武蔵 (格闘家)

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武蔵
基本情報
本名 森 昭生
通称 世界と戦うサムライ
日本のエース
階級 ヘビー級K-1
国籍 日本
誕生日 1972年10月17日(37歳)
出身地 日本
大阪府堺市南区
スタイル フルコンタクト空手
プロキックボクシング戦績
総試合数 84
勝ち 49
KO勝ち 19
敗け 29
引き分け 5
無効試合 1
  

武蔵(むさし、男性1972年10月17日 - )は、日本空手家キックボクサー。本名は森 昭生(もり あきお)。大阪府堺市南区出身。身長185cm、体重102.2kg。正道会館所属(弐段)。

リングネームムサシ。リングネームの由来は右も左も両方撃てる二刀流であることから。弟はキックボクサーのTOMO。トレーナーは元WBA世界スーパーミドル級チャンピオンのフランク・ライルズ

目次

[編集] 来歴

1995年9月3日、K-1 REVENGE IIでパトリック・スミスとデビュー戦を行い、2RKO勝ち。当時は83kgの細身であった。

1996年5月6日、K-1 GRAND PRIX '96で唯一の日本人として出場し、ベスト4まで進出した。本人はこの大会での大活躍を「ただのビギナーズラックでした。」と語っている。この大会以降、1999年初頭まで12試合で勝ち星が2つという大スランプに陥る。

1998年5月24日、K-1 BRAVES '98で佐竹雅昭と対戦し、5R引き分け。

1999年2月28日、敵地イギリスでカークウッド・ウォーカーの保持するWAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座に挑戦するも、1-2で判定負け。武蔵はダウンこそ奪えなかったものの攻撃は積極的であり、判定負けという結果に場内からはブーイングも起きたという。

1999年6月20日、K-1 BRAVES '99でカークウッド・ウォーカー(イギリス/王者)に3度目の挑戦(過去2度敗退)で、5R左ミドルキックでKO勝ちしWAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座を獲得。

1999年10月3日、K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦のGP1回戦で佐竹雅昭と再戦。1Rにダウンを奪われたものの5R判定勝ち。この判定に佐竹は激怒しK-1を去ることになる。試合後、「もし再戦ということであれば、自分はやります。自分は自分の闘いをやっただけ。その結果ジャッジがああいう結果を出して、僕はそれに従っただけです。でも、自分の闘いとして納得いくものではなかった、という不満は残ってます。」とコメントした。

1999年12月5日、決勝大会準々決勝では、ミルコ・"クロ・コップ"・フィリポビッチに2RKO負け。右ミドルキックでミルコのあばら骨にヒビを入れるなど好調な出だしだったが、バッティングや投げ技などの反則戦法でペースと右目の視界を失い、最後には背を向けてしまう精神的な脆さが見られた。試合後には「取りあえず練習してきた技は、ローも入ったしボディブローも入ったし、結構向こうは動揺していたと思う。だから、自分ではいい感じな出だしだったんで、力を出し切れないで悔しいですね。」とコメントした。

2000年1月25日、地元日本で全盛期真っ只中のピーター・アーツと対戦。1Rから左ミドルをヒットさせるなど本戦3Rを有利に進めたにもかかわらず、なぜか全ジャッジに30対30のドローとされ、スタミナの切れた延長RでKO負けを喫した。同大会では、試合をインタビュールームで観戦していた天田ヒロミが本戦3Rをドローとされたことに対して非常に驚いている様子が放送されている。この試合についてアンディ・フグは「アーツ戦こそが武蔵の弱さが出た試合だった。運良くアーツが不調だったのに最初から勝てないと諦めているから負けるんだ」とコメント(格闘技通信No.249のインタビューより)しており、日本人初のアーツ越えを不運な形で逃すこととなった。

2000年3月19日、アンディ・フグに5R判定負け。ジャッジの一人はドローを付けたことについてアンディ・フグは「ドローをつけたのは冗談だと思います。その審判はコメディアンか何かだったのでしょう」とコメントしている。また、大会後の格闘技通信では「武蔵流」という文字に大きく×マークが付いたマークが表紙を飾り、武蔵の完敗を現していた。

2000年7月7日、K-1 JAPAN GP 2000に出場。前年に続いてJAPAN GP2連覇を達成し、K-1を去った佐竹にかわりあらためて日本人最強を証明した。

2000年12月10日、決勝大会準々決勝でレイ・セフォーに1RKO負け。対戦予定だったマイク・ベルナルドが直前で欠場となり、急遽トリッキーなセフォーとの対戦が決まったことも災いし、素早い攻撃に対応できずに背を向けてしまうシーンも見られた。

2001年4月15日、アーネスト・ホーストに5R判定負け。1998年の試合では何もできずにKOされた相手とほぼ互角に渡り合ったことで、武蔵の成長が見られた。

2001年6月24日、エベンゼール・フォンテス・ブラガと対戦。前半は武蔵が優勢に試合を進めたが、ブラガがクリンチ状態から意図的に足を掛けて武蔵をマットに倒し、後頭部を強打。なんとか試合を続行するものの、それ以降は記憶のない状態で闘っていたと試合後に語っており、結局判定1-0のドローに終わる。このブラガの行為が「注意1」であったことに対し、武蔵は「あれで注意1じゃ反則したもん勝ちですね」と皮肉った。

2001年8月19日、2連覇中のJAPAN GPに出場。準々決勝で大石亨、準決勝で中迫剛にそれぞれ3R判定勝ちで決勝に進出するも、連続KOで勝ち上がってきたニコラス・ペタスに延長でダウンを奪われ判定負け。試合後、ジェロム・レ・バンナに「お前の方が強いのになぜ負けたんだ!」と叱られたという(「K-1 10年の奇跡」のバンナインタビューより)。また、同インタビューでバンナは武蔵について「俺達は同志だし、俺はすごい武蔵ファンなんだ。」と語っている。

2002年3月3日、K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYAでグラウベ・フェイトーザと対戦。試合終了後には互いに勝利をアピールしたが、お互いに決め手が無くドローに終わる。

2002年4月21日、K-1 BURNING 2002でK-1デビュー戦のセーム・シュルトと対戦。パンチを何度もヒットさせ判定にもつれ込むが、1-2の微妙な判定で敗れる。

2002年7月14日、K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKAでジョシー・デンプシーと対戦。パンチと蹴りを何度もヒットさせ判定勝ち。

2002年9月22日、JAPAN GPに出場し3度目の優勝を達成。2年ぶりに決勝大会へ進出する。

2002年12月7日、決勝大会準々決勝でジェロム・レ・バンナと対戦。アグレッシブに打ち合い会場を沸かせたが、攻撃力の差で徐々に押され2RKO負け。K-1最後の解説となった石井館長には「絶対に背中を向けちゃダメ。力はあるんだから自信を持って打ち合わないと」と指摘を受けた。

2003年6月29日、K-1 BEAST II 2003でモンターニャ・シウバと対戦。シウバが突然反則のマウントパンチを連打するという前代未聞の行動を取り、武蔵の反則勝ちとなる。武蔵はルールを無視したシウバに対して激しい怒りを見せた。K-1競技統括プロデューサーの角田信朗は、「モンターニャをK-1から追放したい。また出すようなら僕は競技統括を辞めます」と語った。

2003年7月27日、メルボルンでクリス・クリソポリディスと対戦。ボディを効かせ有利に試合を進めたが、相手の地元であったためドローとなった。

2003年9月21日、JAPAN GPに出場し4度目の優勝を達成。同大会にはモンターニャ・シウバも出場しており、武蔵が判定で勝利した。「(モンターニャを)また出すようなら僕は競技統括を辞めます」と語っていた角田信朗は結局辞めることはなかった。

2003年12月6日、K-1 WORLD GP 2003 決勝大会に出場。ジェロム・レ・バンナアーネスト・ホーストマーク・ハントステファン・レコミルコ・クロコップら優勝候補がことごとく欠場した大会ではあったが、準々決勝でレイ・セフォーに判定勝ち、準決勝ではピーター・アーツに2-0で判定勝ちし、佐竹雅昭(1994年大会)以来、日本人として9年ぶりのK-1 GP準優勝を記録した。しかし、セフォーが病気で体調不良であることを大会前日会見で明かしていたことに加え、アーツ戦の微妙な判定に対してもアーツは不満を示し、会場で観戦していたアーネスト・ホーストも「あれはアーツの勝ちか、最低でもドローで延長が妥当だ」と語った。だが、アーツ戦後の会場からは「武蔵コール」が起きていた。

2000年の初対決では微妙な判定で逃した日本人初のアーツ越えという快挙をついに達成したが、優勝候補不在の大会であったためあまり評価は上がらなかった。

2004年3月27日、K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMAでと対戦。押し倒された際に後頭部へのパンチを連打されるという反則攻撃を受けるが、試合を続行し判定勝ち。レフェリーの角田信朗がルールを無視した行動を取り、問題視された。

2004年5月3日、新日本プロレス所属の柴田勝頼異種格闘技戦を行い左ハイキックで勝利。この日、記者会見で柴田と乱闘したり、試合で倒れている柴田に攻撃(反則)したりと一度だけプロレスを体験する。

2004年6月6日、K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYAでレイ"マーシレス"マーサーと対戦。1Rにハイキックでダウンを奪い判定勝ち。

2004年9月25日、シリル・アビディを相手にキレのある動きで蹴り技を次々のヒットさせて判定勝ち。解説の谷川貞治と長嶋一茂にも絶賛され、昨年の準優勝者の実力を見せつけた。

2004年12月4日、K-1 WORLD GP 2004決勝大会の準々決勝で絶好調のレイ・セフォーと対戦。ハイレベルかつテクニカルな攻防戦となり、微妙な判定で勝利。同大会に出場していたアーネスト・ホーストは「今日の試合でも、レイ・セフォー選手と武蔵選手の試合でも、あれはどう見ても武蔵選手の勝ちというよりは、ドローになっていたら納得できたかもしれないが、あれはレイが勝っていたと、外から冷静に観ていて感じた。」と語っている。

準決勝ではガオグライ・ゲーンノラシンと対戦。素早い動きに手を焼くものの、徐々にローを効かせて延長判定勝ち。

決勝戦では、武蔵と同じく微妙な判定によって勝ち上がってきたレミー・ボンヤスキーと対戦し、第1Rにダウンを奪われるが、微妙な判定で延長に突入し、再延長戦の末に判定負け。大会後、武蔵とボンヤスキーの両者に対する贔屓判定に対して、大会主催者のFEGフジテレビに抗議の電話とメールが殺到した。大会から数日後、K-1公式サイトにて再審議の結果が発表されたが、判定は覆らなかった。

2004年12月31日、K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!でショーン・オヘアと対戦。2Rに左ハイキックでKO勝ち。

2005年4月30日、ラスベガスでリック・ルーファスと対戦。ローを効かせ有利に試合を進めたが、相手の地元であったため一人のジャッジはルーファスを支持し、スプリット判定での勝利となった。

2005年7月29日、K-1 WORLD GP 2005 in HAWAIIでリカルド・ノードストランドと対戦。蹴りを中心に試合をコントロールし、判定勝ち。

2005年9月23日、K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦でフランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタに蹴りを当てつつパンチを殺して判定勝ち。しかし、ジャッジの一人が「30-27で武蔵」と採点するなど、地元判定が現れていた。

2005年11月19日、K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦では、準々決勝でルスラン・カラエフと対戦し、延長判定勝ち。ローを連続して当てたものの、本戦終了間際と延長R終了間際でカラエフのラッシュを連続で被弾し、微妙な判定となった。

準決勝ではカラエフ戦で受けたダメージがたたり、グラウベ・フェイトーザに後ろに下がった隙をつかれ左跳び膝蹴りでKO負け。約3年ぶりのKO負けとなった。

2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!でボブ・サップと対戦。後頭部への反則パンチを連打されるという反則攻撃を受けるが、試合を続行し判定勝ち。アクシデント後も試合を続けたことに対して「あのままでも勝てたかも知れない。でも、お客さんが喜ばない勝ちなど欲しくない。ハンデはあるが、やることの方が大事だと思っていた」と語った。

2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASで前年優勝のセーム・シュルトに判定負け。

2006年7月30日、K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜で前年準優勝のグラウベ・フェイトーザとリベンジマッチを行う。試合終了間際にダウンを奪われ判定負け。両者の気持ちが全面に出た好勝負となり、実況・解説陣も絶賛した。武蔵のリベンジに対する強い思いが見られた一戦だった。

2006年9月30日、K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦で、GP初出場の新鋭ハリッド"ディ・ファウスト"に2-1の判定負け。この試合で武蔵はパンチの連打で圧倒され、顔中が腫れ上がり、全く良いところが無かったにもかかわらず、ジャッジの一人は武蔵を支持した。この件についてK-1プロデューサーの谷川貞治も「武蔵を支持したジャッジはおかしいですね」とコメントしていた[1]

2006年12月2日、K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦のGPリザーブマッチでピーター・アーツに1RKO負け。ハリッドに敗北したショックで出場するかどうか迷っていたこともあり、オファーを断らない武蔵にしては珍しく試合の受諾に時間がかかった[2]

2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で元砲丸投げ選手ランディ・キムと対戦しKO勝ち。大晦日にようやく2006年の初勝利を挙げた。

2007年3月4日、ヘビー級タイトル挑戦権をかけて藤本祐介と対戦。第3R終了時の判定でドローとなり、延長戦となるが、テレビ解説を務めていた武蔵と親交がある魔裟斗は「全ラウンドにおいて藤本選手が優勢でしたね。僕の判定は30-27で藤本選手の勝ちでいいと思います」とコメントした。そして延長ラウンド、藤本の左ハイキックを受けKO負け。K-1で初めて日本人相手に敗北。なおこの試合ではお互い手数が少なかったことから角田信朗から延長戦に入る前に「この展開が続くようであればタイトルに挑戦する資格なしとみなし両者失格にする」と注意を受けた。この角田の越権行為に対して谷川貞治は苦言を呈している。

2007年8月5日、K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONGで開催されたASIA GPへ出場。1回戦でパク・ヨンスローキックが開始から一分も経たない内に三度も股間に当たり深刻なダメージを負う。特に三回目に関しては、金的からの中断が終わり試合が再開した直後であり、ヨンスがインターバル中にまったく反省したそぶりを見せなかったこともあり、会場からもブーイングが起こった。

ドクターストップがかかるほど深刻な状態だったが、精神力の強さを見せて2RKO勝ち。この試合ではローブローを蹴ったヨンスに批判がある一方で、以前からあまりにも金的をくらい過ぎる武蔵のスタイルに対しても角田信朗が苦言を呈している。

この試合の決着場面で武蔵のパンチでヨンスがダウンした時に武蔵はニュートラルコーナーに戻ろうとしたが、ヨンスが失神して試合が終了したのを目で確認してから、急に向き直って倒れているヨンスにさらに追い討ちをかけようとするという反則を犯した。これは感情的に興奮状態になった勢いでやってしまったものではなく、「失神したのを確認してから追撃」という明らかに故意の反則行為であったため批判が集中したが、一方で普段から温厚で決して反則を犯さない武蔵がそれだけ怒るだけのことをヨンスがしたという見方もできる。武蔵がこれほどの怒りを見せたのは、相手がルールを無視してマウントパンチという暴挙を犯したモンターニャ・シウバとの一戦と、このパク・ヨンス戦のみである。

続く準決勝では、準々決勝で3度もローブローを受けてダメージの残る股間に王強の膝蹴りが当たり、セコンドからタオルが投入されて一度は武蔵の負けが宣告される。しかし、その直後に「相手の反則による休憩中のタオルは無効」と裁定され続行。裁定が覆ったことに加え、レフェリーが場内に状況を説明する際に王強の名前を忘れ「中国選手」と語るなど杜撰な運営を露呈し、場内からはブーイングが起こった。この休憩中に判定に不満を抱く王強がリングを出たため試合放棄と見なされ武蔵の勝利となったが、ダメージは大きくドクターストップがかかり決勝には王強が進出した。

2007年9月29日のK-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16へ主催者推薦枠での出場に最後の望みを寄せていたものの、澤屋敷純一が同枠で出場することになり、6年連続での本大会はならず。

2007年12月8日、K-1 WORLD GP 2007 FINALのスーパーファイトでデビッド・ダンクレイドと対戦。1R終了間際に左ミドルキックでKO勝ち。

2007年12月31日、「K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!」でベルナール・アッカと対戦。1R開始直後にアッカのラッシュで防戦一方となる場面もあったが、冷静に見切りスタミナ切れを誘い、3Rカウンターの左フックでKO勝ち。

2008年4月13日、K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA澤屋敷純一と対戦し、3ダウンを奪いKO勝ち。全盛期を思わせるキレのある動きを見せ、テレビ解説を務めていた魔裟斗も絶賛した。しかし、ダウンを奪ったハイキックを放った際に古傷である左膝を痛めてしまった。試合後のマイクアピールでは、「95年にデビューしてから突っ走ってきましたけど、あっという間に新しい選手が増えてきました。でもまだまだ自分の居場所はあると思います。年齢はオッサンかもしれないけど、オッサンパワーを見せるぞ!」とコメントした。バックステージでは、「澤屋敷選手はいい選手。うまく育ててほしいのに、不満のあるマッチメイクだった。ワンマッチなら考えますけど、トーナメントなら出るつもりはない」と話した。

2008年6月29日、K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKAで行われたK-1 JAPAN GPに出場。1回戦で前田慶次郎と対戦し、判定負け。試合後、谷川貞治K-1イベントプロデューサーは「武蔵選手は試合に出られる状態じゃなかったんです。左膝に水が溜まっていました。ですが、福岡を盛り上げないといけないですし、いろいろなことを考えて、澤屋敷純一選手が出られない中で出てもらったんです。主催者としては、可哀想なことをしてしまいました。今回は感謝していますよ。」と話した。

2008年9月27日、K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16エヴェルトン・テイシェイラと対戦し、3R判定負け。

2008年12月31日、「Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜」でK-1ルール初挑戦のゲガール・ムサシと対戦。「ムサシ」対決として試合前にゲガールから改名マッチを突きつけられた。日本の会場で行なわれた試合ではあったが、客層の多くがMMAファンであったため日本人の武蔵がブーイングを受ける独特の雰囲気での試合となった。試合はムサシの爆発力の前に何もできず1Rに3度のダウンを喫しKO負け。場内は大歓声に包まれた。試合後、「固くなってしまったところが一番ダメでした。何やってんだって感じですかね。こんなミスをしているようじゃ。試合前に谷川さんからK-1が負けっぱなしだから頼んだよと言われて、それがプレッシャーになったわけじゃないですが、試合で固くなってしまって情けない。次はK-1のリングでムサシとやりたいです。Dynamite!!はリングに上がったらアウェーな感じがしました。ずっとこの名前でやってきて変える気もないし、どんな名前に変えればいいかわからない。とりあえずは、もう一回ムサシとやりたいです。次はこんな感じじゃいかないぞと。来年はムサシとの再戦を目指してがんばります」とコメントした。これに対してゲガール・ムサシは呆れながら「僕は日本人でもなく、K-1ファイターでもないのに、勇気を出してアウェーである日本のリングでK-1ルールで武蔵と戦ったんだから、屈辱を晴らしたいなら僕が住んでいるオランダのリングで総合格闘技ルールで再戦するのが筋じゃないの?」とコメントしている[3]

2009年8月26日、年内での引退を発表。K-1で14年間戦ってきた花道として、ファン投票での開幕戦出場をファンと関係者に直訴した。この武蔵の願いに対し、EPの谷川貞治は「武蔵選手はほとんど主張しないタイプで、大会を盛り上げるために怪我をしているのに試合に出てもらったということがあります。」「いつも勝手なこと言ってる選手じゃないんで。初めてかもしれないですね、自分で出たいと言ったのは。わりと何でもこっちの言うことを聞いてくれる選手だったので。誰かとやりたいとか言ったことがないですね。逆にセーム・シュルトとやれと言っても断ったことはないですね。武蔵vsムサシも嫌だったと思いますし。」「そういう意味で感謝している部分もあるし、(開幕戦出場の直訴が)虫のいい話だとは思わないですね。ただし特別扱いは出来ません」と語った。その後、ファン投票枠でのGP出場が決定した。

2009年9月26日、K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16で引退を賭けジェロム・レ・バンナと対戦。戦前「最後まで武蔵流を貫く」と発言するも、今までのファイトスタイルとは違いパンチに重点を置いた打ち合うファイトスタイルを展開した。終盤にダウンを奪われ判定負けを喫するも韓国の会場からは大きな歓声と拍手が起こった。

[編集] 家族・親族

[編集] 人物

  • 最初に石井和義(正道会館元館長)に用意されていたリングネームは「ケンシロウ」。それを拒否したところ、「ムサシ(当時)」の名を挙げられ半ば諦めで承諾。最初は本名を望んでいたという事実がDynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜の煽りビデオで明かされた[4]
  • 1998年5月24日のK-1 BRAVES '98から「武蔵」と漢字のリングネームとなった。
  • 本人自ら「アウェーは苦手」と公言しており、先輩でアウェーに強かった佐竹雅昭とよく比較される。
  • ヘヴィメタルを始めとしたロックが好きで、音楽バラエティ番組「ヘビメタさん」ではジューダス・プリーストの名曲Painkillerを熱唱していた。
  • メタル好きが高じて、ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」に入場テーマ曲「The Battleship MUSASHI」を作ってもらった。その後、雑誌にてLOUDNESSのギタリストである高崎晃と対談している。
  • 趣味はルアーフィッシング。
  • 2006年、『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』に仮面ライダーコーカサス・黒崎一誠役として出演。
  • オートバイメーカー「ヤマハ」のイベントに出演することも多く、鈴鹿8時間耐久ロードレースにも姿を見せる。
  • 特徴のある厚いに関しては、それを過度に強調した自画像などを描かれることを嫌う一方(SRSの企画で、そのような絵を描かれた際、「正直、殺意が芽生えた」と発言した)、バラエティ好きの面もあり、自らよくネタにする。

[編集] 戦績

[編集] キックボクシング

キックボクシング 戦績
85 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
49 19 5 1
30 10
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× ジェロム・レ・バンナ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2009 IN SEOUL FINAL16
【1回戦】
2009年9月26日
× ゲガール・ムサシ 1R 2:32 KO(3ノックダウン:右フック) Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日
× エヴェルトン・テイシェイラ 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2008 IN SEOUL FINAL16
【1回戦】
2008年9月27日
× 前田慶次郎 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD GP 2008 IN FUKUOKA
【K-1 JAPAN GP 2008 1回戦】
2008年6月29日
澤屋敷純一 2R 2:16 KO(3ノックダウン:左ストレート) K-1 WORLD GP 2008 IN YOKOHAMA 2008年4月13日
ベルナール・アッカ 3R 1:26 KO(左フック) K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! 2007年12月31日
デビッド・ダンクレイド 1R 2:59 KO(左ミドルキック) K-1 WORLD GP 2007 FINAL
【スーパーファイト】
2007年12月8日
王強(ワン・チャング) 2R 2:00 試合放棄 K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG
【準決勝】
2007年8月5日
パク・ヨンス 2R 0:48 KO(パンチ連打) K-1 WORLD GP 2007 IN HONG KONG
【1回戦】
2007年8月5日
× 藤本祐介 延長R 1:23 KO(左ハイキック) K-1 WORLD GP 2007 IN YOKOHAMA
【K-1ヘビー級タイトルマッチ挑戦者決定戦】
2007年3月4日
ランディ・キム 3R 0:33 KO(右ストレート) K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! 2006年12月31日
× ピーター・アーツ 1R 2:53 KO(2ノックダウン:パンチ連打) K-1 WORLD GP 2006 in TOKYO 決勝戦
【リザーブマッチ】
2006年12月2日
× ハリッド"ディ・ファウスト" 3R終了 判定1-2 K-1 WORLD GP 2006 in OSAKA 開幕戦
【1回戦】
2006年9月30日
× グラウベ・フェイトーザ 3R終了 判定0-3 K-1 REVENGE 2006
K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO
〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜
2006年7月30日
× セーム・シュルト 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGAS 2006年4月29日
ボブ・サップ 3R終了 判定3-0 K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! 2005年12月31日
× グラウベ・フェイトーザ 2R 1:05 KO(左跳び膝蹴り) K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦
【準決勝】
2005年11月19日
ルスラン・カラエフ 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2005 in TOKYO 決勝戦
【準々決勝】
2005年11月19日
フランソワ・"ザ・ホワイトバッファロー"・ボタ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2005 in OSAKA 開幕戦
【1回戦】
2005年9月23日
リカルド・ノードストランド 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2005 in HAWAII 2005年7月29日
リック・ルーファス 3R終了 判定2-1 K-1 WORLD GP 2005 in LAS VEGAS 2005年4月30日
ショーン・オヘア 2R 0:44 KO(左ハイキック) K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! 2004年12月31日
× レミー・ボンヤスキー 延長2R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【決勝】
2004年12月4日
ガオグライ・ゲーンノラシン 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【準決勝】
2004年12月4日
レイ・セフォー 延長R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 決勝戦
【準々決勝】
2004年12月4日
シリル・アビディ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 in TOKYO 開幕戦
【1回戦】
2004年9月25日
レイ"マーシレス"マーサー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 in NAGOYA 2004年6月6日
3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA 2004年3月27日
ステファン・ガムリン 2R 0:53 KO(左膝蹴り) K-1 BURNING 2004 〜沖縄初上陸〜 2004年2月15日
× レミー・ボンヤスキー 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【決勝】
2003年12月6日
ピーター・アーツ 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【準決勝】
2003年12月6日
レイ・セフォー 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2003 決勝戦
【準々決勝】
2003年12月6日
藤本祐介 延長R終了 判定2-0 K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 決勝】
2003年9月21日
堀啓 2R 3:00 KO(2ノックダウン:左ローキック) K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 準決勝】
2003年9月21日
モンターニャ・シウバ 3R終了 判定3-0 K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 1回戦】
2003年9月21日
クリス・クリソポリディス 3R終了 判定0-0 K-1 WORLD GP 2003 in MELBOURNE 2003年7月27日
モンターニャ・シウバ 2R 1:50 反則失格(倒れた相手への攻撃) K-1 BEAST II 2003 2003年6月29日
角田信朗 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGAS
【角田信朗引退試合】
2003年5月2日
ゲーリー・グッドリッジ 5R終了 判定1-0 K-1 BEAST 2003 〜山形初上陸〜 2003年4月6日
× ジェロム・レ・バンナ 2R 0:51 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2002 決勝戦
【1回戦】
2002年12月7日
中迫剛 延長2R終了 判定3-0 K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【決勝】
2002年9月22日
富平辰文 3R終了 判定3-0 K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【準決勝】
2002年9月22日
天田ヒロミ 延長R終了 判定2-0 K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【1回戦】
2002年9月22日
ジョシー・デンプシー 5R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2002 in FUKUOKA 2002年7月14日
× セーム・シュルト 5R終了 判定1-2 K-1 BURNING 2002 〜広島初上陸〜 2002年4月21日
グラウベ・フェイトーザ 5R終了 判定0-0 K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA 2002年3月3日
野地竜太 5R終了 判定2-0 一撃 1.11 ICHIGEKI 2002年1月11日
× ニコラス・ペタス 延長R終了 判定0-3 K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 決勝】
2001年8月19日
中迫剛 3R終了 判定3-0 K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 準決勝】
2001年8月19日
大石亨 3R終了 判定3-0 K-1 ANDY MEMORIAL 2001 〜JAPAN GP 決勝戦〜
【JAPAN GP 準々決勝】
2001年8月19日
エベンゼール・フォンテス・ブラガ 5R終了 判定1-0 K-1 SURVIVAL 2001 〜K-1 JAPAN GP 開幕戦〜
【スーパーファイト】
2001年6月24日
× アーネスト・ホースト 5R終了 判定0-2 K-1 BURNING 2001 〜火の国熊本初上陸〜 2001年4月15日
× レイ・セフォー 1R 1:38 KO(2ノックダウン:フック連打) K-1 WORLD GP 2000 決勝戦
【準々決勝】
2000年12月10日
天田ヒロミ 3R終了 判定3-0 K-1 SPIRITS 2000
【K-1 JAPAN GP 2000 決勝】
2000年7月7日
安虎 1R 2:15 KO(2ノックダウン:ミドルキック) K-1 SPIRITS 2000
【K-1 JAPAN GP 2000 準決勝】
2000年7月7日
柳澤龍志 3R終了 判定3-0 K-1 SPIRITS 2000
【K-1 JAPAN GP 2000 準々決勝】
2000年7月7日
富平辰文 3R終了 判定3-0 K-1 SURVIVAL 2000
【K-1 JAPAN GP 2000 1回戦】
2000年5月28日
× アンディ・フグ 5R終了 判定0-2 K-1 BURNING 2000
【WKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】
2000年3月19日
× ピーター・アーツ 延長R 1:25 TKO(タオル投入:右ストレート) K-1 RISING 2000 2000年1月25日
× ミルコ・クロコップ 2R 1:13 KO(2ノックダウン:左アッパー) K-1 GRAND PRIX '99 決勝戦
【準々決勝】
1999年12月5日
佐竹雅昭 5R終了 判定3-0 K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦
【1回戦】
1999年10月5日
ノブ・ハヤシ 3R終了 判定3-0 K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 決勝】
1999年8月22日
天田ヒロミ 3R終了 判定3-0 K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 準決勝】
1999年8月22日
長井満也 1R 3:00 KO(左ミドルキック) K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 2回戦】
1999年8月22日
吉岡基治 1R 2:13 TKO(レフェリーストップ:パンチ連打) K-1 SPIRITS '99
【K-1 JAPAN GP '99 1回戦】
1999年8月22日
カークウッド・ウォーカー 5R 1:50 KO(左ミドルキック) K-1 BRAVES '99
【WAKO PRO世界ムエタイヘビー級タイトルマッチ】
1999年6月20日
ゲーリー・グッドリッジ 1R 2:15 反則失格(ローブロー) K-1 REVENGE '99 1999年4月25日
グレッグ・ボイティチェック 2R 2:03 KO(3ノックダウン:右ローキック) K-1 THE CHALLENGE '99 1999年3月22日
× カークウッド・ウォーカー 5R終了 判定 LOADS OF THE RING III
【WAKO PRO世界ムエタイヘビー級タイトルマッチ】
1999年2月28日
ダンカン・ジェームス 2R 2:52 TKO(3ノックダウン:右ストレート) K-1 RISING SUN '99 1999年2月3日
× マイケル・トンプソン 5R終了 判定0-2 K-1 JAPAN '98 〜神風〜 1998年10月28日
× アーネスト・ホースト 3R 2:52 TKO(レフェリーストップ:右アッパー) K-1 DREAM '98 1998年7月18日
佐竹雅昭 5R終了 判定0-0 K-1 BRAVES '98 1998年5月24日
× マイケル・トンプソン 5R終了 判定0-3 K-1 FIGHT NIGHT '97 1997年6月7日
× カークウッド・ウォーカー 5R 1:12 KO(右ストレート) K-1 BRAVES '97
【WAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座決定戦】
1997年4月29日
× ブランコ・シカティック 4R 1:38 TKO(タオル投入:右ストレート) K-1 KINGS '97 1997年3月16日
× アンディ・フグ 5R終了 判定0-3 K-1 HERCULES '96 1996年12月8日
ジャン・リビエール 5R終了 判定3-0 K-1 STAR WARS '96 1996年10月18日
サム・グレコ 3R 0:22 ノーコンテスト K-1 REVENGE '96 1996年9月1日
× サダウ・ゲッソンリット 判定 象ビール世界崩壊戦
【WMTC世界クルーザー級王者決定戦】
1996年7月20日
× マイク・ベルナルド 3R終了 判定0-3 K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦
【準決勝】
1996年5月6日
サム・グレコ 1R終了時 TKO(ドクターストップ:右足指負傷) K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦
【準々決勝】
1996年5月6日
キット・ライキンズ"ザ・ホワイトドラゴン" 1R 0:37 KO(左ローキック) K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦
【1回戦】
1996年3月10日
× スタン・ザ・マン 5R終了 判定0-3 K-1 HERCULES 1995年12月9日
パトリック・スミス 2R 0:43 KO(左ハイキック) K-1 REVENGE II 1995年9月3日

[編集] 空手

勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× 子安慎悟 再延長終了 判定0-3 カラテワールドカップ '95
【3位決定戦】
1995年10月8日
× 金泰泳 再延長終了 判定0-5 カラテワールドカップ '95
【準決勝】
1995年10月8日
西田操一 再延長終了 体重判定 カラテワールドカップ '95
【準々決勝】
1995年10月8日
岸川新 本戦終了 判定5-0 カラテワールドカップ '95
【3回戦】
1995年10月8日

[編集] 獲得タイトル

  • カラテワールドカップ '95 第4位
  • WAKO PRO世界ムエタイヘビー級王座
  • K-1 JAPAN GP 2001 準優勝
  • K-1 JAPAN GP 1999、2000、2002、2003 優勝
  • K-1 WORLD GP 2003 準優勝
  • K-1 WORLD GP 2004 準優勝

[編集] ファイトスタイル

武蔵流といわれる相手の攻撃をかわしながら放つカウンター攻撃や、ハイの初期軌道で左ミドルを打つフェイントキックで、日本のエースとして数多くの強豪と戦ってきた。ディフェンス技術やミドルキック、パンチを打った直後にクリンチで反撃を逃れるクリンチワークに長けており、アーネスト・ホーストピーター・アーツにもこの部分に関しては評価されている[5][6]。また、基本的に足を使ったアウトボクシングスタイルで戦うため、引いたところにパンチを合わせられて倒れる実質ダメージのないダウンが多い。

最大の特徴はKO勝ちが少ないことである。自ら意図的に判定に持ち込むファイトスタイルのため、ミスター判定、判定王などと皮肉られることが多い。武蔵自身は「トーナメントは判定でも勝たなきゃいけない」「僕は元々ミドル級の骨格で造り上げたヘビー級。パワーではナチュラルなヘビー級には敵わない。」と判定狙いであることを堂々と公言してはいるが、結局ワンマッチでもそのスタイルは変わらない。また、日本人は体格的にナチュラルなヘビー級の人が皆無で、外国人に絶対的な腕力で劣っていることからの戦術だともしている。アーネスト・ホーストピーター・アーツも武蔵について「武蔵は技術面に関してはよくできているが、必要なのは攻撃力だ」という趣旨のコメントをしている[5][6]。そんな武蔵に対し、フジテレビすぽると!の番組はゲガール・ムサシに「倒せる方のムサシ」というキャッチコピーを付けて皮肉った[4]

キャリアの前半には対戦相手に背中を向けて逃げ回っていたこともあり、その際に後頭部に攻撃を受けることについて武蔵は不満を示していたが、「相手の攻撃がヒットしたから怯えて逃げようとして自分から背中を向けた時に後頭部に当たったのだから自業自得。“相手の攻撃を避けるのが武蔵流”自分で宣言しておきながら、相手の攻撃を避けきれずにくらったのだから言い訳に過ぎない」と批判された。(格闘技通信2001年1月14日増刊号)

生前のアンディ・フグも武蔵について「武蔵には生まれつきファイティング・スピリットが全く無い。根本的に精神力が弱く、最後はいつも心が折れてしまうし、怯えているから相手に背中を向けて逃げ回っている。“絶対にギブアップしない”というスピリットが無いし、試合でも自分から攻めようともしない。日頃から甘ったれた考えで練習しているから、いつまでも駄目なままなんだ」と辛辣な批判を何度も繰り返していた。(格闘技通信No.249のインタビューより)。

しかし、強豪選手との試合を通して精神的に成長し、2003年にはピーター・アーツに「以前に比べるとメンタルな面は強くなったと思う。以前は効いた攻撃が入ると、それで崩れるところがあったが、今回はそれがなかった。成長してきたと思う。」と、その成長を認められた[5]。それを裏付けるように、以前は試合中に劣勢になると敵に背を向ける場面が非常に多く見られたが、2003年以降は劣勢になった際に意図的に背を向けるシーンはほとんどない。

サウスポーであることも影響してか、試合中にローブロー(下腹部への攻撃)を受けることが多い。同様に悪質な反則攻撃を受けることも多く、モンターニャ・シウバ戦やボブ・サップ戦、パク・ヨンス戦、戦などは代表的な例である。しかし、相手の反則攻撃によって自ら試合を放棄したことは今まで一度もなく、止まった試合もドクターストップでやむなくというケースのみである。それ以外の試合では、どのような反則攻撃を受けても自ら続行を申し出て最後まで戦い抜くという精神的な強さを持つ。また、怪我をしていても無理をして出場したり、どのような選手との試合をオファーされても受けて戦うなど、K-1創成期の選手らしい殊勝な面もある。

[編集] テレビ出演

[編集] CM

[編集] 映画出演

[編集] PV出演

[編集] 脚注

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

前王者
カークウッド・ウォーカー
WAKO PROムエタイ世界ヘビー級王者

1999年6月20日 - 不明

次王者
N/A

最終更新 2009年11月30日 (月) 15:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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