民主労働党 (韓国)
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| 大韓民国の政党
民主労働党
민주노동당(ミンジュノドンダン) |
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|---|---|
民主労働党代表・姜基甲
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| 代表 | 姜基甲 |
| 成立年月日 | 2000年1月30日 |
| 本部所在地 | ソウル特別市永登浦区文来洞2街25-1 |
| 国会議席数 |
5 / 298 (2%)
(2008年11月24日) |
| 政治的思想・立場 | 社会民主主義 中道左派・左派 |
| 公式サイト | kdlp.org |
| シンボル | 二人の人が肩を組んでいる姿をイメージした |
| 民主労働党 (韓国) | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 민주노동당 민노당 |
| 漢字: | 民主勞動黨 民勞黨 |
| 英語表記: | Democratic Labor Party(DLP) |
民主労働党(みんしゅろうどうとう)は、韓国の革新政党。戦闘的労働運動を標榜する「全国民主労働組合総連盟」(民主労総)が支持母体であり、現代グループの企業城下町である蔚山広域市では、現代労組が民主労総の中核であったことから、もともとハンナラ党現職を脅かす勢力があった。 略称は民労党(民労党)。
目次 |
[編集] 概要
1997年12月の大統領選挙に民主労総委員長の権永吉(クォン・ヨンギル)が立候補する際に結成した国民勝利21を前身に、2000年1月30日に結成された。綱領ではイデオロギー政党と曖昧な表現にしたが、これは国家保安法に抵触することを防ぐためである。
党の目標を「労働者と民衆主体の自主的民主政府建設」、「利潤を目的とする私的所有権を制限し、生産手段を社会化」としており、実質的には社会主義に近い。また、党の理想は「人類史に綿々と続く社会主義を継承した新しい解放共同体」と明示する。かつての日本社会党左派を想像すればいいかもしれない。綱領は、左派学者や80年代の理論派活動家が作成したため、主体思想派が優勢だった80年代の学生運動家が使った論理がそのまま反映された、との見方もある。米国については「朝鮮半島を分割し、同族が相争う悲劇をもたらし、南北に軍備競争の消耗戦を誘導、民衆の生を荒廃させた」と主張する。
政治面では「抑圧的国家機構」の国家保安法・国家情報院・国軍機務司令部を廃止し、軍・警察・行政官僚機構を民主的に改造するとしている。経済面では、富裕税の創設、財閥トップ一族の持ち株を強制的に有償還収するといった方法での財閥解体、一定規模以上の土地の国有・公有化など社会主義的政策を主張する。外交・軍事面では、在韓米軍撤退と戦時作戦統制権還収などを挙げる。
[編集] 地方選挙の勝利と院内進出
創党直後に行なわれた2000年4月の第16代総選挙では議席を獲得することは出来なかったが、2002年6月の地方選挙で、基礎自治団体長で2名、広域自治体議員では地域区で2名、比例代表区では自由民主連合を上回る8.1%の得票率で9名の当選者を出すことに成功[1]した。そして、2004年の第17代総選挙では、比例代表区へも投票ができるように制度が改正[2]されたこともあって、議席獲得に成功、一気に第3党に躍り出た。第一共和国の進歩党が弾圧され消滅して以来、韓国では派閥のような政党が人脈により離合集散を繰り返してきた。民主労働党は、政策を基にした政党であり、従来の韓国の派閥政党とは性格を異にする。また、ほぼ時期を一にして現大統領の盧武鉉の当選や現在の与党ウリ党の結成など、韓国政界の左派色が強まった感がある。
議席獲得以前の民労党は、単なる反体制団体と見做され、街頭デモは厳しく規制されたが、議席を獲得した途端、それまで民主労働党規制の指揮を執っていた治安担当者が民主労働党本部を訪れ、予算成立に関して協力を依頼したという。
2005年の北朝鮮訪問の際、北朝鮮の国立墓地に当たる愛国烈士陵の芳名録に「あなた方の愛国心を末永く心に刻む」と記し国内で物議を醸した。また、北朝鮮の行事に出席して拍手するなどの行動が、北朝鮮の主張に同調していることになると批判を受けている。
2006年10月31日、文成賢(ムン・ソンヒョン)代表を始めとする北朝鮮訪問団が訪朝し、歓迎晩餐会に参加した他、金日成の生家である万景台の訪問を行った。民労党は「平和のメッセンジャー」の役割を果たしたと主張するが、国内では北朝鮮の「操り人形」になったとの批判もある。
[編集] 一心会事件と2007年大選敗北
2006年10月、386世代の元学生運動家らによるスパイ団「一心会」事件に絡み、複数の幹部が国家情報院と検察当局に逮捕され、その後有罪が確定した。2007年12月の大統領選挙には権永吉を擁立したものの、社会自由主義的主張を掲げた創造韓国党の文国現(ムン・グヒョン)にも遅れをとる得票率3.0%で5位に沈んだ。この敗北を受け、親北朝鮮路線を採る党内多数派の「自主派」を魯会燦(ノ・フェチャン)ら「平等派」が激しく批判し、党内は分裂含みの混乱状況に陥った。2008年1月には党内に非常対策委員会が設置され、平等派を中心に一心会事件の総括・親北路線の転換を目指す流れが一旦生まれたものの、一心会関係者の除名を骨子とした改革案が2月3日の臨時党大会で否決[3]されると、これに失望した支持母体の民主労総傘下の組合や地域党幹部・党員の集団離党が多発した[4][5][6]。
[編集] 民労党の分裂と18代総選挙敗北
民労党から離党した新党派は、2008年1月26日、「新しい進歩運動(新しい進歩政党)」出帆式を開き、進歩新党創党に本格的に取り組むことになった。発足宣言文で①実質的な赤緑連帯実践で地球温暖化問題などに能動的に対応、②資本主義克服の原則と実現方式の多元性の認定、③非正規職や中小企業、女性労働者を代弁する新しい労働を形成する、④生活領域で進歩的地方政治の独自展望の構築、を明言した[7]。北朝鮮との関係については「南北を『民族的特殊関係』以前に主権国家として国家対国家の関係と認識する、とした。そして、3月2日に民労党から離党した申相奵と魯会燦両議員が中心となって結成される「進歩新党」の結党準備会の発足式が行なわれ、進歩新党が事実上旗揚げし、民労党は分裂することになった[8]。4月9日に行なわれた第18代総選挙では、地域区では前回と同じ2議席を確保したが、比例代表では前回獲得した半分以下の3議席に留まり、地域区と合わせて5議席しか獲得できず敗北を余儀なくされた。
7月25日、国会議員会館で行なわれた代表選出大会で姜基甲(カン・ギカプ)が当日まで六日間行なわれた決選投票を制して新しい代表に選出された[9][10]。
[編集] 党指導部
- 代表:姜基甲 강기갑カン・ギカプ 2008.7~
- 権永吉 권영길クォン・ヨンギル 2000.1~2004.6
- 金恵景 김혜경キム・ヘギョン 2004.6~2006.2
- 文成賢 문성현ムン・ソンヒョン 2006.2~2008.2
- 千永世 천영세チョン・ヨンセ 2008.2~2008.7
- 事務総長:呉秉潤(오병윤 オ・ビョンユン)
- 代弁人(報道官):ウ・ウィヨン 우위영
- 最高委員
- 李秀浩 이수호 イ・スホ
- 李永順 이영순 イ・ヨンスン
- キム・キョンジャ 김경자
- 崔順永 최순영 チェ・スンヨン
- チェ・ヒョングォン 최형권
出典:民主労働党ホームページの“최고위원단(最高委員団)”より
[編集] 選挙における党勢推移
[編集] 大統領選挙
| 年月日 | 大統領選挙 | 候補者 | 得票率 |
|---|---|---|---|
| 2002年12月19日 | 2002年大韓民国大統領選挙 | 権永吉 | 3.9% |
| 2007年12月19日 | 2007年大韓民国大統領選挙 | 権永吉 | 3.0% |
[編集] 総選挙
| 年月日 | 総選挙 | 議席数 | 得票率 (比例)[11] |
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|---|---|---|---|---|---|
| 合計 | 地域 | 比例 | |||
| 2000年4月13日 | 第16代総選挙 | 0 | 0 | 0 | 1.2% |
| 2004年4月15日 | 第17代総選挙 | 10 | 2 | 8 | 13.0% |
| 2008年4月9日 | 第18代総選挙 | 5 | 2 | 3 | 5.6% |
[編集] 年表
| 年 | 月日 | 出来事 |
|---|---|---|
| 2000年 | 1月30日 | 民主労働党創党大会開催。正式に発足 |
| 4月13日 | 第16代総選挙。候補者を擁立して戦うが議席獲得は出来ず、得票率2%未満で政党登録が取り消される | |
| 5月24日 | 再創党(代表者:権永吉) | |
| 2002年 | 6月13日 | 第3回全国同時地方選挙。基礎団体長2名、広域自治体議会議員では地域区と比例代表で11名が当選。 |
| 12月19日 | 大統領選挙。民労党の権永吉候補は3.9%を獲得(3位) | |
| 2004年 | 4月15日 | 第17代総選挙。10名(地域区8名/比例代表2名)が当選、院内進出を果たす |
| 2006年 | 5月31日 | 第4回全国同時地方選挙。広域自治体議会議員は15名(地域区5名/比例代表19名)、基礎議会議員は66名(地域区52名/比例代表14名)が当選。広域自治団体長・基礎自治団体長の当選者は無し |
| 2007年 | 12月19日 | 大統領選挙。権永吉候補3.0%の得票を獲得(4位) |
| 2008年 | 4月9日 | 第18代総選挙。5名(地域区2名/比例代表3名)と、前回を下回る当選者数となり敗北 |
| 6月4日 | 地方議会再補選。広域議会議員1名が当選[12] | |
| 7月25日 | 党代表選挙で、姜基甲が68.3%の得票率を獲得して、当選。代表に就任。[13] | |
| 10月29日 | 地方議会再補選、基礎議会議員1名当選[14] |
[編集] 脚注
- ^ 自治体国際化協会 CLIAIR REPORT 236号:大韓民国の2002年統一地方選挙より
- ^ 前の選挙までは地域区の候補者のみに投票できる一票制で、全国区は地域区の得票率に応じて各党に議席配分する制度となっていた。そのため、地域区に強い地盤を持たず、多数の候補者を擁立できない群小政党にとっては不利な仕組みとなっていた。
- ^ 「民主労働党が北スパイ除名案を否決 自主派議員ら歓声、平等派は「もうあきらめた」」2008年2月4日付朝鮮日報
- ^ 「韓国:民労離党ドミノ」2008年2月14日付レイバーネット
- ^ 「韓国:民主労総前職・現職幹部、民主労働党集団離党」2008年2月20日付レイバーネット
- ^ 「現代自の組合員250人、民労党を集団離党」2008年2月22日付朝鮮日報
- ^ 「韓国:進歩新党の創党か、民主労働党の「我流」か」2008年1月26日付レイバーネット.レイバーネット
- ^ 民主労働党が分裂.朝鮮日報サイト(日本語)2008年3月3日付
- ^ 「民労党新代表に姜基甲氏」2008年7月26日付朝鮮日報
- ^ 「韓国:姜基甲議員、民主労働党代表に」2008年7月25日付レイバーネット
- ^ 第16代は地域区の得票率
- ^ 한나라, 재·보선 참패(ハンナラ、再・補選惨敗) -6月5日付朝鮮日報(韓国版)
- ^ 「民主労働党の新代表に姜基甲氏、任期2年」.2008年7月25日付連合ニュース
- ^ 民心測る再補欠選挙、ハンナラ・先進党が票田で勝利-2008年10月30日付連合ニュース
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 民主労働党公式サイト(朝鮮語)
- 「民主労働党と政治改革」、民労党結成の簡単な経緯が書かれている。
- 「「民主労働党 綱領」」(日本語)
- 「民主労働党の党憲(抜粋)」(日本語)
- 「創党宣言文」(日本語)
- 「進歩政党の歴史 (民主労働党のパンフより)」.第一共和国時代の進歩党から現在までの韓国における革新政党の簡単な歴史が書かれている(日本語で書かれているが一部誤訳があるので注意)
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最終更新 2009年11月24日 (火) 13:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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