橋本岳
橋本岳の最新ニュースをまとめて検索!
| 生年月日 | 1974年2月5日(35歳) |
|---|---|
| 出生地 | |
| 出身校 | 慶應義塾大学大学院 |
| 学位・資格 | 修士 |
| 前職 | 元(株)三菱総合研究所研究員 静岡大学客員教授 |
| 所属委員会 |
衆・総務委員会 衆・経済産業委員会 衆・テロ・イラク特別委員会 衆・沖縄北方特別委員会 |
| 世襲 | 三世 祖父・橋本龍伍 父・橋本龍太郎 |
| 選出選挙区 | 比例中国ブロック(岡山4区) |
| 当選回数 | 1回 |
| 所属党派 | 自由民主党(津島派) |
| 党役職 | 道州制調査会幹事 u-Japan特命調査会幹事 厚生関係団体委員会副委員長 NPO・NGO関係団体委員会副委員長 青年局次長 国会対策委員 岡山県支部連合会顧問 岡山県第4選挙区支部長 |
| 会館部屋番号 | 衆・第二議員会館409号室 |
| ウェブサイト | 橋本 岳 (はしもと がく)ホームページ |
橋本 岳(はしもと がく、昭和49年(1974年)2月5日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員。自由民主党、平成研究会、83会所属。特技は剣道。段位は剣道三段。
目次 |
[編集] 経歴
岡山県総社市出身、同県倉敷市在住(本籍は東京都)[1]。 。岡山中学校・高等学校、慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修士課程を修了し、三菱総合研究所入社。途中、静岡大学情報学部情報学研究推進室客員助教授を経て、2005年の第44回衆議院議員総選挙にて比例中国ブロック選出、当選1回。
衆議院議員として総務委員会委員、経済産業委員会委員、海賊・テロ対策に関する特別委員会委員、沖縄・北方問題に関する特別委員会委員を勤めた。
[編集] 年譜
- 1974年2月5日:政治家橋本龍太郎の二男として出生
- 1992年3月: 学校法人関西学園岡山高等学校普通科卒業
- 1996年3月: 慶應義塾大学環境情報学部人間環境コース卒業
- 1998年3月: 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、株式会社三菱総合研究所入社、情報通信技術研究本部次世代社会基盤研究部情報社会政策研究チーム研究員
- 2004年7月: 静岡大学情報学部情報学研究推進室客員助教授
- 2005年8月: 株式会社三菱総合研究所を退社、第44回衆議院総選挙に立候補する
- 9月:第44回衆議院総選挙に父龍太郎の地盤を継ぎ岡山4区より出馬、民主党公認の柚木道義に敗れたが 比例中国ブロックで当選する。
- 2009年8月: 第45回衆議院総選挙で再び柚木に敗れ、比例代表でも届かず落選した。
[編集] 活動
- 自民党道州制調査会道州制推進小委員会(額賀福志郎委員長)の事務局次長として、2007年6月の同調査会第二次中間取りまとめの作成に関与。地元のポスターでは「地方主権宣言!」をコピーに掲げる。
- 自民党難病議員連盟パーキンソン病WG(馳浩座長)の事務局長。
- 河野太郎議員を会長とする「マネジメントの観点からの教育再生研究会」メンバー
- 院外では、岡山県水泳連盟会長、岡山県剣道連盟顧問、慶應義塾SFC三田会代表幹事等を務める。
- 所属する議員連盟
DFD研究会、GLOBE Japan、イスラム教国友好議員連盟、医療政策研究会、海事振興連盟、看護技術者対策議員連盟、漁港漁場漁村整備促進議員連盟、軍恩議員連盟、自由民主党 経済活性化税制議員連盟、自由民主党 公立学校施設耐震化等整備促進議員連盟、自由民主党 高齢者虐待問題議員連盟、自由民主党 港湾議員連盟、国連世界食糧計画国会議員連盟、コンテンツ産業振興議員連盟、自治体病院議員連盟、自動車議員連盟、浄化槽対策議員連盟、自由民主党 消防議員連盟、情報産業振興議員連盟、自由民主党 水田農業振興議員連盟、スーパーコンピュータ推進議員連盟、自由民主党 全国保育関係議員連盟、ソーシャル・キャピタル研究会、尊厳死(仮称)法制化を考える議員連盟、知的財産権を守る超党派議員連盟、中古車議員連盟、中小企業と地域再生議員連盟、自由民主党 トラック輸送振興議員連盟、ナノテクノロジー推進議員連盟、日仏友好議員連盟、日ロ友好議員連盟、日韓議員連盟、日中友好議員連盟、日本・ブータン友好議員連盟、日本・モンゴル友好議員連盟、自由民主党 年金議員連盟、ハンセン病対策議員懇談会、自由民主党 三田会、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会、野球振興議員連盟、ユニセフ議員連盟、ユビキタス社会を実現する若手議員の会、ライフサイエンス推進議員連盟
[編集] 人物
- 大学院在学時、金子郁容教授の指導の下、藤沢市の市民電子会議室の立ち上げに学生スタッフとして参加する。三菱総合研究所在職中も、インターネットを利用した住民参加を専門とし、地域情報化や電子自治体関連の業務を主に担当した。総務省「ICTを活用した地域社会への住民参画のあり方に関する研究会」WGメンバー。
- また同時に、日本のインターネットの父と称される村井純教授にも師事。以後、三菱総合研究所在職中や当選後も、インターネット政策や通信・放送政策に関して意見交換を行うなど、継続して交流がある。
[編集] その他のエピソード
- 「週刊文春」2005年10月6日号のアンケートで愛読書に「山本七平、村上春樹、松岡正剛」と回答し、斎藤美奈子に「83名中一番の読書人は橋本龍太郎ジュニア、橋本岳氏である。」と評される[1]。
- 大学院生時代に、同級生と学生結婚したことが「FOCUS 1996年3月27日号」に掲載される。22歳で父親となり、ベビーカーを押してキャンパスを歩くことで学内では有名だった。
- プロレス愛好家であり、観戦の時間が取れない現在は愛読する週刊プロレスでストレスを解消しているという。
- サービス終了を受けて通信事業者から買い替えを促されるまで、ツーカーブランドの携帯電話を使い続けていた。基本的に高級品や最新製品等には興味がなく、パソコンや携帯電話は壊れるまで使い倒すという。
- 三菱総合研究所時代は激務のため会社に寝泊まりすることも多く、午前中の会合では寝ぐせ姿を披露することがしばしばあった。
- 「ISIS編集学校」(松岡正剛校長) 師範代であり、その著述力の高さには定評がある。
- 衆議院予算委員会で民主党の前原誠司副代表の質問中に野次を飛ばした際、あまりに的確な内容だったためか、「橋本岳君、稚拙な野次はやめなさい」とやり返された。
- 静岡大学情報学部情報学研究室の客員教授であるが、同大学工学部電気電子工学科の橋本岳(はしもとたけし)助教授は同漢字の別人。
[編集] 家族・親族
- 実家
- 父 龍太郎(政治家・元首相)
- 母 久美子(元不二音響社長中村久次の長女、銀行家中村貫之男爵・元千葉県知事加納久朗子爵の孫、元上総国一宮藩主加納久宜子爵・元東京市長阪谷芳郎子爵・元満鉄総裁中村雄次郎陸軍中将男爵の曾孫、日本資本主義の父、財界・実業界指導者渋沢栄一子爵の玄孫 社団法人日本・ラテンアメリカ婦人協会会長)
- 兄 龍
- 姉(二人)
- 妹(一人)
- 自家
- 妻 栄里子(三重県出身、川崎医療福祉大学医療マネジメント学部講師、姫路独協大学薬学部講師)
- 子供4人(二男二女)あり
[編集] 系譜
- 曾祖父・橋本卯太郎は岡山県吉備郡秦村(現・総社市)の農家に生まれ、新聞配達をしながら苦学して東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業。同郷の馬越恭平日本ビール社長に見込まれ入社、酵母を扱う技師から常務に出世した[2]。厚生大臣、文部大臣などを歴任した橋本龍伍は祖父。警視総監、朝鮮総督府政務総監などを歴任した大野緑一郎は曾祖父。前高知県知事橋本大二郎(政治家、キャスター)は叔父。大おじには、東京高等工業学校長、科学技術庁金属材料研究所初代所長などを務めた冶金学の橋本宇一、戦艦大和に搭載した電波探知機開発に参加した海軍大佐の橋本宙二、正義派検事で鳴らした橋本乾三、元東北大教授の橋本虎六などがいる。[3]
┏橋本宇一 ┃ ┣橋本宙二 ┃ ┣橋本乾三━┳橋本實 ┃ ┃ ┃ ┣橋本明 ┃ ┃ 橋本源三郎━橋本卯太郎━┫ ┗橋本宏 ┃ ┣橋本坤四郎 ┃ ┃ ┣橋本龍伍━┳橋本龍太郎━┳橋本龍 ┃ ┃ ┃ ┃ ┗橋本大二郎 ┗橋本岳 ┃ ┗橋本虎六━━橋本敬太郎
若宮貞夫━━━━正
┃
橋本卯太郎 ┣━━━橋本大二郎
┃ ┃
┣━━━橋本龍伍
┃ ┃
┏真都 ┃
┃ ┃
┣石光真清 ┃
石光真民━┫ ┣━━━橋本龍太郎
┣石光真臣 ┃ ┃
┃ ┃ ┃
┗石光真澄 ┃ ┃
┃ ┃
大野緑一郎━━━春 ┃
┃
橋本龍伍 ┃
┃ ┃
┏正 ┃
若宮貞夫━━┫ ┣━━━橋本岳
┗章 ┃
┃ ┃
┏中村基一 ┃
中村雄次郎━┫ ┃
┗中村貫之 ┃
┃(義妹・章と再婚) ┃
┃ ┃
阪谷芳郎 ┣━━━妙子 ┃
┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃ ┃ ┃
┣━━━八重子 ┣━━━━久美子
┃ ┃
┃ ┃
渋沢栄一━━━琴子 ┃
┃
加納久宜━┳━加納久朗━━中村久次
┃
┗━夏子━━麻生太賀吉 ┏麻生太郎
┃ ┃
┣━━━┫
┃ ┃
吉田茂━━和子 ┃
┗信子
┃ ┏彬子女王
┣━━━┫
┃ ┗瑶子女王
┏三笠宮崇仁親王━━━寬仁親王
明治天皇━━大正天皇━┫
┗昭和天皇━━━━━━今上天皇
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ なお父親の橋本龍太郎は東京生まれの東京育ちであるが、岡山を選挙区として政治活動を始めてからは“岡山県総社市出身”と称した。本籍は東京都渋谷区(『人事興信録』より)。昭和43年(1968年)、岡山県総社市に家を建てた(橋本久美子『夫 橋本龍太郎 - もう一度「龍」と呼ばせて 』48頁より)
- ^ 橋本卯太郎について、『明治大正人物史』には「明治二年三月生る。岡山県人橋本源三郎の長男なり。同三十一年養兄富平方より分れて一家を創立す。幼より沈着誠実、悠々として迫らざる態度は大人の風ありて、その大成を嘱望せらる。長じて東京高等工業学校に学び、二十七年同校機械科を卒業するや、直ちに大日本麦酒株式会社に入る。温厚円満の人格と、機宜に当る手腕とは君をして工務部長に累進、更に常務取締役に挙げしめ、現にその任にありて活躍しつつあり。書画骨董に趣味を有し、閑日月を活動の間に求むるところ奥床しとも云ふ可し。」とある。橋本明著『戦後50年・年譜の裏面史 昭和抱擁 -天皇あっての平安-』 112頁には「現橋本龍太郎首相の祖父卯太郎は農民だった。岡山県吉備郡秦村(現・総社市)が高梁川の氾濫で水没すると上京、新聞配達をしながら苦学して高等工業学校を卒業。馬越恭平日本ビール社長に見込まれ入社した。当時専務をしていた石光真澄が卯太郎の人柄を見抜いて「妹・真都を嫁に…」と望み、二人は馬越の媒酌で結婚する。酵母を扱う技師から常務に出世した卯太郎は8人の子宝に恵まれた。男六人には「宇宙乾坤龍虎」に数字をつけて命名した。」とある
- ^ 橋本明著『戦後50年・年譜の裏面史 昭和抱擁 -天皇あっての平安-』 112頁-114頁


