水沢城
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水沢城(みずさわじょう)は、岩手県奥州市水沢区に存在していた城である。北上川西岸の胆沢平野中心部にある平城である。一国一城制導入後は要害として扱われた。別名:臥牛城・大休城。
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[編集] 歴史・沿革
[編集] 中世・近世
- 水沢城の築城年代・築城者は不明だが、現地の伝承では葛西氏家臣の蜂谷氏・佐々木氏・柏山氏などがあげられており、葛西氏の胆沢平野支配の拠点の一つであったと考えられている。
- 戦国時代末期、水沢城のある葛西領は、戦国大名、伊達政宗の準領地となった。
- 関東地方の北条氏と結んだ伊達政宗は関白、豊臣秀吉と約1年間対立したが、結局政宗は小田原に参陣して秀吉に服属した。そのため北条氏も降伏し、秀吉の日本統一が達成された。
- 戦後、秀吉は小田原に参陣しなかった葛西氏を滅亡させ、同地に家臣、木村吉清を置いた。しかし、これを不満とした政宗は、旧葛西領と旧大崎領で葛西大崎一揆を起こさせた。しかし、この一揆扇動は秀吉に露見してしまい、政宗は秀吉の命令で、自ら一揆を鎮圧した。
- 戦後、秀吉は政宗から先祖伝来の伊達郡や政宗が征服した会津地方などを奪い取り、その代わりに旧葛西領、旧大崎領を与えた。政宗は秀吉によって北へ追いやられたのである。このとき政宗の側近白石宗実が、福島県大森城から水沢城へと領地替えになった。
- 8年後、政宗は居城を岩出山城から仙台城に移し、水沢は仙台藩の一部となった。当初は代官が置かれていたものの、後に伊達政宗の従兄弟にあたる留守宗利が入ると、以後は宗利を祖とする「水沢伊達氏」の支配が幕末まで続いた。
[編集] 構造
外堀の内側の面積は19,511坪、城の北西に本丸があり、以後外側に二の丸・三の丸、御門の外には当主の家族が暮らす南の丸があった。
[編集] 関連項目
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