欽ドン!

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欽ドン!(きんどん)とはかつてニッポン放送で放送されたラジオ番組欽ちゃんのドンといってみよう!』、フジテレビ系列で放送された萩本欽一司会のバラエティ番組欽ちゃんのドンとやってみよう!』の略称およびその続編シリーズの総称である。

目次

[編集] ラジオ

欽ちゃんのドンといってみよう!
ジャンル バラエティ
放送期間 1972年10月9日 - 1979年4月6日
放送時間 10分
放送局 ニッポン放送
ネットワーク NRN
パーソナリティ 萩本欽一
企画 萩本欽一
  
欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤
ジャンル バラエティ、トーク
放送期間 2007年10月4日 - 2008年3月20日
放送時間 木曜日20:30 - 20:50(20分)
放送回数 全24回
放送局 ニッポン放送
ネットワーク 栃木放送茨城放送西日本放送
パーソナリティ 萩本欽一
提供 ガリバーインターナショナル
  
欽ちゃんのドンといってGO!GO!
ジャンル バラエティ、トーク
放送期間 2008年10月4日 - 2009年3月21日
放送時間 土曜日21:00-21:30(30分)
放送局 ニッポン放送
パーソナリティ 萩本欽一
  

[編集] 欽ちゃんのドンといってみよう!

1972年10月9日 - 1979年4月6日放送。

コント55号での活動に限界を感じつつあった萩本が、新たな笑いの可能性を探ろうと始めたリスナー参加型のラジオ番組である。専門作家や芸人ではない一般のリスナーからテーマに沿ったコントを投稿させ、それをラジオで流してよいものを選ぶというスタイルだった。元は、この直前まで同じニッポン放送の土曜日24:00 - 25:00で、1972年4月から同年9月の6か月間放送されていた『どちら様も欽ちゃんです』の中で、聴取者の投稿からコントを募るコーナーとしてスタートし、好評だったことから単独の番組となった。

一般聴取者の投稿によるコントという方式は、後の『天才・秀才・バカ』シリーズ(谷村新司)などや『ビートたけしのオールナイトニッポン』における「ハガキ職人」の誕生など、後世にまで大きな影響を与えており、画期的な番組制作手法として評価されている。

スポンサーは集英社で萩本により番組冒頭「キミの心をつかむ、集英社がお送りする『欽ドン』」と紹介された。

放送は平日夜の帯枠で、1975年4月以降は『大入りダイヤルまだ宵の口』内のコーナーとして概ね21:40 - 22:00頃の間に10分間放送、曜日ごとにテーマが決まっていた。以下は代表的なものである。

  • レコード大作戦 - 歌謡曲などのレコード音声の一部分を、本来とは違うシチュエーションで会話にコラージュ的に組み込む。
    • 事務所の後輩であるコサキンのラジオ番組で、これを模した「意味ねぇCD大作戦」というコーナーがあった。
  • ああカン違い - 会話形式のシチュエーションコント。バリエーションとして「夫婦の会話」「母と子の会話」「ワーイシリーズ」「あーらシリーズ」
  • 痛烈ヤジ将軍 - スポーツなどの実況中という想定で、内容のずれたヤジを飛ばす。
  • 突然の質問 - その名のとおり、ある人に質問するというもの。
  • ドジシリーズ- ドジなやつとはどういうやつか。
  • 根回し上手 - 上司の取引先への依頼を前に、部下が先走って行動したことを告げる。

毎回オープニングには「キャッチフレーズ」と称するジングル、エンディングには「今日の一言」という教訓のパロディ(五七五のもの)が、やはりリスナー投稿から選ばれて読まれていた(エンディングには、没ハガキのリスナー名を読み上げるコーナーもあった)。

コントにはおもしろさによって、スポンサーである集英社の雑誌名にちなんだ賞が贈られた。

コントのうち、笑いをとったネタには上記の賞が用意されていたが、そこそこ良くできてはいるが面白くないハガキは、萩本が「キレイだね!」と言って「キレイ箱」なる箱に突っ込んでいた時期もあった。

パーソナリティは萩本と女性のアシスタントである。ただし、収録に来ていたパジャマ党のメンバーの声が入ることもあった。パジャマ党の存在はリスナーにも知られるようになり、コントのネタとしても(内輪ネタ的に)使われたりした。ラジオやテレビの裏側には制作スタッフがいることを視聴者に隠さず示し、それまで邪道とされていた楽屋落ちまでも積極的に使用したことも、以後の番組制作やタレントの言動に大きな影響を与えており、画期的なことだったと評価されている。

萩本が企図した「既成の作家や芸人とは違った笑いの発掘」という狙いは当たり、それをもとに萩本はこれをテレビ企画とすることを構想するに至る。

テレビの『欽ちゃんのドンとやってみよう!』がヒットした後もラジオの欽ドンは続いたが、1978年12月に行われた「最高のコントに10万円を出す」という「欽ドングランプリ」の企画を花道として、1979年4月6日((金)曜日)に7年間の放送を終了した。なお、これより6か月後の1979年10月からは、ナイターオフ期間限定の番組として、同じくニッポン放送で『欽ちゃんのここからトコトン』(毎週土曜日18:00 - 19:00、1979年度のみ18:30 - 19:30)がスタート、1984年3月まで5期間続けて放送されていた。その中で一度「帰ってきた欽ドン」なる企画もあった。

放送ネット局(時差ネット含)


[編集] 欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤

ニッポン放送で2007年10月4日から2008年3月20日まで、日本標準時毎週木曜20:30 - 20:50に放送。ガリバーインターナショナル一社提供であるため、提供クレジット上のタイトルは『ガリバープレゼンツ 欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤』となる。萩本にとっては『ニュースワイド 欽ちゃんのもっぱらの評判』以来、19年ぶりのラジオレギュラー。タイトル通り、野球関連のネタコーナーに加え、野球選手などをゲストに招いたトーク展開。構成は鶴間政行が担当。

放送ネット局(いずれも同時ネット)

[編集] 欽ちゃんのドンといってGO!GO!

前番組「欽ちゃんのドンといってみよう!野球盤」に引き続きニッポン放送ナイターオフシーズンの欽ドン!シリーズとして、2008年10月4日から2009年3月21日まで放送。放送時間は毎週土曜21:00-21:30。

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[編集] テレビ

欽ドン!
ジャンル バラエティ番組
放送国 日本
制作局 フジテレビジョン
原作 萩本欽一
プロデューサー 常田久仁子
出演者 萩本欽一ほか
音声 モノラル放送(全番組)
欽ちゃんのドンとやってみよう!
放送時間 毎週土曜日19:30 - 20:54(71分)
放送期間 1975年4月 - 1977年3月
1977年9月 - 1978年3月
1978年9月 - 1979年3月
1979年9月 - 1980年3月
欽ドン!良い子悪い子普通の子
放送時間 毎週月曜日21:00 - 21:54(47分)
放送期間 1981年4月 - 1983年9月
欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子
放送時間 毎週月曜日21:00 - 21:54(47分)
放送期間 1983年9月 - 1985年5月
マイルド欽ドン!
放送時間 毎週月曜日21:00 - 21:54(47分)
放送期間 1985年10月 - 1986年4月
欽ドン!お友達テレビ
放送時間 毎週月曜日21:00 - 21:54(47分)
放送期間 1986年5月 - 10月
欽ドン!ハッケヨーイ笑った!
放送時間 毎週月曜日21:00 - 21:54(47分)
放送期間 1986年11月 - 1987年2月
欽ドン!スペシャル
放送時間 毎週月曜日21:00 - 21:54(47分)
放送期間 1987年2月 - 3月(6回)

特記事項:
(各番組放送分数は、CMを除く正味時間)

[編集] 欽ちゃんのドンとやってみよう!

1975年4月5日 - 1980年3月、毎週土曜19:30 - 20:54に放送。

1970年代中期、視聴率で劣勢続きだったフジテレビが、高視聴率を誇るザ・ドリフターズのお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS)に対抗し、欽ちゃんこと萩本欽一を起用した番組で土曜夜8時枠で挑戦。

もともとは上記ラジオ番組のヒットから企画を起こし、1974年9月21日の20:00 - 20:54(後のレギュラー放送と一部が同じ)にテレビ化トライアル番組『欽ちゃんのドンと行ってみよう!ドバドバ60分!』を放送。この番組は『全員集合』のために視聴率が一桁と振るわず、惨憺たる結果を生んだが、意外にも業界内での好評を得たことによって、翌1975年の春よりレギュラー化された。当初、初期の正式タイトルは『萩本欽一ショー・欽ちゃんのドンとやってみよう!』だった。

フジテレビ土曜夜8時枠は元々、1968年より坂上二郎とのコンビで主演した『コント55号の世界は笑う』が放送されていた枠である。55号としてはもちろん、同時に芸人(チーム名)を冠にした初のゴールデンタイムにおけるカラー放送のバラエティ番組で、体力の限りを尽くした縦横無尽のステージコントは55号人気の絶頂を決定付けることとなり、視聴率30%以上の高視聴率を誇った。しかし1969年にスタートした後発の『8時だョ! - 』の激しい追い上げによって、1970年4月に『コント55号のやるぞみてくれ!』にリニューアルするも失敗、放送期間1年11ヵ月(『 - 世界は笑う』は1年9ヶ月。『 - やるぞみてくれ!』はわずか2ヶ月)をもって番組は終了してしまう。以後、ドリフ天下のバラエティ界のなか、同時間帯におけるレギュラー版『欽ドン!』のスタートは、周囲からは「55号の弔い合戦」とも称され、また萩本個人としても初の企画・主演番組であることもあり、相当の気合を込めて制作された。アシスタントとして当時新人の香坂みゆきが出演している。

なお、1977年4月 - 8月と1978年4月 - 8月、1979年4月 - 8月までは、萩本の企画構想期間として同番組は一旦中断。1977年4月 - 8月は、伊東四朗らをメインキャストとした同じく常田久仁子プロデューサー・三宅恵介ディレクターの『がんばれ!ピンチヒッターショー』を、1978年4月 - 8月は『土曜グランドスペシャル(第1期)』もしくは『ニューヤンキース』を、1979年4月 - 8月は『土曜グランドスペシャル(第2期)』をそれぞれ穴埋め番組として放送していた。『土曜グランドスペシャル』では『欽ドン!』ファンのために、月1回の割合で『欽ドン!スペシャル』を放送した。これは、視聴率へのこだわりが強い萩本が、自身の冠番組ナイター中継の裏では絶対にやらないという強い意向を持っていたからである。そのため、以後の萩本のプライムタイムでの冠番組は、すべて21・22時台に放送されており、19・20時台に放送されたものはいずれもプロ野球シーズンオフのみである。

綿密に計算されたコント中心の『8時だョ!』と異なり、『欽ドン!』は視聴者からのハガキ投稿を中心に、萩本が得意とするアドリブを主体にした番組構成である。NGでも面白がって放送してしまう手法は、三宅恵介ディレクターをはじめ欽ドンを担当したスタッフや作家陣が多数参加し後の土8枠を彩る『オレたちひょうきん族』への礎となり、以降同枠に続く『めちゃ×2イケてるッ!』をはじめとするフジのバラエティ番組の伝統的手法となる。『欽ドン!』番組中、萩本が股旅姿で観光地などに現れ、市井の一般人を模造刀で斬るふりをして一般人が「ウワー」などと叫んで倒れるという場面が度々登場する。この手法は後に、『ひょうきん族』の「タケちゃんマン」コーナー冒頭の、一般人が空を指さして「あっ、タケちゃんマンだ!」と叫ぶ場面に受け継がれている。

第1期のオープニングはかなりの異色で、萩本では無く、外国の女性が出て来るフィルムが映し出され、「アレッ?」と視聴者が思った所で、女性が「キンド〜ン、キンド〜ン…」と呟く演出になっていた。

第1回放送後、スタッフの電話によって「17.1%」という、初回にしてはいきなり高視聴率の結果を知った萩本は、受話器を握り締め涙したというエピソードがある。

番組で採用されたハガキには、面白かった順にバカウケややウケドッチラケのランク付けをされていた。なかでも「バカウケ」は当時の流行語にもなった。これは芸人の隠語を一般向けに使用したものと言われ、『欽ドン!』の代名詞「良い・普通・悪い」へとつながったと見る者もいる。

本番組の放送期間中の1977年1月 - 1979年1月に同じフジテレビ系で同じ土曜日に放送されていた『ヤッターマン』に登場するコックピットメカ「ちんちろりんのドッチラケ」は、本番組に由来している。

この番組で、萩本欽一は前川清コント54号としてコンビを組んだ。それまでの前川は「お笑い」に縁がないクールな二枚目イメージで売っていたが、萩本にコメディアンとしての才能を引き出され、大成功を収めている。

開始当時は『8時だョ!全員集合』が荒井注のドリフターズ脱退などで低迷期にあったため、そこそこの視聴率を稼いでいた。しかし、その後荒井の後任で加入した志村けんの「東村山音頭」の大ヒットにより『8時だョ!全員集合』が人気を盛り返し、さらに7時半からの30分枠でも『クイズダービー』(TBS)が力をつけており、さらに末期には『あばれはっちゃく』シリーズ(テレビ朝日)も登場したことから視聴率が下がり、1980年3月に終了。 後番組の『土曜ナナハン学園危機一髪』は90分番組で、その後は夜7時半に音楽番組クイズ番組アニメ枠を、夜8時に1時間のドラマ・バラエティ枠となった。

以降、フジテレビの土曜夜7時半は長い冬の時代に入り、『クイズダービー』と『あばれはっちゃく』の両番組が高視聴率を出していた谷間で低迷。1985年10月に始まった『ハイスクール!奇面組』までの5年半は、どの番組も半年以内で打ち切られている。

土曜夜8時枠も『ピーマン白書』→『小さな追跡者』の1年間は低迷し、土曜8時戦争は一旦休戦することとなるが後の『オレたちひょうきん族』が土曜8時戦争を制した。

[編集] 欽ドン!良い子悪い子普通の子

1981年4月6日 - 1983年9月12日、毎週月曜21:00 - 21:54に放送。

よくある家庭をベースにしたセットで前番組の人気コーナーの「母ちゃんと子供の会話」と「三段落ち」を組み合わせたような内容。父親役の欽ちゃんに息子の「フツオ」「ヨシオ」「ワルオ」との会話で笑いをとった。会話は視聴者からの投稿がベース。

前身となった『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が一応の成果を収めて終了し、次の段階を伺うべく、再びラジオの世界に戻った萩本がニッポン放送で開始した『欽ちゃんのここからトコトン!』内で、再び聴取者からのハガキ投稿コーナーを開始。ある日の放送で、ラジオのスタッフにいた若手作家によって放送台本の片隅に、その週のテーマとして何気なく書かれた「良い子悪い子普通の子」という文字を見て、萩本は「コレだ!」と次への構想をひらめく。これが人気番組、最初の第一歩となった。

早速企画書にまとめあげた萩本は、フジテレビ以外の各局を駆け巡った。しかし「放送枠がない」「次の改編に間に合わない」という理由で却下されてしまい、フジテレビに最後にかけあった。

当時、萩本はフジで『欽ちゃんの9時テレビ』(1980年10月13日 - 1981年3月23日、月曜夜9時放送)というバラエティ番組の司会を担当していた。「どか〜ん!のど自慢」のコーナーに多少の人気が集まっていたものの、視聴率的には振るわなかったことから、番組の降板を申し出ていた。しかし、局の編成担当者は「元々、フジの月曜夜9時は、開局以来20年間不振の枠なので数字のことは気にせずに。それよりも月9枠は、向こう10年は欽ちゃんに任せたから」と、萩本にとっては何物にも変え難い信頼の言葉を得ていたこともあって、一瞬のひらめきから「スグにでも番組化できる」と自信を持った萩本と、1981年の春改編にも間に合うかというフジの具体的思惑が一致したことから、番組は開始された。

後に、最高視聴率30%以上を誇る人気番組に成長した『欽ドン!』を見て、以前に企画書を提出されていたフジ以外の放送局は、そのチャンスを逸した意味で苦虫を噛み潰しながら、その人気ぶりを注目したといわれている。

  • フツオ(普通の子) … 長江健次 キャラクターは、どこにでもいる普通の高校生。
  • ヨシオ(良い子) … 山口良一 キャラクターは、メガネに青の学ラン。
  • ワルオ(悪い子) … 西山浩司 キャラクターは、リーゼント頭の不良少年

西山はすでに初代『欽ドン!』(「欽ドン劇団」)に出演していたが、長江、山口にとっては「出世作」となった。3人の息子役は一般オーディションで選出された。オーディションが終了した時点では普通の子に山口、良い子に西山が選ばれており、悪い子は該当者無しで、長江はオーディションに落選していた。悪い子の配役が決まらず困っていたスタッフが、オーディション会場に居残っている長江を見つけて配役を変えて試したところ、しっくりきたため、上記の配役に決定したというエピソードがある。

フツオ、ヨシオ、ワルオの3人がイモ欽トリオを結成、『ハイスクールララバイ』(フォーライフ・レコード)でレコードデビュー、大ヒットする。当時、レコードの歌詞カードに記載されていたプロフィールで山口の生年月日が、他の2人より年上だったことから『不明』とされていた。

フツオ役は、長江が翌年の大学受験を控えているために1982年3月で降板。その後、2代目フツオとして後藤正に交代される。しかし、1983年1月にシングル『ティーンエイジ・イーグルス』がリリースされたのを最後に、イモ欽トリオとしての活動は自然消滅となり、後藤も1983年5月2日に降板、そのまま芸能界引退。1983年5月9日からは、一般公募により最終選考まで残った沢村雅彦、大野哲也、境田晃一の3人がそれぞれフッくん(沢村)、ツッくん(大野)、オッくん(境田)として3代目フツオを演じた。3人のフツオ役を競わせ、最終的に境田が次番組の『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』でフツオ役を演じることになった。

良い妻悪い妻普通の妻では「よしこ」「わるこ」「ふつこ」の三役を中原理恵が演じた。

  • よし子(良い妻)髪を後ろでおだんごにまとめ、黒ぶちメガネをかけた、お金持ちの奥さま風キャラ。
  • わる子(悪い妻)チリチリパーマの爆発ヘアで、凶悪スケバン風キャラ。
  • ふつ子(普通の妻) 素の中原理恵。

中原は、ニッポン放送『欽ちゃんのここからトコトン』やテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの』などにゲスト出演した際、そのトークのおもしろさを萩本に買われ、『欽ドン!』のレギュラーに起用されることとなった。それまで、「お笑い」とは程遠い「都会的でクールな美女」というシリアスイメージだった中原が、そのイメージを打ち破る見事なコメディエンヌぶりで三役を演じ分け、「おーみーごーとー」(よし子)などのギャグとともに人気大爆発。 歌手として1978年にデビュー、「東京ららばい」「ディスコ・レディー」などが大ヒットとなり、『NHK紅白歌合戦』にも出場したが、1979年以降はヒット曲には恵まれずやや地味な存在になっていた中原が、この番組で人気が再ブレイク。以後、映画・ドラマ・バラエティ・CM等、各方面で大活躍することとなる。しかし、当時中原が不倫騒動を起こし、萩本が激怒したため途中降板した。

中原降板後、島倉千代子良い妻悪い妻普通の妻を演じたこともあった。

更に新キャラクターとして良いOL悪いOL普通のOLが登場。このOL3人組は、よせなべトリオとして1982年8月5日『大きな恋の物語』でレコードデビューも果たし、オリコン最高位8位、売上16.8万枚を記録するヒットを飛ばす。歌番組に出演することもあったが松居抜きのときが多かった。これは松居はデビュー当時中学生で、18歳未満の者の21時以降の就業を禁じた、労働基準法の従来規定に抵触していたため。松居にとっては「出世作」となった。

  • フツ山(普通のOL) … 松居直美
  • ヨシ山(良いOL) … 生田悦子
  • ワル山(悪いOL) … 小柳みゆき(現・小柳友貴美)。トレードマークは、黒縁のメガネにパーマ。

番組の後半は萩本が白衣姿の博士、レギュラーメンバーが門下生に扮して、テーマ自由の「良い、悪い、普通」を発表する「萩本博士の研究レポート発表会」のコーナー、「日記」のコーナーが放送された。また、萩本と車だん吉が名作映画の一場面を再現して笑いをとるコントが、随時挿入された。

番組での各コーナーで披露されるネタは一般からハガキで募集し、採用された人には番組からオリジナルトレーナーがプレゼントされた。オリジナルトレーナーは基本的に改変期ごとにデザインが変わり、また、欽ドン賞獲得者には2枚贈られるというルールの存在もあり、最多採用数を誇った視聴者が、それらをツギハギしてクッションカバーを作ったとのエピソードが番組で紹介されたこともある。

この時期『欽ドン!』とテレビ朝日欽ちゃんのどこまでやるの!?』、TBS欽ちゃんの週刊欽曜日』、『ぴったしカン・カン』、さらにはフジテレビ『オールスター家族対抗歌合戦』とヒット番組をかかえ、その合計数字から欽ちゃんは「視聴率100%男」の異名を取った。

[編集] 欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子

1983年9月19日 - 1985年5月6日、毎週月曜21:00 - 21:54に放送。

『欽ドン!良い子悪い子普通の子』の放送末期に3人いたフツオは、オッくん役だった境田晃一が演じる。また、これまでのメンバーに遠藤由美子演じる『おまけの子』ゆみこが新たに加わる。

  • フツオ(普通の子) …境田晃一
  • ヨシオ(良い子) … 山口良一
  • ワルオ(悪い子) … 西山浩司
  • ゆみこ(おまけの子) … 遠藤由美子

なお「おまけの子」役となった遠藤には「おまけの子」のオーディション当日にトイレを我慢しながらオーディション会場へ駆け込んだ際、こともあろうに審査委員長の萩本に向かっていきなり「トイレはどこですか?」と尋ね、その度胸を萩本が気に入ったため、採用されたというエピソードがある。

新キャラクターとして、先生3人組が登場。後に『おまけの教頭』も登場( - 1984年12月10日)。

  • 普川先生(普通の先生) … 宮田恭男
  • 良川先生(良い先生) … 柳葉敏郎 トレンディ俳優として活躍する彼の初期の代表作。
  • 悪川先生(悪い先生) … 武野功雄
  • ジェームス山口(おまけの教頭)… 山口良一

後に先生に代わり刑事となる。(1984年12月17日 - )

  • ふつた(普通の刑事) … 柳葉敏郎
  • よした(良い刑事) … 関根勤
  • わるた(悪い刑事) … 武野功雄
  • チャーリー・チャン(おまけの刑事) … 山口良一

良いお婆ちゃん 悪いお婆ちゃん 普通のお婆ちゃんでは、山口良一がお婆ちゃん三役を演じ、萩本の妻を志穂美悦子、おまけのお爺ちゃんを西山浩司が演じた。

下宿人( - 1984年12月10日)

娘(1984年12月17日

[編集] マイルド欽ドン!

1985年10月7日 - 1986年4月28日、毎週月曜21:00 - 21:54に放送。

基本コンセプトは同じで、旅館編(宮川大助・花子角野卓造が出演)などが放送された。角野の他にもレギュラー出演者に黒沢年男水野久美など俳優が名を連ねコントを繰り広げた。番組の後半は「わかんない奴」のコーナーで「○○する奴」という風に視聴者からの投稿で発表するものだった。

[編集] 欽ドン!お友達テレビ

1986年5月5日 - 10月27日、毎週月曜21:00 - 21:54に放送。

シブがき隊がレギュラーに参加。ステージ上でのコントに加え、観客を入れずに収録する形式のコント(教師編など)が加えられた。

[編集] 欽ドン!ハッケヨーイ笑った!

1986年11月3日 - 1987年2月9日、毎週月曜21:00 - 21:54に放送。

前半は電話による視聴者参加ネタコーナー、後半は視聴者からの投稿ハガキやゲストが紙相撲を持参し、それを元にデザインした着ぐるみを関根勤、ジミー大西、当時まだ大阪でも大ブレイクする前のダウンタウンが着て、等身大の紙相撲となって対戦する、という構成で放送された。審判部長をジミーの師匠のぼんちおさむが務めた。また、放送開始3カ月前の『第6回全国高等学校クイズ選手権』(日本テレビ)においてボケ解答を連発して、一躍有名になった相馬高校の生徒がレギュラー出演者となったが、ほとんど発言の機会はなかった。

『欽ドン!』史上最も大幅なリニューアルとなったが、視聴率は不振を極め、わずか3ヶ月で終了した。後に島田紳助がダウンタウンに向かって「ハッケヨーイ終わった」と揶揄する発言があったほどである。

この番組は、開始当初は生放送だったが、開始数週経過後から、後半の相撲コーナーのみ前週に事前収録したものを放送する部分収録スタイルへ変更した。さらに前半パートがテコ入れのために相撲コーナーに変更されると、前半部分も収録となり、最終的には一般的な事前収録番組となった。

なお、エンディングでスタッフ紹介のクレジットタイトルが流れる時は、縦書きで画面下に、左から右へ流れ、スタッフの名前も本名に「 - 山」や「 - 富士」などが付け加えられるなど、四股名風のものになっている。オープニングとエンディングでのスポンサー紹介の時には、そのスポンサーの名称が入った大相撲懸賞幕のような幕を掲げて、土俵のセットの周りを回り、テレビ画面ではそのスポンサー名のアップになる、というものになっていた。

[編集] 欽ドン!スペシャル

1987年2月16日 - 3月23日、毎週月曜21:00 - 21:54に放送。

後枠が、現在も続くドラマ枠に決まったため、『欽ドン!』シリーズ最末期に放送された。

[編集] 欽ドン!の終焉後

  • 欽ドン!シリーズの放送終了から7年後の1994年1月4日に『新春オールスター 欽ドン! 同窓会スペシャル』(21:00~22:54)を放送。ちなみにこの回は、『欽ドン!』シリーズで唯一のステレオ放送を実施した。
  • 提供スポンサーのうち、P&GTOYOTAメナード化粧品は、現在の月9に変更された後も提供スポンサーを継続し、現在に至る。

[編集] その他

[編集] スタッフ

  • 構成:大岩賞介詩村博史、永井準、鈴木しゅんじ、岩城未知男、大倉利晴鶴間政行、益子一男、村松利史、高橋等、高橋秀樹、石崎収、笠博勝、佐藤宗示、浦沢義雄三谷幸喜(おまけの子時代)
  • 音楽:あかのたちお
  • 演奏:新音楽協会
  • コーラス:EVE
  • 技術協力:ニユーテレス
  • ディレクター:竹島達修、三宅恵介、小林豊
    • 竹島と三宅は、1994年放送の『欽ドン!』特番ではプロデューサーを担当した。
  • プロデューサー:常田久仁子
  • 制作著作:フジテレビ

[編集] 放映ネット局(時差ネット局含)


[編集] 書籍化

最初のテレビ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』のヒットを受け、ラジオの『欽ちゃんのドンといってみよう!』のものも合わせたコント集『欽ドン! いってみようやってみよう』が集英社から刊行され、これもベストセラーとなった。続編がNo.6まで出版された。

[編集] ゲーム化

1982年エポック社からボードゲーム「欽ドン!良い子悪い子普通の子ゲーム」が発売された。プレーヤー全員が投稿者となって葉書をたくさん出し、どのくらい採用されるか、そして採用されたらどのくらいウケるのかを争っていき、最後に欽ドン賞を取った人が勝ち。

[編集] 番組遍歴



最終更新 2009年11月29日 (日) 17:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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