水谷隼

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水谷隼
生年月日 1989年6月9日(20歳)
最高世界ランク 11位
利き腕
グリップ シェークハンド
戦型 オールラウンド型
フォア面ラバー テナジー・64
バック面ラバー テナジー・64
  
獲得メダル
日本
卓球
世界卓球選手権
2008 広州 男子団体
2009 横浜 男子ダブルス


水谷隼みずたに じゅん1989年6月9日 - )は日本卓球選手。静岡県磐田市出身。明治大学所属。2006年、第55回日本スポーツ賞優秀選手に選ばれた。172cm、66kg。

2008年北京オリンピック日本代表。

目次

[編集] 概歴

静岡県磐田市に生まれる。当初は右利きだったが、卓球経験者の両親が左の有利性を考え、卓球の利き手を左に矯正した。小さい頃はサッカーなど様々なスポーツをしており、何をしても万能タイプだったという。両親の影響で5歳から卓球を始め、小学校1年生時に初出場した全日本卓球選手権大会バンビの部(小学校2年生以下)で準優勝し本格的に卓球の道に進む。翌年バンビの部で優勝するとその後もカブ、カデットの部と優勝を重ね、中学になると卓球面での環境を考え、福原愛などを擁する青森山田中学校に転校、青森で寮住まいをすることになった。 2009年4月24日、2009年世界卓球選手権前の公開練習後に、静岡・磐田城山中1年時に青森山田中、高の選手たちがパンツを履いていないことを知り、それ以来、「パンツを買ったことも履いたこともない」と告白[1]した。水谷にとってノーパンは強さの象徴でもあるとのことである。

中学2年で出場した2004年1月の全日本卓球選手権ジュニアの部で優勝(男子では史上最年少)、また一般の部もランク入りし、その天性の柔らかいボールタッチから話題になった。15歳になり青森山田高校に進学した。2005年には15歳10ヶ月という日本男子史上最年少で世界選手権代表に選出された(現在は丹羽孝希が最年少)。当時の日本代表はアテネオリンピックなどの惨敗を受け、一気に若返りを図り水谷はその中でも最年少であったが、時として世界ランキング上位の選手に勝つという大物食いを成し遂げた。また、代表の強化選手となったことで、岸川聖也らと共にドイツに留学。ドイツリーグの1部でプレーして、一年の大半をドイツで過ごした。

2005年の第48回世界卓球選手権個人戦では当時世界ランク8位、アテネオリンピック5位であった荘智淵台湾)をフルセットの末破った。当時、靖国神社参拝問題などにより日中関係が悪化し上海で行なわれたこの大会で大半の観客が水谷の相手選手である荘智淵に声援を送る中での勝利であった。同じ年に行われたアジア選手権では当時世界ランク2位、アテネオリンピック銀メダリストである王皓中国)を破るなど日本の若きエースである。課題としては、闘争心や集中力の弱さがあり、その後出た世界選手権なども日本人として最後までは残ることが多いものの、期待に完全に応えられていない面もある。また2006年初頭には足を疲労骨折するなどのトラブルもあった[2]

しかし、課題であった体の細さを補う筋力も徐々につき、また本来後ろでプレーすることを好む選手だったが、2007年1月16-21日に行われた平成18年度全日本卓球選手権大会では積極的に前に出て回り込む戦法を心がけ、優勝した。この大会では男子シングルス、男子ダブルス、男子ジュニアの部シングルスを制し3冠を達成した。このうち男子シングルスでは3連覇を狙った吉田海偉を決勝で破り、史上最年少の17歳7ヶ月での優勝であった。この優勝で2007年クロアチア・ザグレブでの世界選手権(シングル)の出場が決定した。

2008年の北京オリンピックでは団体で5位入賞、2009年の第50回世界卓球選手権個人戦では岸川聖也とのダブルスで銅メダルを獲得した。またその後に続いた中国オープン、荻村杯では同ダブルスで連続優勝している。

2009年、韓国オープンにおいて準々決勝で朱世赫、準決勝でオフチャロフ、決勝で郝帥といった格上の強豪を次々と撃破し、優勝した。これは1996年のITTFプロツアー開始以来、日本男子(帰化選手を除く)としては初の決勝進出並びに優勝という快挙であった。

[編集] プレースタイル

左シェーク裏裏オールラウンド型。小さい頃から天性の卓球センスを持っており、柔らかいボールタッチと高い身体能力を活かした万能型のプレースタイルを取る。ラリーにおけるボールのコースの読みに優れ、ブロックを有効な戦術として用いることのできるヨーロッパ型のタイプである。日本卓球協会のコーチであるマリオ・アミズィッチによればブロッキング・ゲームを主体に戦える数少ない逸材であるという。

得意な技術はサーブとフォアハンド、そしてミドルのブロック、またロビングも得意である。 平成17年度全日本選手権にて松下浩二、北京オリンピック団体戦にて陳衛星にストレートで敗れていたため、カット打ちが課題とされていた。しかし、2009年の韓国オープンにて朱世赫を破るなど、克服の兆しが見えている。

日本卓球の前原正浩強化本部長は「何十年に1人の天性のボールタッチ」と語っている。

[編集] 戦績

  • 2004年
    • 平成15年度全日本卓球選手権大会男子シングルス ベスト16(史上最年少となる14歳でのベスト16)
    • 同ジュニアの部男子シングルス優勝(史上最年少優勝)
    • 第2回世界ジュニア選手権男子ダブルス優勝(岸川聖也ペア)
  • 2005年
    • 平成16年度全日本卓球選手権大会男子シングルス、ベスト32
    • 同ジュニアの部男子シングルス 準優勝
    • 第48回世界卓球選手権個人戦男子シングルス ベスト32
    • 世界ジュニアサーキット男子シングルス 優勝3回
    • 第3回世界ジュニア選手権男子シングルス 準優勝、ダブルス ベスト4、団体優勝
  • 2006年
    • 平成17年度全日本卓球選手権大会男子シングルス ベスト8
    • 同ジュニアの部男子シングルス 優勝
  • 2007年
    • 平成18年度全日本卓球選手権大会男子シングルス優勝
    • 同男子ダブルス優勝(岸川聖也ペア)
    • 同 ジュニアの部男子単 優勝
    • 第49回世界卓球選手権個人戦男子シングルス ベスト32、ダブルス ベスト8
  • 2008年
    • 平成19年度全日本卓球選手権大会男子シングルス優勝
    • 同男子ダブルス優勝(岸川聖也ペア)
    • 第49回世界卓球選手権個人戦男子団体銅メダル
    • 北京オリンピック男子シングルス3回戦敗退
    • 同男子団体戦敗者復活2回戦敗退
  • 2009年
    • 平成20年度全日本卓球選手権大会男子シングルス優勝
    • 同男子ダブルス優勝(岸川聖也ペア)
    • 第50回世界卓球選手権個人戦男子ダブルス銅メダル(岸川聖也ペア)
    • ITTFプロツアーチャイナオープン男子ダブルス優勝(岸川聖也ペア)
    • ITTFプロツアー荻村杯男子ダブルス優勝(岸川聖也ペア)
    • ITTFプロツアー韓国オープン男子シングルス優勝

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月2日 (水) 12:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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