持者の票まで広範囲に得票していたと見られている。
2007年8月1日、同年11月執行の高知県知事選挙に出馬せず、4期(5選)で退任する意向を固め、記者会見にて発表した。同年12月6日、任期満了に伴い高知県知事を退任。
[編集] 知事退任後
知事退任時に次回(第45回)衆議院議員総選挙に無所属で出馬する意向を表明した[1]。その後、出馬選挙区として高知県第1区を表明。当初は与野党の別を問わず既存政党から距離を置く姿勢を表明していたが、2008年5月に鳩山由紀夫・民主党幹事長と会談し同党と選挙協力関係を構築することで一致。総選挙告示前の新党結成に含みを持たせた[2]。
結果的には衆議院議員総選挙には無所属で出馬し、落選した。
[編集] 年譜
- 1947年1月 - 東京都に生まれる
- 1959年3月 - 学習院初等科卒業(同級生に鳩山由紀夫、水野誠一)
- 1965年3月 - 麻布学園卒業
- 1970年3月 - 慶應義塾大学経済学部卒業
- 1972年3月 - 慶應義塾大学法学部卒業 4月 - 日本放送協会(NHK)に入局(同期に小宮山洋子)。
- 1991年8月 - NHKを退職 12月 - 高知県知事選で初当選。44歳。自民党推薦川崎昭典(元副知事)、日本共産党推薦森清一郎(医師)を破る
- 1995年12月 - 高知県知事選で再選
- 1999年11月 - 高知県知事選で3選
- 2003年11月 - 高知県知事選で4選 松尾徹人(前高知市長)を破る
- 2004年10月 - 県議会の辞職勧告決議可決で知事を辞任 11月 - 出直し高知県知事選で5選 松尾徹人を破る
- 2007年12月 - 任期満了に伴い高知県知事を退任 4期5選16年の職務であった
- 2009年8月 - 第45回衆議院議員総選挙に高知1区より出馬するも落選。
[編集] 家族・親族
- 実家
- 自家
- 妻、息子(2人)[3]
[編集] 系譜
- 祖父・橋本卯太郎は岡山県吉備郡秦村(現在の総社市)の農家に生まれ、新聞配達をしながら苦学して東京高等工業学校(現在の東京工業大学)を卒業。同郷の馬越恭平日本ビール社長に見込まれ入社、酵母を扱う技師から常務に出世した[4]。おじには、東京高等工業学校長、科学技術庁金属材料研究所初代所長などを務めた冶金学の橋本宇一、戦艦大和に搭載した電波探知機開発に参加した海軍大佐の橋本宙二、正義派検事で鳴らした橋本乾三、元東北大教授の橋本虎六などがいる。いとこには今上天皇の学友として知られる橋本明(ジャーナリスト)、外交官の橋本宏などがいる。[5]
┏橋本宇一 ┃ ┣橋本宙二 ┃ ┣橋本乾三━┳橋本實 ┃ ┃ ┃ ┣橋本明 ┃ ┃ 橋本源三郎━橋本卯太郎━┫ ┗橋本宏 ┃ ┣橋本坤四郎 ┃ ┃ ┣橋本龍伍━┳橋本龍太郎━┳橋本龍 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗橋本大二郎 ┗橋本岳 ┃ ┗橋本虎六━━橋本敬太郎
若宮貞夫━━━━正
┃
橋本卯太郎 ┣━━━橋本大二郎
┃ ┃
┣━━━橋本龍伍
┃ ┃
┏真都 ┃
┃ ┃
┣石光真清 ┃
石光真民━┫ ┣━━━橋本龍太郎
┣石光真臣 ┃ ┃
┃ ┃ ┃
┗石光真澄 ┃ ┃
┃ ┃
大野緑一郎━━━春 ┃
┃
橋本龍伍 ┃
┃ ┃
┏正 ┃
若宮貞夫━━┫ ┣━━━橋本岳
┗章 ┃
┃ ┃
┏中村基一 ┃
中村雄次郎━┫ ┃
┗中村貫之 ┃
┃(義妹・章と再婚) ┃
┃ ┃
阪谷芳郎 ┣━━━妙子 ┃
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃
┣━━━八重子 ┣━━━━久美子
┃ ┃
┃ ┃
渋沢栄一━━━琴子 ┃
┃
加納久宜━┳━加納久朗━━中村久次
┃
┗━夏子━━麻生太賀吉 ┏麻生太郎
┃ ┃
┣━━━┫
┃ ┃
吉田茂━━和子 ┃
┗信子
┃ ┏彬子女王
┣━━━┫
┃ ┗瑶子女王
┏三笠宮崇仁親王━━━寬仁親王
明治天皇━━大正天皇━┫
┗昭和天皇━━━━━━今上天皇
[編集] 出演
- 『大二郎'Sワールド』(高知放送、ラジオ番組、2000年)
[編集] 著書
- 『政治家無用論』
- 『知事-地方から日本が変わる』
[編集] 脚注
- ^ 日刊スポーツ
- ^ 鳩山幹事長と橋本前高知県知事、選挙協力へ (日テレNEWS24)
- ^ 2人の息子は大二郎の実子ではなく、妻が死別した夫(元NHKの職員)との間にもうけた子である(橋本大二郎公式サイト/自分史:自分のこと)
- ^ 橋本卯太郎について、『明治大正人物史』には「明治二年三月生る。岡山県人橋本源三郎の長男なり。同三十一年養兄富平方より分れて一家を創立す。幼より沈着誠実、悠々として迫らざる態度は大人の風ありて、その大成を嘱望せらる。長じて東京高等工業学校に学び、二十七年同校機械科を卒業するや、直ちに大日本麦酒株式会社に入る。温厚円満の人格と、機宜に当る手腕とは君をして工務部長に累進、更に常務取締役に挙げしめ、現にその任にありて活躍しつつあり。書画骨董に趣味を有し、閑日月を活動の間に求むるところ奥床しとも云ふ可し。」とある。橋本明著『戦後50年・年譜の裏面史 昭和抱擁 -天皇あっての平安-』 112頁には「現橋本龍太郎首相の祖父卯太郎は農民だった。岡山県吉備郡秦村(現・総社市)が高梁川の氾濫で水没すると上京、新聞配達をしながら苦学して高等工業学校を卒業。馬越恭平日本ビール社長に見込まれ入社した。当時専務をしていた石光真澄が卯太郎の人柄を見抜いて「妹・真都を嫁に…」と望み、二人は馬越の媒酌で結婚する。酵母を扱う技師から常務に出世した卯太郎は8人の子宝に恵まれた。男六人には「宇宙乾坤龍虎」に数字をつけて命名した。」とある
- ^ 橋本明著『戦後50年・年譜の裏面史 昭和抱擁 -天皇あっての平安-』 112頁-114頁
[編集] 外部リンク
- 橋本大二郎 公式サイト
- 橋本大二郎です - 本人によるブログ(高知県知事時代のタイトルは「だいちゃんぜよ」)
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最終更新 2009年9月16日 (水) 15:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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