水車

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水車小屋(大王わさび農場
米国ジョージア州に遺る製粉用の水車

水車(すいしゃ)は、位置エネルギーを、回転運動エネルギーへ変換する機械原動機)である。

電動機蒸気機関が普及するまでは、揚水・脱穀製粉・製糸などに広く使用されていた。 現在でも少数ながら水田の揚水用などで見ることができる。

揚水用(ノーリア)には様々なタイプがあり、有名な物は三連水車などがある。水流の力により水を水車の横に付けた容器でくみ上げるタイプの物が多い。

[編集] 歴史

水車は紀元前1世紀に小アジアで発明されたといわれる。ローマ技術者ウィトルウィウスの著作にも現れているが、滅多に使われない機械としており、奴隷労働の豊富な古代社会においては一般に余り普及しなかったようである。むしろ文明の中心が地中海沿岸を離れ中・西ヨーロッパ移行した中世以降に、安定した水量が得られる土地柄も相まって、急激にその台数を増やした。1086年のイングランドの古文書では、推定人口140万人の同地に5642台の水車があったことが記録されている。また、動力水車の使用法としては、それまではもっぱら製粉に限られていたが、10世紀ごろから工業動力としても使われるようになった。現在英語のmillが水車を表すと同時に工場をも表すのはこのためである。このような水力の極限までの利用が、欧州における産業資本主義発生の原動力となったのは疑いがない。

非ヨーロッパ圏においても、水車は普及したが、その発達はヨーロッパに比べかなり見劣りすることは否めない。中国においては水力原動機らしきものはにみられ、中世の時代には水車力を用いて紡績工場さえ作られたようであるが、不思議なことにその後の発展は見られなかった。イスラム圏においても水車の記録はあるが、その用途はおおむね製粉にとどまり、欧州におけるような産業の原動力としての広範な使用はついに見られなかった。

日本においては7世紀に、唐より水車機構を持ち込んだことが知られているが、現実に使用された形跡はない。その後も揚水用のいわゆるノーリアはまれに記録に表れるが、動力水車の使用は江戸時代になってからといわれている。白米を食する習慣の広がりとともに、おもに精米のために使用されたが、江戸時代後期には工業的原動力としても部分的に使用された。幕末日本は非西欧圏ではもっとも水車の普及が見られた。

[編集] 参考文献

  • レイノルズ 末尾・細川訳『水車の歴史』 平凡社 1989年 ISBN4-582-53205-5
  • ギャンベル 坂本訳『中世の産業革命』 岩波書店 1978年
  • 末尾至行 『日本の水車』 関西大学出版部 2003年 ISBN4-87354-376-2

[編集] 関連項目

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最終更新 2009年11月8日 (日) 06:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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