毘有王

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毗有王
Image:Baekje-monarchs(14-20).PNG
各種表記
ハングル 비유왕
漢字 毗有王
平仮名
(日本語読み仮名)
ひゆうおう
片仮名
(現地語読み仮名)
ピユワン
ラテン文字転写 Biyu-wang
  

毗有王(ひゆうおう、生年不詳 - 455年)は百済の第20代の王(在位:427年 - 455年)であり、先代の久尓辛王の長男、または『三国史記』百済本紀・毗有王紀の分注では第18代の腆支王の庶子とされる。『三国史記』にはは伝わらず、『宋書』には百済王余毗(余は百済王の姓)として現れる。427年12月に先王の死去により王位についた。

[編集] 治世

429年には朝貢し、翌430年には腆支王(余映)に与えられていた爵号を継承することが許され、<使持節・都督・百済諸軍事・鎮東大将軍・百済王>に冊封された。433年以来新羅へ使者を送って和親を要請し、贈り物の交換を通じて両国の修好が成立した。このように中国南朝(宋)~百済~新羅・倭国の協調体制をもって、北朝(北魏)と結んだ高句麗に対抗する態勢を整えたが、455年(9月以降とみられる)に死去するまで、毗有王の代にあっては戦乱記事はみられずに終わった。王の死の直後(455年10月)に高句麗が百済に侵入した際には、新羅からは百済を救援する軍が派遣されており、毗有王の目指していた対高句麗の体制は奏功したものと見られる。

文化面では、宋への朝貢を通じて『易林』『式占』などの書物を求め、宋の太祖より与えられている。

[編集] 参考文献


先代:
久尓辛王
百済王
第20代:427年 - 455年
次代:
蓋鹵王

最終更新 2009年9月8日 (火) 13:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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