欽ちゃんのどこまで笑うの?!
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『欽ちゃんのどこまで笑うの?!』(きんちゃんのどこまでわらうの)は、1988年4月から1989年3月までテレビ朝日系列で放送されたクイズを交えたバラエティ番組である。本項では後続の『欽どこTV!!』(1989年4月〜9月)についても触れる。
目次 |
[編集] 番組概要
- テレ朝の平日正午はこれまで、ワイドショー番組が続いたが、初めてのバラエティー番組となった。
- 司会は、当初女優の黒木瞳と当時テレビ朝日アナウンサーの保坂正紀が担当、番組のタイトルも『どこまで笑うの?!』だった。後に司会者になった萩本欽一は番組開始当初、「裏方に立って仕事をしたい」という意向で構成などを担当していた。なお、萩本が同番組に出演するようになったのは1988年5月5日からで、これはコント55号と掛けてある(放送開始後しばらくは坂上二郎もレギュラー出演していた)のと、当初から低視聴率のため結局萩本を出演させた。また、同番組と日本テレビ系列『欽きらリン530!!』『欽ちゃんの気楽にリン』で「CHA-CHA(勝俣州和、西尾拓美、松原桃太郎らで結成されたユニット、同番組では当初「茶々隊」と呼ばれていた)」が登場し話題を呼び、一時は裏番組の『笑っていいとも!』『午後は○○おもいッきりテレビ』等に視聴率で追い上げた事もあった。CHA-CHAの人気とともに番組は一旦終了、『欽どこTV!!』( - テレビ)(1989年4月〜9月)に引き継がれた。これは、かつての欽ちゃんファミリー(『欽ドン』『欽どこ』『週刊欽曜日』)が再会する形でもあった。
- 1989年(当時・昭和64年)に『アフタヌーンショー』時代まで続いた新春3ヶ日に放送されたのもこれが最後になった。
- 昭和天皇崩御の次の週、番組はそれまでのクイズ形式を休止、「欽ちゃんのどこまで…私の昭和史」という激動の昭和を萩本とともに振り返るドキュメンタリーを放送した。
[編集] シリーズの終焉とその後
- しかし、このお昼の欽どこシリーズも、末期はマンネリ化が進み、結局視聴率が『いいとも』に奪い返され、1989年9月で、正式に幕を閉じ、ワイドショー番組に戻り『お昼のマイテレビ』に枠を引き継いだ。
- 本番組の終了と同時に、山陰で長らくこの枠を山陰放送と共に時差ネットしてきた日本海テレビが、NNSマストバイ局となったためネットを離脱し、以降は山陰では山陰放送のみのネットとなった(『ザ・ニュースキャスター』開始まで)。
- 熊本放送も長らくこの枠を時差ネットしてきたが、熊本朝日放送開局のために本番組の終了とともにネットを離脱した。
[編集] レギュラー出演者
- 山内賢(月曜日レギュラー・『月曜日の男』として紹介されていた。)
- 藤巻潤(火曜日レギュラー・『火曜日の男』として紹介されていた。)
- 目黒祐樹(水曜日レギュラー・『水曜日の男』として紹介されていた。)
- 松尾雄治(木曜日レギュラー・『木曜日の男』として紹介されていた。)
- 神田正輝(金曜日レギュラー・『金曜日の男』として紹介されていた。)
- 長戸勝彦 水谷敦(クイズコーナーのVTR問題内に出演。後のJA-JA)
[編集] 主なコーナー
- クイズ右か左か?(月〜金曜日・毎日)
- クイズ!だってそうだもん(月〜金曜日・毎日)
- 松尾雄治のクイズでスポーツ(毎週木曜日)
など
[編集] ネット局
同時ネット局(12:00〜12:55)
時差ネット局(14:00〜14:55/15:00〜15:55)
[編集] 関連項目
| テレビ朝日系 平日12時台 | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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【お昼の欽どこシリーズ】
どこまで笑うの?! ↓ 欽ちゃんのどこまで笑うの?! ↓ 欽どこTV!! |
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最終更新 2009年10月13日 (火) 15:43 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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