水野英子

水野英子の最新ニュースをまとめて検索!

水野英子
生誕 1939年10月29日(70歳)
日本山口県下関市
職業 漫画家
活動期間 1955年 -
ジャンル 少女漫画
代表作 『星のたてごと』、
『ハニーハニーのすてきな冒険』
受賞 第15回小学館漫画賞
(『ファイヤー!』)
  
画像:Logo serie manga.png
ウィキポータル
漫画作品日本
漫画家日本
漫画原作者
漫画雑誌
カテゴリ
漫画作品
漫画 - 漫画家
プロジェクト
漫画作品 - 漫画家
漫画雑誌
お知らせ
漫画記事での括弧の使用方法の変更が提案されています。

水野英子(みずの ひでこ、1939年10月29日 - )は、日本の漫画家山口県下関市出身。日本の女性少女漫画家の草分け的存在で、トキワ荘の紅一点。

目次

[編集] 来歴

小学3年の時に手塚治虫の漫画に衝撃を受け、漫画家を志す。中学時代、当時唯一新人漫画家を募集していた『漫画少年』に投稿を始める。投稿作「赤毛の子馬」が審査をしていた手塚と『少女クラブ』編集員の丸山昭の目にとまり、『少女クラブ』から原稿の依頼を受けることとなる。

1955年、『少女クラブ』8月号に1コマ漫画1点と目次ページのカット1点が掲載され、デビュー。1956年6月号では初のストーリー漫画「赤っ毛子馬(ポニー)」を発表。1958年3月に上京し、手塚の住んでいた豊島区のトキワ荘の住人となる。その間、初の長編連載『銀の花びら』を執筆しながら、石森章太郎赤塚不二夫と「U・マイア」の合作用ペンネーム[1]で『赤い火と黒かみ』『星はかなしく』『くらやみの天使』を合作し発表した[2][3]。入居から約半年後の10月、故郷の祖母を心配させまいとトキワ荘を去り一旦帰郷。その後再び上京し、雑司が谷の下宿先からバスでトキワ荘に通い住人と交流を続けた[4]

1970年、『ファイヤー!』 で第15回小学館漫画賞を受賞した。1981年、「ハニーハニーのすてきな冒険」がTVアニメ化。2000年2002年には手塚治虫文化賞の選考委員を務めた。また、2002年に結成された「私の八月十五日」の会の発起人のひとり。

2008年3月には川崎市市民ミュージアムで開催された展示イベント「少女マンガパワー!―つよく・やさしく・うつくしく―」において、作品展示とトークショーを行った[5]

[編集] 作品

中学卒業後は漁網会社の女工として、荷車押しや薪割りなどの労働を行っていた。初期の作品の背景には、この頃の貧しい暮らしが反映されているという。『星のたてごと』『白いトロイカ』などでは外国を舞台にダイナミックな物語を華麗な絵柄で構成し、既存の親子の生き別れ物語や友情物語などの作品とは一線を画した斬新な作風で少女達を魅了した。 その後の1960年代のロック世代の熱狂を描いた『ファイヤー!』では少女漫画読者の年齢層を押し上げた。[6]

[編集] 主な作品リスト

[編集] その他

[編集] 参考文献

  • 『少女マンガ大全集―短編にみる魅惑のミクロコスモス』文藝春秋編(文春文庫ビジュアル版 1988年刊)ISBN 978-4168110085

[編集] 脚注

  1. ^ 3人ともワーグナーが好きだったためドイツ名の「マイヤー」が候補となり、そこにU(ドイツ読みでウー)を付け「うまいやー」となり、3人の頭文字(水野のM、石ノ森のI、赤塚のA)になるようにもじって「U・MIA」、表記をカタカナとし「U・マイア」となった。石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 水野英子・丸山昭(元「少女クラブ」編集長)対談(第2回)参考。
  2. ^ 水野英子の部屋 プロフィール参考。
  3. ^ tezuka osamu@world ニュース手塚治虫 原画の秘密展 関連イベント 参考。
  4. ^ 石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 水野英子・丸山昭(元「少女クラブ」編集長)対談(第3回)参考。
  5. ^ 川崎市市民ミュージアム|ウェブマガジン|活動レポート参考。
  6. ^ 『少女マンガ大全集―短編にみる魅惑のミクロコスモス』749頁参考。
  7. ^ 電子書籍 eBookJapan:白いトロイカ 水野英子参考。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月8日 (日) 07:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【水野英子】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!