永井久一郎

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永井 久一郎(ながい きゅういちろう、嘉永5年(1852年)8月2日 - 大正2年(1913年)1月2日)は、日本官僚。名は匡温。通称は久一郎。は伯良、また耐甫。漢詩人としても名高く、禾原(かげん)・来青閣主人のを持っていた。正四位

作家永井荷風の実父。

目次

[編集] 経歴

尾張国愛知郡鳴尾村(現愛知県名古屋市)に永井家11代目当主・永井匡威(まさたけ)の長男として生まれた[1]。永井家は帯刀を許された豪農だった[2]。初め知多郡大高村(現名古屋市)長寿寺の住職であった鷲巣上人青木可笑に学び、鷲津毅堂が名古屋に来るに及んでその塾生となった[3]明治3年(1870年)に大学南校貢進生となり、翌年それを辞して名古屋藩の命令でアメリカに遊学した。帰朝後文部省医務局や書籍館博物館に勤務。荷風が生まれた時には内務省衛生局に勤務していた。以後帝国大学書記官、文部大臣官房秘書官などの官職を歴任する。退官してから日本郵船上海支店長、同横浜支店長などをつとめた。

[編集] 年譜

[編集] 家族・親族

[編集] 系譜

永井家
永井家の祖は天正一二年(1584年)の長久手の合戦に武功を挙げた永井伝八郎直勝である。鈴木成元『永井直勝』によると、直勝は長田氏を名のり、徳川家康の嫡男松平信康に仕えたが信康自刃後家康に仕えることとなり、その命によって「長田を改めて大江氏となり、家号を永井というようになった」のである。この大江永井氏の始祖(荷風永井氏の始祖)が直勝の庶子久右衛門正直である。荷風の実弟永井威三郎の著書『風樹の年輪』は永井家の系譜を詳細に調べているが、それによると、「慶長十二年丁未(一六〇七)尾張国星崎荘大江永井家の始祖正直は、年二十三歳で牛毛荒井村に居を構えて一家を創立した。早くは知多郡板山村外で育ち、慶長の初めに愛知郡星崎荘本地村に移り、数年の後にこの地に移った」とある。正直は製塩業によって成功し、「巨利を得た」という[4]荷風は「わたしのおじいさんは松右衛門といった。永井家は代々当主が松右衛門を名乗るんですよ」(『荷風思出草』)といっている。そうなったのは正直から四代目の正治の時からで、八代後に永井星渚という人が出た。星渚は江戸儒者として聞えた市川鶴鳴に学び、在野の儒者として知られ、その学は徂徠派の服部南郭の系統に属すると伝えられている。星渚は子がなかったので従弟匡鼎に家をゆずったが匡鼎は早世したのでその子の匡儀(通称松右衛門)に継がせることとなった。匡儀は士前と俳諧をよくした。その養子の匡威(まさたけ)[5]が荷風の祖父にあたる人で俳諧、茶道をよくしたが、荷風は「祖父は全然東京へ出てくることがなかったので全く知らない(『荷風思出草』)」と述べている[6][7]
永井匡威━┳━永井 久一郎━┳━永井 壮吉(荷風)
     ┃        ┃
     ┃        ┣━鷲津貞二郎
     ┃        ┃
     ┃        ┗━永井威三郎
     ┃
     ┣━永井松右衛門━━━永井 松三
     ┃
     ┣━阪本 釤之助━┳━阪本 越郎
     ┃        ┃
     ┃        ┃ 古井 喜実
     ┃        ┃    ┃
     ┃        ┣━━━━ふく
     ┃        ┃
     ┃        ┗━高見  順━━━━━━━高見恭子
     ┃                        ┃
     ┃                      馳  浩
     ┃
     ┗━大島 久満次━━━大島 一雄(杵屋五叟)━永井永光

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

  1. ^ 久一郎の生まれた場所について、永井荷風の著書『下谷叢話』219頁には「尾州愛知郡鳴尾村に生まれた」とあるが、『永井荷風 人と作品 43』では「 尾張国愛知郡牛毛荒井村に生まれた」となっている。『新日本文学アルバム 23 永井荷風』3頁に掲載されている久一郎の戸籍謄本に“士族”と記されている
  2. ^ 『下谷叢話』219頁
  3. ^ 『下谷叢話』219頁
  4. ^ 秋庭太郎『考證 永井荷風』
  5. ^ 土田生駒氏の実家である土田氏の子孫熊次郎(匡威)が永井家に養子に入り、その孫が荷風。血筋上は土田氏である。
  6. ^ 『永井荷風 人と作品 43』 8頁-9頁
  7. ^ 永井氏系譜(武家家伝)

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月30日 (水) 10:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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