武正公一
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| 生年月日 | 1961年3月23日(48歳) |
|---|---|
| 出身地 | 静岡県 |
| 出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
| 学位・資格 | 法学士 |
| 前職 | 埼玉県議会議員 |
| 所属委員会 |
外務副大臣 |
| 選出選挙区 | 埼玉県第1区 |
| 当選回数 | 4回 |
| 所属党派 | 民主党(野田グループ[1]) |
| 党役職 | 埼玉県連幹事長 決算・行政監視調査会長 |
| 会館部屋番号 | 第二議員会館312号 |
武正 公一(たけまさ こういち、1961年(昭和36年)3月23日 - )は、日本の政治家、衆議院議員(4期)。
党内では野田グループの中心人物の1人である。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] 生い立ち
1961年(昭和36年)、造船技師の息子として静岡県で生まれる。幼少時に埼玉県浦和市に転居。埼玉県立浦和高等学校卒業後、慶應義塾大学法学部政治学科に進学。卒業後に松下政経塾に入塾し、松下幸之助の薫陶を受けた。大学時代にはテニス部に所属し、中国にテニス指導に行くなど、スポーツを得意とし、1990年には「浦和プロサッカー球団をつくろう会」の発起人代表を務めた。
[編集] 県議会議員時代
1991年の県議会議員選挙では次点で落選したが、1995年4月の埼玉県議会議員初当選、1999年4月に再選された。2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に立候補し、衆議院議員松永光を破って埼玉県第1区から初当選を果たした。
[編集] 衆議院議員時代
2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では、保守新党の前職金子善次郎を大差で破り2度目の当選した。2004年の年金未納問題の際に4年6か月間未納であったことが発覚している。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風の吹き荒れるなか自民党候補の金子と接戦の末、3度目の当選を果たした。2006年9月、小沢一郎代表の下で民主党「次の内閣(NC)」総務担当大臣に就任。2008年の民主党代表選挙において、自身の派閥の長である野田佳彦の擁立を積極的に推進したが、最終的には、花斉会のメンバーからの同意を得られず、擁立は見送りとなった。
2009年のさいたま市長選挙において、民主党埼玉県連は清水勇人への支持を決定していたが、武正は、自民党埼玉県連・公明党県本部が推薦する相川宗一の集会に秘書を出席させるなど、相川への実質的な支援を行った[2] 。しかし民主党への追い風や、自由民主党衆議院議員の中森福代が議員辞職して市長選に立候補したため自民、公明党票が分裂し、相川は清水に敗れた。
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙に当選し同年9月に成立した鳩山由紀夫内閣にて外務副大臣に就任した。
[編集] 政治的主張
中華人民共和国を訪問した際、朱鎔基首相(当時)に対して、日本の石油備蓄基地の一部を中国の備蓄分として使用する提案をおこなったことがある[3]。また、北朝鮮による日本人拉致問題では被害者の会に参加し、ロシアによる漁船拿捕問題では、ロシアに強い抗議を行っている。
[編集] 政治資金
消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると日本共産党の機関紙「しんぶん赤旗」に指摘されている[4] 。
[編集] 余談・逸話
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- 金子善次郎(選出選挙区の自由民主党候補)
- 上田清司(埼玉県知事、元・衆議院議員)
- 神風英男(武正の元・政策秘書、衆議院議員)
- 浅野目義英(元・上尾市議会議長、元・政策秘書、埼玉県議会議員)
- 森岡洋一郎(元・公設秘書、衆議院議員)
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月17日 (火) 20:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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