歌のトップテン

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歌のトップテン
ジャンル 音楽番組
放送時間 月曜日20:00~20:54(54分)
放送期間 1986年4月7日~1990年3月26日
放送国 日本
制作局 日本テレビ
出演者 (初代)徳光和夫石野真子
1986年4月7日~1987年3月30日(2代目)和田アキ子島田紳助
1987年4月6日~1990年3月26日
堀敏彦吉村明宏
音声 ステレオ放送

歌のトップテン』(うたの - )は、1986年4月7日から1990年3月26日まで日本テレビ系列で放送された音楽番組。ランキング歌謡番組『トップテンシリーズ』の第3弾となるこの番組は、前者『ザ・トップテン』に比べ、多少リニューアルされている。

目次

[編集] 番組概要

[編集] リニューアルされた点

  • 順位発表が過去3週の折れ線グラフになった。(ザ・トップテン末期より継承)
  • 歌手登場がスライド式ドアから、ランキングボードが観音開きするドアに変更。スタジオ収録に変更になった時はドアが設けられず、セット左手の入り口から登場する形式になり、セット変更時に再びスライド式ドアが設けられた。
  • アルバムトップテンの発表を行うようになる。
  • 初登場の儀式が、写真撮影から和田アキ子との握手になる。(徳光・石野時代はなし)
  • NTV紅白歌のベストテン」から行われていた日本テレビHスタジオからのアナウンサーによる番組の告知がなくなり、同じく「ザ・トップテン」からの10位以下の順位の発表もVTRによるものに変わる。

[編集] エピソード

  • プロ野球の試合のない月曜日に試合が予定され、後楽園球場巨人戦の中継が入り、生放送が中止になった場合は、関東地区等一部地域では翌日の夕方16:00-17:00に録画放送されていた(雨天中止の場合はそのまま月曜20:00から生放送。当時は公開放送であったために会場に来た観客に考慮し収録を中止できず、そのため司会者と出場歌手はこの時間のスケジュールを押さえられていた)が、1988年に巨人の本拠地が後楽園から東京ドームに移行し、雨天による試合中止が基本的になくなり、月曜20時に出場歌手のスケジュールを押さえる必要がなくなったため月曜に試合が開催の場合、その週の放送がなくなった。
  • 19:00から2時間スペシャルとして放送する際には、19:00台前半に他系列のネット番組を放送する関係上、19:30から飛び乗り放送する地域もあった。そのため、19:30には改めて簡素なタイトルテロップを出していた(月曜日に野球中継を放送した場合も同様の措置)。
  • なお、徳光は『NTV紅白歌のベストテン』、『ザ・トップテン』、『歌のトップテン』の初代司会者を務め、「トップテンシリーズ」すべてに携わることになった。
  • 司会者が初代(徳光・石野)の頃、石野の最初の夫であった長渕剛が登場し(ちなみにランクインではなく注目曲コーナーで、曲名は「SUPER STAR」)、前妻の石野に対して一言「元気?」と声を掛け、石野はそれに「元気‥」と答えた。
  • 当時、ロッテオリオンズから中日ドラゴンズに移籍したばかりの落合博満信子夫人を伴って出演し、「そんなふたりのラブソング」を注目曲コーナーで歌ったことがある(1987年1月5日放送)。なお、落合夫妻は、五木ひろしの1987年間トップテン1位の祝福にも来た。その時に五木が交わした「レコード大賞を獲る」という約束は果たされなかった。
  • ザ・ベストテン』では、ある時期を境に一切出演をしなかったおニャン子クラブだが、この番組に関しては、スケジュールの都合がつかない場合を除いて出演している。
  • 一方、裏番組に『月曜ドラマランド』(フジテレビ)があったため、同番組に出演していた歌手は欠席扱いになったこともあった。
  • 新年最初の放送は「夢のトップテン」と題してリクエストのみのランキングを発表していた。
  • この番組の1位最高連続記録は1988年、光GENJIガラスの十代」の9週連続1位。
  • 1989年はなぜか毎年末に発表していた年間ランキングが発表されず、クリスマス・忘年会スペシャルが放送されただけだった。
  • 小泉今日子の「学園天国」が1位になったとき、小泉は欠席だったためオリジナル歌手のフィンガー5が出演して歌った。
  • 第1回の1位は中森明菜の「DESIRE -情熱-」、最終回の1位は光GENJIの「荒野のメガロポリス」だった。
  • 1986年当時バップから発売されたファミコン用ゲームソフト『元祖西遊記スーパーモンキー大冒険』の取扱説明書に番組観覧の応募券が印刷されていた。
  • この番組はフジテレビの『夜のヒットスタジオ』やTBSの『ザ・ベストテン』とは違って、全て台本通りに司会をしなければならずアイドルにコビを売るような台本だったため、和田と紳助はこのことをすごく嫌がっていた。後年、紳助が「マジメな司会ぶりは業界内へのプロモーションだった」と後に自らが司会を務めた番組『CLUB紳助』(ABCテレビ)で述懐したことからも、番組進行が面白味のないものだったことが伺える。しかし夜ヒット、ベストテンそれぞれの名物司会者である芳村真理黒柳徹子はアドリブなどをおりまぜながらも、真に歌手を第一に考えた司会をすることを常に心がけていた(詳しくは両番組の項目を参考されたい)こととの比較から、当時の視聴者から「自覚に欠けている」などといった批判が起きている。なお、紳助は『ひょうきんベストテン』とこの番組で司会者としての地位を固めた。
  • スタジオ収録に切り替わるとオーケストラが一切登場しない回が多くなる。
  • 光GENJIが1987年12月14日~1988年9月26日の40週(約9ヶ月間)にわたって長期ランクインしていた。そのうちの24週は1位を獲得。当時の社会現象ともいえる光GENJIの人気を証明したような記録である。
  • 中継先にいた峰竜太が「ザ・ベストテンいつも見てます」と堂々と発言したことがあった。他にも出演アーティスト・司会者が「ベスト」と「トップ」を間違えたことは何度かある。
  • 1988年3月28日、渋谷公会堂での生中継中に統合失調症の男が乱入、中森明菜にノートを投げつけて警備員に取り押さえられるという騒動があり、これを機に日テレGスタジオからの非公開生放送に切り替わる。

[編集] トップテンの終焉とその後

1989年9月に「ザ・ベストテン」が放送終了した際、この番組にも「やめないで」という声が相次いだことを受けて、司会の和田と紳助がそのことに触れ、「この番組は続けて参ります。」と宣言した。しかし、フジテレビの「志村けんのだいじょうぶだぁ」やTBSの「水戸黄門第19部」に視聴率を食われ、結局その半年後に終了することとなった(紳助本人も同局の「EXテレビ」にて低視聴率のことを証言している)。こうして、この番組を最後に「NTV紅白歌のベストテン」以来実に20年半続いた一連の「トップテンシリーズ」は幕を下ろした。

[編集] ザ・ベストテンでは1位になった事がないが歌のトップテンでは1位になった曲

()内はオリコンでの最高位

[編集] 年間トップテン1位獲得曲

[編集] シングル

年度 曲名 歌手名
1986年(昭和61年) BAN BAN BAN KUWATA BAND
1987年(昭和62年) 追憶 五木ひろし
1988年(昭和63年) 抱きしめてTONIGHT 田原俊彦
1989年(平成元年) (発表なし)  

[編集] アルバム

年度 作品名 歌手名
1986年(昭和61年) NIPPON NO ROCK BAND KUWATA BAND
1987年(昭和62年) ノン・ストッパー 荻野目洋子
1988年(昭和63年) 不明 不明
1989年(平成元年) (発表なし)  

[編集] トップテン入りしながらも一度も出演しなかった歌手

[編集] スタッフ

  • 構成:玉井冽(現:玉井貴代志)、宮田和実、矢頭浩
  • 音楽:永作幸男
  • 振付:土居甫、日本テレビ音楽学院、ザ・バーズ10
  • 演奏:ガッシュアウト、新音楽協会ALFEE'S・CREW、PAPA、IMAGE
  • コーラス:シャンテ
  • ディレクター:高木章雄、鈴木昌利、長谷川賢一、稲庭由美子
  • プロデューサー:増田一穂
  • 演出・プロデューサー:吉岡正敏
  • 制作:遠藤克彦

[編集] 放映ネット局

テレビ金沢は開局直前のサービス放送初日(3月26日)に最終回スペシャルを放送。

[編集] 関連項目

[編集] 番組の移り変わり

最終更新 2009年11月1日 (日) 11:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【歌のトップテン】変更履歴

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