汐留駅 (国鉄)
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| 汐留駅 | |
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浮世絵に描かれた開業当初の駅舎
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| しおどめ - Shiodome | |
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◄品川 (4.9km)
(8.9km) 東京貨物ターミナル►
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| 所在地 | 東京都港区東新橋一丁目 |
| 所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
| 所属路線 | 東海道本線貨物支線 (東海道貨物線) |
| キロ程 | 4.9km(品川起点) |
| 開業年月日 | 1872年10月14日 (明治5年9月12日) |
| 廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日 |
| 備考 | 1914年 新橋駅(初代)から改称 |
汐留駅(しおどめえき)は、東京都港区東新橋1丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)の駅。東海道本線の貨物支線(東海道貨物線)上にあった。
目次 |
[編集] 概要
1872年10月14日(明治5年9月12日)に開業した新橋駅(初代)がこの駅の始まりである。木造石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、長らく東京のターミナル駅として機能していた。また1873年9月には、当駅と横浜駅(初代・現在の桜木町駅)との間で日本初の貨物列車の運行が開始された。1日1往復の運行で、イギリス製の有蓋車や無蓋車を使用していたという。
しかし、1914年(大正3年)に旅客ターミナル駅の機能が新設の東京駅に移り、旅客営業が廃止された。駅構内が広大だった当駅は貨物駅として再使用されることになり、汐留駅と改称した。なお同時に、電車線の駅であった烏森駅が、新橋駅(2代目)と改称している。なお、駅名改称に反対した人もいた。また、歴史ある駅舎を利用して鉄道博物館を建設するという構想もあった[1]。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により開業時からの駅舎は焼失し、しばらく後になった1934年(昭和9年)3月に鉄筋コンクリート2階建ての駅舎に建て替えられた。
1959年(昭和34年)に当駅-梅田駅間で日本初のコンテナ専用貨物列車「たから号」が運転されるようになり、1964年(昭和39年)には小荷物取扱を開始した。東海道・山陽方面へ向かう貨物列車・荷物列車のターミナル駅として君臨し続けたが、荷物輸送が宅配便の登場で衰退し、貨物輸送はコンテナ列車中心に変化していく。駅敷地が狭く増加するコンテナの取扱量に対応できず、やがて鉄道による荷物輸送が1986年(昭和61年)11月1日に廃止されると、東京貨物ターミナル駅(1973年開業)に機能を譲り、汐留駅もその長い歴史に幕を閉じた。
なお、当駅からその東京貨物ターミナル駅までの区間には同駅がある大井埠頭と当駅の頭文字を取った大汐線(おおしおせん)という通称がある。また駅構内から芝浦駅、東京市場駅への線路が延びていた。芝浦駅への線路は、駅構内の一番東側の部分から、構内の線路で折り返す形態でつながっていた。東京市場駅へは、駅北東側でコンテナホームや混載ホームの間からそのまま線路が延びていた。
変わったところでは、1985年(昭和60年)に運行を開始したカートレインは当駅と鹿児島本線東小倉駅間で運行しており、1986年の駅廃止直前まで同列車の東京方始発・終着駅として利用された。(その後恵比寿駅に、末期は浜松町駅に変更)
[編集] 歴史
- 1872年10月14日(明治5年9月12日) - 新橋駅(初代)として開業。初日は式典と明治天皇御座乗特別列車の運行のみで営業は翌日から。
- 1873年(明治6年)9月15日 - 貨物の取扱を開始。
- 1914年(大正3年)12月20日 - 東京駅開業に伴い旅客営業を廃止、汐留駅に改称。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災で被害を受ける。応急復旧でしばらく営業する。
- 1934年(昭和9年) - 応急復旧の仮施設の改築、本格的な復旧工事を実施。
- 1959年(昭和34年)11月5日 - コンテナ貨物の取扱を開始。汐留駅 - 梅田駅間でコンテナ専用貨物列車「たから号」が運行開始。これに合わせてコンテナ積卸線と低床ホームの新設、配線変更が行われた。
- 1964年(昭和39年)10月1日 - 小荷物取扱を開始。
- 1965年(昭和40年)3月 - 東海道新幹線建設に伴い、敷地の一部を新幹線用地に提供することになり、関連する配線工事が行われてこの頃完成する。
- 1972年(昭和47年)10月14・15日 - 当駅と東横浜駅(桜木町駅に隣接)の間で、C57形蒸気機関車が牽引する記念列車「鉄道100年記念号」が運行される。
- 1985年(昭和60年)7月27日 - 汐留駅 - 東小倉駅間でカートレインの運行を開始。旅客営業再開。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 廃止。
[編集] 廃止後
1987年(昭和62年)4月1日にはここで、鉄道発祥の地であることから残った線路を使用して、蒸気機関車の汽笛で日本国有鉄道(国鉄)の終焉とJRの発足を告げる(国鉄分割民営化)イベントが行われた。
民営化後、旧汐留駅跡地は日本国有鉄道清算事業団へ移管され、国鉄の長期債務を返済するための売却対象地で最も注目された。また、その後の再開発では民活と呼ばれる民間資本の導入が検討され、中曽根康弘内閣の行政改革政策の象徴ともなったが、東京の都心部にある広大な敷地の売却はバブル景気による地価高騰が更に過熱するという理由でその実施は延期され、いわゆる塩漬け状態にされた。しかも、結局はバブル崩壊による地価暴落後に安値での売却という結果に終わり、政府による長期債務返済計画は大きく狂った。
実際の再開発工事は1995年(平成7年)から開始され、その際に下記の旧新橋停車場跡などが発掘された。その後、2002年(平成14年)以降には同跡地に汐留シオサイトとして事業者用の高層ビルが次々と竣工した。同年にはゆりかもめと都営大江戸線の汐留駅が開業し、汐留という駅名が引き継がれる事になった。
[編集] 旧新橋停車場跡
跡地は、1996年(平成8年)12月10日に「旧新橋停車場跡」として国の史跡に指定された。発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、2003年(平成15年)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた、同年4月10日開館。調査では鋳物工場跡やトイレ遺構などを検出している。
内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」(運営は東日本鉄道文化財団)になっており、以前は三國清三監修によるフランス料理店の「GRAND CAFE SHIMBASHI MIKUNI」(運営はジェイアール東日本フードビジネス)もあったが閉店した。
旧新橋停車場の裏手には、鉄道の起点であった「0哩(マイル)標」が当時と全く同じ位置に再現されており、当時のレールが数メートルだけ敷設されている。
[編集] その他
- 鉄道博物館内に設けられたミニ運転列車の駅のひとつに、この駅にちなんで汐留の名が付けられた。
[編集] 隣の駅
- 東海道本線 東海道貨物線
- 品川駅 - 汐留駅 - 東京貨物ターミナル駅
- 汐留駅 - 東京市場駅(1984年2月1日廃止)
- 汐留駅 - 芝浦駅(1985年3月1日廃止)
[編集] 脚注
- ^ 鳥海基樹「我国戦前における近代建築保存概念の変遷に関する基礎的研究」(東京大学大学院都市工学専攻 1994年度修士論文)
[編集] 参考文献
- 福田敏一『新橋駅の考古学』(雄山閣、2004年) ISBN 4-639-01840-1
- 福田敏一『新橋駅発掘 考古学からみた近代』(雄山閣、2004年) ISBN 4-639-01857-6
- 山田亮「汐留駅と東京の臨港鉄道 歴史と現状」
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2003年12月号 No.740 pp.61 - 68
- 向坂唯雄「田端・品川界わい 入換機関車の運転台から」 その4~6 品川編
- 交友社『鉄道ファン』2003年8月~10月号 No.508~510
- 相田圭介「東京・大阪・名古屋の貨物線」
- 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2008年9月号 No.808 pp.14 - 15
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 (東日本鉄道文化財団サイトより)
- 国指定文化財等データベース
最終更新 2009年7月16日 (木) 02:07 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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