正力松太郎

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正力 松太郎
生誕 1885年4月11日
日本 富山県 射水郡 枇杷首村
出身校 東京帝国大学
  

正力 松太郎(しょうりき まつたろう、1885年(明治18年)4月11日 -1969年(昭和44年)10月9日)は、日本の警察官僚実業家政治家。元読売新聞社社主。従二位勲一等。富山県高岡市名誉市民。

目次

[編集] 人物

  • 読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。
  • 日本に於けるそれぞれの導入を推進したことで、プロ野球の父テレビ放送の父原子力の父とも呼ばれる。
  • 駒澤大学が上祖師谷グラウンド(野球部合宿所、駒澤大学球場)を購入する際に尽力したことを顕彰して、駒澤大学の開校80周年(1962年)の式典において、最初の名誉博士号が授与された。
  • 週刊新潮2006年2月16日号で、戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後は正力がCIAの意向に従って行動していたことを早稲田大学教授の有馬哲夫米国国立公文書館によって公開された外交機密文書を基に明らかにし、反響を呼んだ。
  • 志帥会(自由民主党伊吹派)の結成時からのメンバーの1人であった萩山教嚴は1957年から1969年まで正力の議員秘書であった。
  • アメリカ政府の公式文書により、CIAの代理人であったことが確認された。

[編集] 年譜

4月11日 - 富山県射水郡枇杷首村(後の大門町、現射水市)に土建請負業を営む父・正力庄次郎、母・きよの次男として生まれる
4月 - 旧制高岡中学(現富山県立高岡高等学校)入学
9月 - 第四高等学校入学[1]
- 三高との高専柔道の対校戦に優勝[2]
7月 - 東京帝国大学法科大学独法科入学[3]
7月 - 東京帝国大学卒業 内閣統計局に入る(同郷の南弘の推薦による)
11月 - 高等文官試験に合格
6月 - 警視庁入庁、警務部警務課勤務 警視総監・安楽兼道の義理の姪にあたる前田布久子(鹿児島出身)と見合い結婚したが、一女をなしてまもなく亡くなる その長女は8歳で早世した
6月 - 警視に任官、日本橋堀留警察署長
- 吉原波満と再婚
2月 - 牛込神楽坂署署長
9月 - 警視庁第一方面監察官 早稲田大学の学園騒動を鎮圧
10月 - 米騒動鎮圧の功により従六位に叙せられる
6月 - 警視庁警務部刑事課長
6月 - 警視庁官房主事
7月 - 正六位に叙せられる 兄定吉方より分家して一家を創立する
9月 - 関東大震災において「朝鮮人暴動の噂」を流布させる 昭和19年(1944年) - 警視庁での講演で、この虚報を「失敗だった」と発言(石井光次郎著『回想八十八年』)
10月 - 警視庁警務部長 虎ノ門事件
1月 - 虎ノ門事件を防げなかった責任を問われ懲戒免官 直後、摂政宮(のちの昭和天皇)婚礼により恩赦 読売新聞の経営権を買収、社長に就任
8月 - 京成疑獄事件に連座、禁固4ヶ月、執行猶予2年の判決をうける
- 大リーグ選抜チームを招聘、巨人軍創立
2月 - 右翼団体「武神会」長崎勝助のテロに遭い瀕死の重傷
5月 - 貴族院議員に勅選される
10月 - 小磯内閣顧問に就任
10月 - 第1次読売争議
12月 - A級戦犯に指定され、巣鴨拘置所に収容される[4]
1月 - 公職追放
9月 - 不起訴、釈放
10月 - 読売新聞、有限会社から株式会社に改組
10月 - 日本テレビ初代社長に就任(1955年まで務める)
8月 - 日本テレビ放送網本放送開始
2月 - 富山2区から衆議院議員選挙に出馬、当選
11月 - 第3次鳩山内閣北海道開発庁長官
1月 - 原子力委員会の初代委員長に就任
5月 - 初代科学技術庁長官に就任
7月 - 第1次岸内閣改造内閣で国務大臣(国家公安委員会委員長科学技術庁長官原子力委員会委員長)に就任
6月 - 読売新聞の社主に復帰
8月 - 読売テレビ放送会長に就任
6月 - 国会議員柔道連盟会長
- 財団法人日本武道館初代会長 駒澤大学より名誉博士号を授与される
11月 - 勲一等旭日大綬章を受章(没後、勲一等旭日桐花大綬章追贈)
6月18日 - 高岡市名誉市民、26日 - 大門町名誉町民
5月 - 報知新聞社社主に就任
10月9日 - 国立熱海病院で死去 叙・従二位 14日に日本武道館にて葬儀 柔道八段から十段に この年、サッカークラブチーム・読売クラブ(後の東京ヴェルディ)を立ち上げた これが事実上正力の最後の仕事となった

[編集] 警察官僚時代

警視庁官房主事として大正12年(1923年)6月の日本共産党に対する大規模な一斉取締り(第1次)や、同年9月に発生した関東大震災の際に予想された社会主義者の扇動による暴動に備えるための警戒・取締りを指揮した。直後、警務部長となるが、摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)の責任を問われ、懲戒免官となる。恩赦により懲戒処分を取り消されたものの、官界への復帰は志さなかった。

[編集] 新聞経営

大正13年(1924年)、番町会グループである郷誠之助藤原銀次郎ら財界人の斡旋と、帝都復興院総裁だった後藤新平の資金援助により、経営不振であった読売新聞社の経営権を買収し、社長に就任した。正力は、自社主催のイベントや、ラジオ面、地域版の創設や、日曜日の夕刊発行などにより部数を伸ばした。

[編集] 大リーグ招聘

昭和9年(1934年)、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグらが参加した大リーグ選抜チームを招聘した。アマチュア野球しか存在しなかった日本側でも全日本チームが結成された。後に同チームを基礎として大日本東京野球倶楽部(現讀賣巨人軍)が創設され、昭和11年(1936年)の第1回職業野球日本リーグに参加した。

正力は最初期と戦後の一時期を除いて巨人軍のオーナーを務め、また、巣鴨プリズンから釈放後の一時期、職業野球連盟の総裁(今で言うコミッショナー)に就任した。このような正力の業績を称え1959年野球殿堂入り。また日本プロ野球界に貢献した関係者を対象に、毎年正力松太郎賞が贈られている。

[編集] 襲撃事件

昭和10年(1935年)、本社玄関前で暴漢に左頸部を斬りつけられ重傷を負った。直接の実行犯の長崎勝助は右翼団体武神会の構成員(元、警視庁巡査)。取調べに対して、犯行に及んだ理由として、読売新聞が天皇機関説を支持したこと、正力が大リーグを招聘し、神宮球場を使用し「神域を穢した」ことなどを挙げた。だが、捜査・公判の進行により、競合他社東京日日新聞の幹部による指示があったとされた。

[編集] 遺訓

正力は巨人軍に対して、巨人軍憲章とも呼ばれる遺訓を残している。遺訓は以下の3つ。

  • 巨人軍は常に紳士たれ
  • 巨人軍は常に強くあれ
  • 巨人軍はアメリカ野球に追いつき、そして追い越せ

[編集] 家族 親族

  • 息子 (現:讀賣新聞社主、第2代東京讀賣巨人軍オーナー)
  • 娘 梅子(小林與三次読売新聞社社長夫人)、利子(関根長三郎よみうりランド社長夫人)

[編集] 系譜

正力家
正力家について、佐野眞一の著書『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』19頁に「元々一介の庶民の出だった父祖たちがこの地屈指の名家として名を成したのは、正力の祖父の庄助がこの地に度々災厄をもたらした庄川の氾濫を防いだ功による。江戸嘉永年間、庄助の発案になる鉄の金輪(かなわ)は、河川の氾濫で流れた古橋の抗を抜くための道具として卓効を発した。この功により庄助は奉行から苗字帯刀を許された。正力という姓は、この金輪(かなわ)に命名された正力輪から始まっている。正力家が土建請負業として大をなしたのはそれからだった。」とある。
庄助━庄次郎━松太郎━亨━源一郎

[編集] 参考文献

  • 神松一三 『「日本テレビ放送網構想」と正力松太郎』 三重大学出版会、2005年
  • 有馬哲夫 『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』 新潮社、2006年
    • 『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』 新潮新書、2008年

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 同級生に河合良成小松製作所会長)、品川主計読売ジャイアンツ代表)など
  2. ^ この時、団体戦で四高は三高に押されて負けムードが漂っていたが、大将である正力が巴投で二段の相手から逆転の一本勝ちをし、四高は優勝した。なお、この時正力自身は白帯だった。
  3. ^ 河合、品川のほか、重光葵(外相)、芦田均(首相・外相)、石坂泰三(経団連初代会長)などが同級。柔道と参禅に打ち込んだ。学業の方はまったく振るわず、試験前になると級友のノートを借りるのが東大時代の正力のならわしとなっていた。品川をはじめとする級友たちの間では、「正力があんなにノートを借りまくるのは、自分が勉強するためではなく、ノートを借した人間の成績を下げるためなのではないか」という悪評が広がった(『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』25頁)
  4. ^ 巣鴨の正力は娑婆にいるときとかわらぬ傍若無人さで同房者や収監者たちを閉口させていた。同房者を迷惑がらせたのはまず正力の大イビキだった。そのイビキは雷鳴以上で、たまりかねた同房者が下駄で正力の枕下の床板を叩いても一向にやむことはなかった(『巨怪伝 上 正力松太郎と影武者たちの一世紀』517-518頁)

[編集] 外部リンク


先代:
(就任)
日本テレビ放送網
社長
初代(1952年1955年
次代:
清水与七郎
(1955年~1967年
先代:
大久保留次郎
北海道開発庁長官
第11代:1955 - 1956
次代:
石橋湛山(事務取扱)
先代:
大久保留次郎
国家公安委員会委員長
第8代:1957 - 1958
次代:
青木正
先代:
(初代)
宇田耕一
科学技術庁長官
初代:1956年
第4代:1957年 - 1958年
次代:
石橋湛山(事務取扱)
三木武夫
先代:
(初代)
宇田耕一
原子力委員会委員長
初代:1956年
第3代:1957年 - 1958年
次代:
宇田耕一
三木武夫

最終更新 2009年10月26日 (月) 01:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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