民衆駅

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民衆駅(みんしゅうえき)とは、駅舎の建設を国鉄と地元が共同で行い、その代わりに商業施設を設けたである。

[編集] 概要

太平洋戦争によって日本の主要都市は空襲を受けて焼け野原と化し、駅舎も多くが焼失した。戦後日本国有鉄道(国鉄)は線路・車両の復興を優先して行うことにしたため、多くの駅が仮駅舎のままでの営業を強いられることになった。

そのため国鉄では、戦災復興を地元と共同で行うことを目論むようになり、駅舎の建設に関して地元の有力者たちの資金を仰いで、その代わりに商業施設を駅舎内に設けた駅を造る事にした。私鉄では、小林一三による阪急電鉄梅田駅を初めとして商業施設を設けた駅が戦前から誕生していたが、国鉄では初の試みといえた。

最初の例となったのは豊橋駅で、1950年3月に完成した。以後、日本全国へこの方式の駅が広まっていき、現在の駅ビルの元ともなった。

買い物客の利便性を高めるため売り場にも改札が設けられ、メインの改札口を経由せず直接出入りすることができる構造が多い。また、「ステーションデパート」という名称が使われることも多かった。

民衆駅は駅の活性化に貢献してきたが、地方都市に建てられた民衆駅はモータリゼーションの進行などで乗客を減らしており、商業施設も郊外に大型店ができたことや建物の老朽化により衰退し、その後の駅の改築によって次第に姿を消しつつある。しかし、民衆駅で培った商業施設運営のノウハウは、国鉄民営化後、駅ビル事業がJR旅客6社の収益の柱事業となって今も生きている。

[編集] 民衆駅の例

最終更新 2009年9月8日 (火) 11:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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