歴史的仮名遣
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歴史的假名遣(仮名遣、れきしてきかなづかひ/かなづかい)とは、仮名遣の一種である。復古仮名遣とも呼ばれ、また現代仮名遣いと対比し旧仮名遣もしくは正仮名遣とも呼ばれる。
目次 |
[編集] 特徴
現代仮名遣いに比して語源主義・文法主義であり、すなわち発音に比して変化しにくい、あるいは変化することのない語源、文法を基準とするため、歴史的変化による影響を受けにくい利点があり、現在でも一部の人々に使用されている。
歴史的假名遣の典拠は多く設定することができるが、一般には契沖による契沖仮名遣を修正・発展させた戦前(明治から第二次世界大戦終結前まで)の学校教育で用いられた物であり、平安初期の発音を反映した表記と仮想されたものを基点としている。戦後の1946年には、国語国字改革の流れによって告示された「現代かなづかい」まで、国語表記に際して公教育の場で仮名遣として教えられていた。現在の公教育では古典教育でのみ使用される。
本稿では、一般的な仮名による正書法の意味では「仮名遣」、思想の異なる二系統を「歴史的假名遣」「現代仮名遣い」として、表記を統一する。「現代かなづかい」とする場合は「現代仮名遣い」以前の物である。
[編集] 歴史
仮名遣も参照。
- 国語表記の始まった上代の萬葉假名では、上代特殊仮名遣が行われる。
- 平安初期に仮名文字が発展して萬葉假名が衰頽する。同時に上代特殊仮名遣も衰頽する。
- 平安中期になると、天地の歌にみられるような、ヤ行のエの区別が上代特殊仮名遣の衰頽と共に薄れる。
- 平安中期から後期にかけて大規模な音韻の変化「ヰ・ヱ」の「イ・エ」への同化があったと推察される。この頃から表記が乱れ始める。何らかの規範、仮名遣を必要とする動きが生まれる。
- 平安後期に藤原定家の下官集などで定家仮名遣が示される。辞書的な仮名遣であった。
- 定家の命によって源親行が拾遺愚草を清書、孫の行阿がそれを補充整理して増補された行阿仮名遣を定め、假名文字遣を著す。江戸時代までは、これらの仮名遣が整理されて使われていた。
- 江戸初期の元祿時代に契沖が和字正濫抄を著し、行阿までの仮名遣を改め、契沖仮名遣を定める。古典研究により定めた点で画期的であった(国文学の原流となる)。契沖は「語義の書き分け」のためにあると結論した。譬えば「居(ゐ)る」と「入(い)る」など。時枝誠記はこれを「語義の標識」と呼んだ。
- 江戸中期には楫取魚彦や本居宣長が契沖仮名遣を修正する。ここに歴史的假名遣は表記の上でほぼ完成の域に達する。
- 同時にこの頃に本居宣長は字音仮名遣を定める。字音仮名遣の賛否は、現在の歴史的假名遣論者でも分かれる。
- 江戸後期には本居宣長の弟子石塚龍麿が「古諺清濁考」「假名遣奧山路」を著し、上代特殊仮名遣の存在が明らかとなる。
- 奧村榮實が古言衣延辨で、石塚龍麿による上代特殊仮名遣を、過去の発音の相違によると推定する。上代特殊仮名遣の研究は大正六年に橋本進吉博士が「帝國文學」で発表、昭和六年九月に「上代の文獻に存する特殊の假名遣と當時の語法」を発表、昭和十七・八年ころには凡そ国文学の中で認められた。
- 明治時代になって公教育では以上の流れを汲む仮名遣を採用する。歴史的假名遣とは契沖仮名遣と字音仮名遣であった。
- 明治三十三年に表音化の動きがあるも、反対にあって頓挫する。三十三式とも呼ばれる。臨時仮名遣調査委員会。
- 昭和十七年に橋本進吉が「表音的假名遣は假名遣にあらず」を発表する。
- 昭和に入ると、橋本や時枝によって、「歴史的假名遣」は「語」に基づいて「語」を綴るものと定められ、「語義の標識」はその結果であるとして否定される。
- 昭和二十一年に一連の国語改革の流れにのって「歴史的假名遣」は古典を除いて公教育から姿を消し「現代かなづかい」が公示される。
- ほぼ同時期にローマ字教育が始まる。国語改革は国語審議会の答申により内閣が閣議決定した。
- 昭和六十一年に「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」へと修正される。
そして現在に至るが、現在でもどちらがよいか、どのような仮名遣が理想かで論争が続いている。
[編集] 背景
時代とともに国語の音韻は変化したと推測されている。
- 平安初期に上代特殊仮名遣の消失、甲類乙類の同化。
- 平安初期から中期にかけた上代特殊仮名遣の衰頽に合わせて、ヤ行のエと「エ」の区別が消失。
- ハ行転呼が平安初期(奈良時代にあるとする論あり)から長い時間をかけて滲透、鎌倉時代には「ハヒフヘホ」が「ワイウエオ」に同化。
- 平安中期あたりから「ヰ」「ヱ」と「イ」「エ」の混同が見られ、鎌倉時代にはほぼ合一する。
だいたいこれが主な表記同化の流れである。表記が同化した理由は、多く「音韻が変化したため」と推測されているが、上代特殊仮名遣に関しては特に異論が絶えない。ともかく何らかの理由、一般には音韻変化により表記が変則的な物となり、合理性や正則性を重んずる上で不都合が生じたと推測されている。「假名文字遣」の序文には「文字の聲かよひたる誤あるによりて其字の見わきかたき事在之(文字の音が重なって誤りがあるから、だからその文字の区別を示す)」とあって、つまり変則を誤りとして、正しい表記を指南する必要が生じた。これが仮名遣が考えられるようになった興りである。
具体的には鎌倉時代初期に藤原定家は古い文献を精査した上で「を・お」「え・ゑ・へ」「い・ゐ・ひ」の区別に就いて下官集などで論じた。定家によって拾遺愚草の清書を命じられた源親行やその孫・行阿が補正・増補を行い、假名文字遣を著した。ここに定家仮名遣が成立し、以後も修正がなされた。
定家仮名遣は江戸時代まで正式なものとして歌人の間などに普及した。しかし定家らの調べた文献は十分古いものではなく、すでに仮名遣の混乱を含んだものであった。またいくつかの語に就いては高低アクセントに基づいて表記が決定されたため、上代のものと異なる仮名遣が「正しい」とされた場合があった。仮名遣がより実証的な物となる研究は国学と契沖の「契沖仮名遣」に始まるのである。
[編集] 制定
江戸時代になって契沖は万葉集(萬葉集)などより古い文献を調べ、定家仮名遣とは異なる用法が多く見られることを発見し、それを改訂して復古仮名遣を創始した。その後、本居宣長らにより理論的な改訂がなされ、さらに明治以降の研究によって近代的な表記法として整備された。
[編集] 明治以降
明治維新前後以来、国語の簡易化が表音主義者によって何度も主張された。それらは漢字を廃止してアルファベット(ローマ字)や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代りにフランス語を採用するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的假名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することで国語教育にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきであると表音主義者は主張した。これに対して森鴎外(彼は陸軍省の意嚮も代辨した)や芥川龍之介といった文学者、山田孝雄ら国語学者の反対があった。民間からの抵抗も大きく、戦前は表音的仮名遣の採用は見送られた。
敗戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民主化政策の一環として来日したアメリカ教育使節団の勧告により政府は表記の簡易化を決定、国語審議会の検討による「現代かなづかい」を採用、内閣告示で実施した。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的假名遣は旧仮名遣(旧かな、舊假名)と呼ばれる様になった。
なお漢字制限も同時に為され、当用漢字(現・常用漢字)の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」や「表外字の置換え」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。当用漢字以後は人名用漢字が司法省(法務省)により定められ、漢字制限はJISも含めて渾沌とした物となっている。歴史的假名遣論者では多く漢字制限にも反撥することが多い。福田恆存などは、全ては国字ローマ字化のためである、漢字制限に際しては改革案がCIEの担当官ハルビン氏によって「傳統的な文字の改變は熟慮を要する」一蹴されたにも拘らず断行した、と糾弾している(後述)。
歴史的假名遣論者からも字音仮名遣に対して批判があがることがあり、字音仮名遣と歴史的假名遣に対する立場は一様ではない。
[編集] 現代かなづかいへの批判
この国語改革に対しては、批評家・劇作家の福田恆存が『私の國語教室』を書いて現代仮名遣いの論理的な矛盾を衝き、徹底的な批判を行った。現代仮名遣いは、表音的であるとするが一部歴史的假名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的假名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的假名遣の規則に準じて定められたものである。
また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「表意主義者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。1986年に内閣から告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。
[編集] 歴史的假名遣の現在
「現代かなづかい」は戦後速やかに定着し、1970年代以降は、小説や詩のほとんどが「現代かなづかい」で書かれるようになっている。しかし不完全な現在の「現代仮名遣い」の見直しを含む国語改革と歴史的假名遣の復権を主張する人は今も残る。現存の作家では阿川弘之、丸谷才一、大岡信、高森明勅等、学者では小堀桂一郎、中村粲、長谷川三千子等がそれであり、井上ひさし[1]や山崎正和にも歴史的假名遣によって発表された著作がある。また最近では個人がインターネット上に文章を発表することが可能となっているため、今日でも一部では歴史的假名遣が使用されている状況が窺われる。
なお現代仮名遣いは原則として口語文に就いてのみ使用される、古典文化には干渉しないとしたため、文語文法によって作品を書く俳句や短歌の世界においては歴史的假名遣の方が一般的である。
[編集] 固有名詞
固有名詞においては現代でも歴史的假名遣が使用されている場合がある。
こちらは字音仮名遣である。
- 智頭町(ちづちょう)
[編集] 概要
ここでは主に歴史的假名遣だけを中心とするが、現代仮名遣いとの比較は仮名遣も参照。
[編集] 理念
歴史的假名遣の理念は「語に従う」ことである。文字を遣いわける方法であるとか、言葉を書き分けるなどは結果であって、目的ではない。
(一)假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつてゐるのであるが、現今普通には、そんな廣い意味でなく、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」、「お」と「を」と「ほ」、「わ」と「は」のやうな同音の假名の用法に關してのみ用ゐられてゐる。さうして世間では、これらの假名による國語の音の書き方が即ち假名遣であるやうに考へてゐるが、實はさうではない。これらの假名は何れも同じ音を表はすのであるから、その音自身をどんなに考へて見ても、どの假名で書くべきかをきめる事が出來る筈はない。それでは假名遣はどうしてきまるかといふに、實に語によつてきまるのである。「愛」も「藍」も「相」も、 その音はどれもアイであつて、そのイの音は全く同じであるが、「愛」は「あい」と書き「藍」は「あゐ」と書き「相」は「あひ」と書く。同じイの音を或は「い」を用ゐ或は「ゐ」を用ゐ或は「ひ」を用ゐて書くのは、「愛」の意味のアイであるか、「藍」の意味のアイであるか、「相」の意味のアイであるかによるのである。單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味があるのであるから、假名遣は、單なる音を假名で書く場合のきまりでなく、語を假名で書く場合のきまりである。
この事は古來の假名遣書を見ても明白である。例へば定家假名遣といはれてゐる行阿の假名文字遣は「を」「お」以下の諸項を設けて、各項の中にその假名を用ゐるべき多くの語を列擧してをり、所謂歴史的假名遣の根元たる契沖の和字正濫抄も亦「い」「ゐ」「ひ」以下の諸項を擧げて、それぞれの假名を用ゐるべき諸語を列擧してゐる。楫取魚彦の古言梯にいたつては、多くの語を五十音順に擧げて、一々それに用ゐるべき假名を示して、假名遣辭書の體をなしてゐるが、辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない。これによつても假名遣といふものが語を離れて考へ得べからざるものである事は明瞭である。
表音的假名遣といふものは、國語の音を一定の假名で書く事を原則とするものである。その標準は音にあつて意味にはない。それ故、如何なる意味をもつてゐるものであつても同じ音はいつも同じ假名で書くのを主義とするのである。「愛」でも「藍」でも「相」でもアイといふ音ならば、何れも「あい」と書くのを正しいとする。それ故どの假名を用ゐるべきかを定めるには、どんな音であるかを考へればよいのであつて、どんな語であるかには關しない。勿論表音的假名遣ひについて書いたものにも往々語があげてある事があるが、それは只書き方の例として擧げたのみで、さう書くべき語の全部を網羅したのではない。それ以外のものは、原則から推して考へればよいのである。然るに古來の假名遣書に擧げた諸語は、それらの語一つ一つに於ける假名の用法を示したもので、そこに擧げられた以外の語の假名遣は、必ずしも之から推定する事は出來ない。時には推定によつて假名をきめる事があつても、その場合には、音を考へていかなる假名を用ゐるべきかをきめるのではなく、その語が既に假名遣の明らかな語と同源の語であるとか、或はそれから轉化した語であるとかを考へてきめるのであつて、やはり箇々の語に於けるきまりとして取扱ふのである。
以上述べた所によつて、古來の假名遣は(定家假名遣も所謂歴史的假名遣も)假名による語の書き方に關するきまりであつて、語を基準にしてきめたものであり、表音的假名遣は假名による音の書き方のきまりであつて、音を基準としたものである事が明白になつたと思ふ。– 表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)
「語に従う」とは、「音」が「語」を構成し認められるにつれ、「表音文字」であった仮名文字が観念に於いて「表語文字」或いは「表意文字」へと変わる(則ち「單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味がある」)ことを述べる。また定家仮名遣が辞書的であると述べているが、「辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない」ことから、歴史的假名遣は誕生当初から語を綴ることを目的としたと橋本博士は述べる。
一方で仮名の表音性は重視すべきことかと云えばそうではないと論じる。現代仮名遣いが表音を本則とするのに際して、歴史的假名遣は表語(表意)を本則とするのである。「歴史的假名遣」の本質は、「國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるか〔同上(5)より抜萃〕」が問題になったのであり、「文語(文字言語)」や「口語(音声言語)」に基づく仮名遣は「仮名遣」としては別の物なので注意すべきだと警告した。
留意しておきたいのは、音を明確に示したい場合に表音的仮名遣を遣う余地が歴史的假名遣にはある点である。歴史的假名遣では、擬音や方言(方言の読みを示したい乃至語源がよくわからない場合、狭義の音便を含む)は飽くまで「音」であるから「音の書き方のきまり」である表音的な假名遣を用い、それが「語」になって初めて「語を書くきまり」である歴史的假名遣を遣うとよい、と橋本博士は述べている(昭和十五年の「國語の表音符號と假名遣」も参照)。歴史的假名遣では表音的な表記ができないというのは誤謬であろう。
[編集] 表音か否か
歴史的假名遣が誕生より表音を目指した物であるか、それとも表意を目指した物であるか。先ほど橋本博士の論から表意を目指したと述べたけれども、改めて整理してするために次の一節を引用する。
(五)《前略》假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。即ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。《後略》
– 表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)
以上は「表音的假名遣」が「仮名遣」ではないとするその結論の一部である。なお「現代語の語音に基づく」べしとする「現代かなづかい」では、多く「歴史的假名遣」が「古代語の音に基づいている」とされ、橋本博士の主張とは異なる。次は金田一博士の論である。
《前略》いわゆる歴史的かなづかいは、古代語の語音に基づいている。すなわち、旧かなづかいは、古代語を書いていたものであるが、現代かなづかいは、現代語を書くことにするということである。《後略》
– 新かなづかい法の学的根拠(金田一京助)抜萃
ここは歴史的假名遣論者と現代仮名遣い(若しくは表音主義)論者との決定的な違いであるが、福田恆存はこのことを「仮名の音節文字という一面しかみていない」と糾弾する。歴史的假名遣からみれば仮名の表音性は便利であるけれども、「仮名遣」は「語」を綴らねばならないので、音ではなく語に基づかねばならない。歴史的假名遣は語に基づく事を理想とするけれども、時には擬音語や音便のような一定の表記が無い表記のために音に基づく必要があり、此の時に仮名が音節文字である現実を利用すればよいと福田は主張した。
同様の事を国語審議会主査委員であり、主査委員二〇名のうち唯一「現代かなづかい」制定に反対した時枝博士は次のように述べる。
云はば、表音主義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは、古典假名遣の困難をば救はうとして、更に表記の不安定といふ別個の問題をひき起こすことになるのである《中略》
傳統は、單に無意味な文字の固定を、ただ傳統なるが故に守らうとするやうなものではない。本來表音的文字として使用せられた假名は、時代と共に、表音文字以上の價値を持つものとして認識せられて來る。それは觀念の象徴として、例へば、助詞の「を」「は」「へ」の如きはその最も著しいものであつて、ここに於いて文字發達史の通念である表意文字より表音文字への歷史的過程とは全く相反する現象が認められるのである。
時枝博士は、国語審議会の委員から違和感が多いからと妥協することになった「現代かなづかい」共通の表記「を」「は」「へ」の例をあげて、観念では語のうちに表音より表意が優位であると、現象のうちに歴史的假名遣は、表音(古代の音韻)ではなく、表意に基づく物であると述べた。
[編集] 表記法
歴史的假名遣を綴る上で実際に気をつけねばならないのは、以下の四行(読む上では三行)に跨がる物、それと濁音の一部で、あとは考慮する必要がない。字音仮名遣については別項で扱う。
- じぢ/ずづ(四つ仮名)
- あいうえお
- はひふへほ
- やいゆえよ(註:ヤ行に際し読む上の別は不用)
- わゐうゑを
- ヤ行は意外な盲点であるが、「ヤ行下二(上二)段活用」の「越える」「絶える」などを、歴史的假名遣に慣れてくると、「食ふ」「問ふ」などにつられて、「越へる」としがちである。古典の勉強で憶えさせられるように、ワ行下二段活用などと合わせて憶える必要がある。また語中・語尾において「ア行」で綴ることが少ないのが特徴である。これはア行が発音しにくいからとされている。
動詞の活用形の判断に使用する終止形の活用語尾も含めて、以下で簡単に纏めると、
- ア列:は行・わ行
- イ列:あ行(や行)・は行・わ行
- ウ列:あ行(わ行)・は行
- エ列:あ行(や行)・は行・わ行
- オ列:あ行・は行・わ行
これらを区別して表記できねばならない。括弧は先述の「ヤ行下二(上二)段活用」や「ワ行下二段活用」などを判断する為である。表記の上での差異は括弧付きではない部分の13箇所、それと濁音の4箇所である。
[編集] 歴史的假名遣の習得法
ここでは体系だった歴史的假名遣の法則を整理してみたい。
そもそも心得ておきたいのだが、文字の書き方という物は長い時間をかけて話者の成長と共に教わる物(小学校で習う千を越える漢字を一日で、カナ全部を一日で憶える、こういう性急な勉強には大変な労力を要する事を想像して欲しい)であり、「現代仮名遣い」よりも記憶すべき事項が多いであろう「歴史的假名遣」を、一朝一夕この一項を読んだだけで、いざ習得できるとはとても思えない。その習得に際しては活用形、動詞、形容詞、ある程度の文法的な見分けがつく学力を養う方が後々便利ではあるが、譬えば終止形を知らなくても、名詞「問ひ」が動詞「問ふ」と関聯している(同じハ行である)という程度の判断ならば可能であろう。このように本来なら文法事項を必要としない物であるが、表記法の自然習得は総当たり式である程度時間がかかるので、従って文法事項による説明、機械習得が中心となり、説明をつくしきれない例外は多くあると思われる。なお「現代仮名遣い」を習得し古典の勉強もしたという場合は、先に「現代仮名遣い」での修正法を参照しておいた方が事項の整理が早くつくかもしれない。
以下の構成は大筋で「私の國語敎室」の「第三章 歷史的かなづかひ習得法」によったが、語源の解釈部分の大半は削った。また現代語の語彙が中心ではあるもの、必要により上代語(ヲツなど)を含むことがある。本則と準則にわけてあるが、本則は歴史的假名遣の表記全般に見られる一番の原則、準則はその表記全般の例外である。本則の部分は慣れでどうにかなるが、準則は虱潰し、知っていても書けない漢字を辞書で調べるように調べる他は無い。英語の綴りを必死に憶えるように憶える他は無いのであるから注意して欲しい。ここにあるものが全てではないと重ねて注意を喚起しておく。
- [wa]音:わ・は
- [u]音:う・ふ
- [o]音:お・ほ・を
- [e]音:え・へ・ゑ
- [i]音:い・ひ・ゐ
- [ʒi]音:じ・ぢ
- [zu]音:ず・づ
以上のわづか七音を、仮名十七字を以て如何に語を綴るか、これが「歴史的假名遣」の内容である。ハ行の文字「はひふへほ」は知っての通り「ハヒフヘホ/ワイウエオ」と読む音が与えられ「一字二音」であるから注意が必要である。「ゐ」「ゑ」は現代仮名遣いでは扱わない文字であるから、書き方を特別に憶える必要などがあるだろう。なお発音は目安であるから四つ仮名等音の問題は深く追究しない。
[編集] 歴史的假名遣の傾向
[編集] 歴史的假名遣の読み方
これは日本語が解せればそんなにむづかしい物ではないし、中学や高校の指導内容に入っている。その解釈法の概ねは「現代仮名遣いとの比較」と被るために省略するが、その「現代仮名遣い」に置き換える法則で発音はわかる。「〜してゐる」は「〜シテイル」とそのまま「ヰ→イ」のワ行表記の表音法則を使えばよい。もちろん例外的な部分や、地方によって読み、話者の環境によって解釈が異なることがある。
方言の例として「煽る」がある。これは歴史的假名遣で「あふる」と綴られるが、これは今日一般には「アオル」と読みそのため現代仮名遣いでは「あおる」と綴られるが、近畿方言では「アフル」とも読む。このように話者により両様の発音を有しうるし、「あおる」の表記もまた歴史的假名遣から修正する場合、以下で述べた現代仮名遣いの表記法則では一筋縄ではいかないのである。
[編集] 音便表記の可否
古典などをみていると音便が表記されていないことがあって、この竹取物語の「なめり」は「なるめり」が「なんめり」となった撥音便の例であるが、これは撥ね仮名「ん」を表記しない例である。譬えば徒然草の例のように、助動詞「む」の場合「ん」と表記されることがしばしばあったけれど、一連の定家仮名遣なんかでは「ん」と「む」の遣い分けを論じたのは、「ん」の音になった「む」を「む」と表記しようとしたからである。撥ね仮名は表記として認められない歴史があったと思われる。
ところで「ん」や「む」を歴史的假名遣ではどうするかというと、仮名遣を発音に近づけるという手段を取る。助動詞「う」は「む」に端を発する物である(オ列長音表記・志向形のくだりを参照)と後述したが、歴史的假名遣がいくら歴史的だからといって、「笑はう」の表記をば「笑はん」や「笑はむ」とするのはそこに特別な意図があるのであって、普通は「笑はう」という口語文を綴ることになる。「笑はむ」とする場合は恐らくは明らかな中古語による文語文(擬古文)であり、助動詞「む」の推量の職能が発揮され、現代語の助動詞「う」の意思の役割は無いと見るべきである。一方「笑はん」などは現代語に遺るやや古い表現であり、「いざ行かん」「豈(あに)〜せんや」などと同等で、「笑はう」の語源に近い撥音便をそのまま発音で表記する物である。
音便表記して発音に近づけるべき理由は、一方でウ音便におけるオ列長音などの音には妥協せず発音に近づきすぎない理由はなんであるのか。それは音便表記「イ」「ウ」「ツ」「ン」は音を表しているし、その一方で変形前の言葉の姿を残しているという二つを両立させるからだけれど、それは以下で順番に整理してゆくことにする。
[編集] 音韻と音便
文語で音便が許容されない理由は「訛りとして嫌われた」のではないかと福田恆存は指摘する。一方で一般的な口語文における歴史的假名遣で音便を表記として認める理由は、音便は局地的であるから語として認められず音で構わないとすることである。福田恆存は更に音韻をあげてこれが妥当であることを指摘する。
(二 音便表記の理由)《前略》「川ぞひ」の「ひ」を「い」にすることを嫌ふほどの語の一貫性、明確性を重んじるなら、「川にそつて」も「川にそひて」と書けと言はれると、同じ常識が首をかしげる。〔fi〕あるいは〔hi〕が、子音の〔f〕〔h〕を失つて〔i〕となるのと、さらにその〔i〕が後の子音に牽制されて無發音の〔t〕になるのと、どちらが自然か。音聲學的にはどちらも自然でせう。自然だから起つた變化でせう。しかし、母音と子音とを書き分けられぬ音節文字において、「ひ」を〔i〕と讀ませるのに較べて、「ひ」を〔t〕と讀ませるほうが無理であることは明らかではないか。ここまで變化した以上、一貫性、明確性の理由だけですませてはゐられない。第二義的とはいへ、表音文字の厄介になつてゐるからには、その表音性も利用せねばならぬ。さう考へるのが常識といふものでせう。
– 私の國語敎室・第二章 歷史的かなづかひの原理(福田恆存/新潮社・文藝春秋)・抜萃
[編集] 長音と音便
山田孝雄博士は、定家仮名遣は古典に従うだけを良しとしたと指摘した。このことが「む」の撥音便などを認めようとはしなかったことに繫がる。一方で形容詞「おめでたし」が「おめでたく」と活用、それがウ音便「おめでたう」になり、発音の上では「おめでとー」の長音になったけれど、歴史的假名遣ではなぜ長音を表さず音便については表すのか、次の様な指摘をした。
(第十一 形容詞の連用形を長音とせることについて)《前略》こゝに於いてか問題生ず。この音便といふものは本來發音上の一時の現象にすぎざるものなり。しかもこれらはたとひ一時の現象たりといへ、「く」の變形なる以上明かに語幹と語尾との關係を有するものなり。今調査會案の如くにせば、その語幹に變化を來すのみならず、語幹の長呼によりて一の活用形をなすことゝならざるべからず。かくてこれと同時に國語の法格の上に重大なる變動を呈するに至らむ。この故に調査會がこれを主張する以上、同時に形容詞の法則の上に如何なる改革を加ふべきかの合理的説明を下さゞるべからず。假名遣を改むと称して語法をやぶりてそのままにあるべきにあらざればなり。
– 假名遣の歷史・附録一 文都省の假名遣改定案を論ず(山田孝雄)・抜萃
「今調査會案」とは大正十年の臨時国語調査会での仮名遣案であり、経緯は現代仮名遣いに詳しい。山田博士は音便表記は「明かに語幹と語尾との關係を有する」、「川にそひて/そつて」の「ひ」と「つ」が関係を持つように、「おめでたく」「おめでたう」も語幹が一致することで「く」と「う」の関係を有すると主張した。
[編集] 音便表記の理由
これらの主張を纏めると音便が音と妥協する(表音)ことが許される理由は、音を表さねばその音は一時の現象ゆえに類推できないという現実への対応の必要性と、音便の表音表記のうちに語の関係(表語)を保持できるという観念が「語を綴る」という理念と合致するから、問題は無いとするところにある。
[編集] 現代仮名遣いとの比較
現代仮名遣いは本則が表音であること、これが歴史的假名遣との一番の差であるが、現代仮名遣いの有する妥協点、準則である正書法の部分の多くは「歴史的假名遣」に基づく物である。従って準則の部分では差が少ない。「現代かなづかい」の理念である本則や準則については、仮名遣や現代仮名遣いの項に纏められているけれどここでも引用すれば、文部省の廣田榮太郞氏によれば次の通りである。
現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密に云えば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。
妥協点の多くが歴史的假名遣であることは、同様に廣田氏が次のように述べることから明らかである。
現代かなづかいは、一音一字、一字一音の表音主義を原則とはするが、かなを発音符号として物理的な音声をそのまま写すものではなく、どこまでも正書法として、ことばをかなで書き表わすためのきまりである。したがって、表音主義の立場から見て、そこにはいくつかの例外を認めざるを得ない。それはこれまでの書記習慣と妥協して、旧かなづかいの一部が残存している点である。
これが現代仮名遣いは歴史的假名遣を含む故に正書法であると呼ばれる所以である。「現代かなづかい」における妥協の経緯や、細かな表記法は仮名遣や現代仮名遣いを見て欲しい。
[編集] 現代仮名遣いでの表記法則
現代仮名遣いでは次の様な修正を施す。表音本則は表音表記であり、準則は所謂「語意識」のことで歴史的假名遣そのもの、もしくはそれに基づく修正である。長音表記及び字音仮名遣との比較については後述する。なお「現代仮名遣い」と「現代かなづかい」の細かな差は現代仮名遣いや文部省及び文化庁の資料に纏まっているが、必要があればそれを補足して説明する。
- 【表音本則】 「ゐ(ヰ)」「ゑ(ヱ)」「を(ヲ)」はア行で表す。
- 【表音本則】所謂ハ行転呼音「はひふへほ」は、ア行または「ワ」で表す。つまり「は」は「わ」である。
- 【準則】以上のうち助詞の「は」「を」「へ」に限り歴史的假名遣と同一とする。
- 「現代かなづかい」ではこの準則を「わ/お/え」と書いても構わないと解釈した(文部省資料参照)が、「現代仮名遣い」では歴史的假名遣に統一された。
- 【表音本則】「ぢ・づ」を含む語は「じ・ず」で表す。
- 【準則】所謂連濁・複合語、語意識の働く語彙に関しては、歴史的假名遣に於ける「ぢ・づ」を許容する。
- 「現代仮名遣い」では「現代かなづかい」より許容範囲が広い。この遣い分けは「現代仮名遣い」では中等教育から指導される。
- 【表音表記則】拗音・促音などは仮名の小書きを行う。
- ただし歴史的假名遣でも行うことがある。
[編集] 現代仮名遣いでの長音表記法則
- 【表音本則】「あ・い・う・え」列は該当列の母音を附けて綴る。「かあさん」「しい(椎)」「つうしん(通信)」「ねえさん」。
これが大原則であるが、例外もあって、またオ列長音の場合はまた異なる。またエ列は修正があるので注意。
[編集] オ列長音表記
オ列長音は母音列に合わせた規則とは異なる。またその例外事項も複雑である。
- 【オ列長音表音本則】オ列長音はウを附けて綴る。「こううん(幸運)」など。
- 【オ列長音準則】歴史的假名遣におけるハ行転呼音「ホ」での「オ列長音」は、「こおり(こほり)」の如く、オを附けて綴る。
- 【オ列長音準則】歴史的假名遣における「ヲ」での「オ列長音」は、「とお(とを)」の如く、オを附けて綴る。
- 【オ列長音準則】形容詞の語尾が「〜かう」のオ列長音となる場合、「〜コウ」と綴る。「高こう」など。
- 形容詞「〜かう」の場合、「ありがたし/ありがとう」にみられるように語幹が変化しているが、現代仮名遣いでは語幹が変化する物もあると説明される。
- 語幹が変化する物はサ変「す/する」カ変「来(く)/来る」など特殊な例であったが、現代仮名遣いでは正則活用にもこれを適用する。
- 【オ列長音補足】現代仮名遣いでは活用形に志向形(時枝文法による)を定める。これは未然形に含むことがある。
- 志向形とはだいたい次のような物である。
-
- 「笑ふ」に「む」が接続して「笑はむ」という表現があった。この「む」が撥音「ん」に変化して軈て「う」という助動詞になり、「笑はう」となった。この頃すでにハ行転呼は起きていたために、読みは「ワラワウ」から「ワラオー/ワラオウ」などに変化した。歴史的假名遣では語としての長音変化を表さないが(譬えば、現代仮名遣いでもワラオーヨと正則的ではない表記で書くと幼児語の響きが生まれるように、音の変化を表すのは特殊な用途であった)、現代仮名遣いでは本則によって「笑はう」を「笑おう」と綴る。志向形は未然形と違って、現代では「笑わ」に「う」が接続した場合にだけ生じる「お」の音が、「何かしよう」という方向性の違いを持ったことから定められる。
- ここで一つの問題が生じる。「笑おう」の「う」は助動詞か否かという問いである。同じ表音本則の「つうしん」も「笑おう」も「こううん」の「う」と同様の意識で綴られる物だが、歴史的假名遣では表音よりもこの点の差異を重視する。長音を表すようにすることで、助動詞「う」が接続して初めて「ワラオー」になったということが、表記からはわからなくなるからである。なお「笑ふ」の場合、五十音図からずれて正則性を失うことも問題点となるが、それはハ行転呼音に関する問題である。
以上の助動詞の問題、表音的ではない問題の解釈を解決するために、長音表音本則は以下のように修正される(以下は廣田氏の説明によった)。
- 【オ列長音表音本則修正解釈項】以上二項の【オ列長音準則】にあたる表記例は(こおり、とお)オ列長音ではない。【表音本則】に設けた「ホ→オ」「ヲ→オ」の対応と解釈する。
- 【オ列長音表音本則修正項】志向形と助動詞「う」【オ列長音補足】にあたる場合は(笑おう)オ列長音ではない。「笑お」という志向形が現代にはあって、更に助動詞「う」がついた物である。
「ウ」のではなく大原則に副って「笑おお」と書くようになれば、助動詞「う」は完全に消滅する。だからオ列長音だけは「う」を附けなければならない。ところがこの特の志向形に関する問題は深刻で、時枝博士は「意思を表はす助動詞の表記として意識されてゐるものであるのにもかかはらず、今の場合、これを一方では長音記號として借用しながら、なほかつそれを助動詞の表記であるかのやうに誤信し、又それを一般に强ひるやうな態度が認められるのである」と強く批判している。
[編集] エ列長音表記
以下は字音(字音仮名遣ではないが)の範疇であるけれども、字音表音則の例外を補足する
- 【エ列長音表音本則】エ列長音はエを附けて綴る(表音本則の通り)。
- 【エ列長音準則】「経済(けいざい)」「時計(とけい)」など字音にみられる多くのエ列長音は、歴史的假名遣に準じた「イ」のままで綴る。
- 例によって現代仮名遣いでは【エ列長音準則】の場合はエ列長音と看做さない解釈を行う。
この解釈は現代仮名遣いで修正された。修正は以下の通りである。
- 【エ列長音表音本則】エ列長音は原則としてイを附けて綴る(表音本則の修正)。
- 【エ列長音準則】「ねえさん」など一部の語は表音本則のままでよい。
[編集] イ列長音表記
またイ列長音は音韻の特性上、更に複雑な変化を持つ。
- 【イ列長音表音本則】イ列長音はイを附けて綴る(表音本則の通り)。
- 【イ列長音準則】「言う」の場合、「ゆう」と綴らない理由は、語幹変化を認めないためである。
- 【イ列長音準則】形容詞の語尾が「〜しう」のイ列長音となる場合、拗音を認めて「〜しゅう」と綴る。「苦しゅうない」など。
- 【イ列長音準則】「友(いう)」「邑(いふ)」などの字音仮名遣は、「言う」と異なり、「ゆう」の表記で統一される。
- 【イ列長音準則】字音のイ列長音が拗音を含む場合、「きうり」などを「きゅうり」と綴る。
- 「友(いう)」などは、イ列長音からウ列長音となったと解釈すれば問題がない。また形容詞「〜しう」の例は両表記が存在する。
[編集] 表記搖れ
時代によって表記搖れがある。その理由は研究の進み具合ということであるが、先述したように、資料に基づく研究は契沖に始まるがために、まだ幾分かの誤りが含まれている可能性は充分にある。その例の一つが「机(ツクエ)」である。戦前長らく「ツクヱ」とされ、「突き据ゑる」などの意味であるとされてきたが、平安初期の文献を詳しくしらべたところ、戦後の今ではヤ行のエ「突き枝(え)」が正しいとされ、「机(ツクエ)」と綴られる。
紫陽花のように諸説ある物は多く、紫陽花は古形「あつさゐ(あづさゐ)」から「あぢさゐ」であるとされる。現在では訓点語学や上代語研究の発達により、大半は正しい表記(より古い時代に使用=語源に近いと考察される)が判明している。これらの特に疑わしい使用例は疑問仮名遣と呼ばれる。
また誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを許容仮名遣と呼ぶ。「或いは(イは間投助詞であるが、ヰやヒと綴られた)」、「用ゐる(持ち率るの意だが、混同によりハ行・ヤ行に活用した)」、「つくえ(先述のツクヱ)」などでの誤用である。
なお「泥鰌(どぢやう)」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは歴史的假名遣ではなく、江戸時代の俗用表記法であり、特にその根拠はない。
[編集] 字音仮名遣の扱い
漢字音の古い発音、支那での音韻を表記するためにつくられた仮名遣いを字音仮名遣と呼ぶ。歴史的假名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って本居宣長がこれを集大成するまで正しい表記の定められないものが多かった。現代仮名遣いの施行まで行われた明治以降の歴史的假名遣では、字音仮名遣を踏襲したが、本居宣長の研究によっている。従って広義の歴史的假名遣にはこれも含むが、和語における歴史的假名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない。また字音仮名遣は時代(表記された年代や、どの時代における支那音韻を基準とするかなど)によってその乱れが激しく定見を得ないものも多い。
以上のような成りたちから、前述のように歴史的假名遣論者にも、「表語(表意)」を重視する立場から見て字音仮名遣を含めない人(時枝誠記・福田恒存・丸谷才一)と、含める人(三島由紀夫)とがいる。前者の主張は漢字自体が表語文字だからということであるが、その場合漢字制限を指してこれに反撥したのは前述の通りである。
[編集] 字音仮名遣の読み方
次にあげた一番目の考えだけでどうにかなることも多いが、字音は複雑な変化を持っていて、それだけでは長音や拗音に対して充分ではない。「院(ゐん)」程度なら「イン」と読めばそれでよいが、「鳥(てう)」であるとこれが拗音かどうか、少しわからないこともある。
- 【ヰやヱやハ行】まづは現代仮名遣いにもある本則で、表記から発音を想像する。それから以下の長音や拗音の変化があるかを考える。
- 【ア列長音 】ア段+「う(ふ)」:「オー」の長音を表す。
- 【イ列長音 】イ段+「う(ふ)」:「ユー」の長音を表す。
- 【ウ列長音 】エ段+「う(ふ)」:「ヨー」の長音を表す。
- 【エ列長音 】エ段+「い」:「エー」長音をもしくは「エイ」の音を表す。
- 【オ列長音 】オ段+「う(ふ)」:「オー」の長音を表す。
- 【開拗音】「てふ」「てう」の「ちょう」、「きふ」「きう」の「きゅう」、など数多くあるが、上記の長音則にあてはまらない物。
- 【合拗音】「くわ(くゎ)」「ぐわ(ぐゎ)」:「カ」「ガ」の音を表す。
だいたいの抜萃であるから、字音仮名遣の体系的な論については字音仮名遣を参照。
[編集] 外来語の表音表記法
明治以降、外来語の特殊表記として以下の方法が考え出された。「ヰ」や「ヱ」の音を推定した物を利用することである。然しこれらの表記は、好みの問題であって、表音の表記をどうするかについては、仮名の小書きなど様々な手法があった。
- 「うぃ」「うぇ」を「ウヰ」「ウヱ」等と表記する。
- 「うぃ」「うぇ」を「ヰ」「ヱ」等と表記する。
- 「ヴァ」を「ワ゛」(ワに濁点)と表記する。
[編集] 注
- ^ 『東京セブンローズ』は戦時下に生きた人物の日記という設定であるので、当然歴史的かなづかいでその部分が記録されているという設定である。
[編集] 参考文献
- 「假名遣意見」森鷗外
- 「假名遣の歷史」山田孝雄(昭和四年)
- 「表音的假名遣は假名遣にあらず」他、橋本進吉(全集など参照)
- 「國語假名づかひ改訂私案」「國語審議會答申の<現代かなづかい>について」他、時枝誠記
- 「国語の変遷」金田一京助(創元社:絶版)「新かなづかい法の学的根拠」参照
- 「私の國語教室」福田恆存(新潮社、文藝春秋)文春文庫版は復刊で入手可。ISBN4167258064
- 「日本語の歴史(改訂版)」土井忠生編、至文堂、1957年6月。
- 学校教育における「現代仮名遣い」の取扱いについて
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月6日 (火) 21:03 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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