江副浩正

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江副 浩正(えぞえ ひろまさ、1936年6月12日 - )は、大阪府出身の日本の実業家。リクルート創業者。甲南中学校・高等学校東京大学教育学部心理学科卒。

目次

[編集] 来歴・人物

数学教師の長男として愛媛県越智郡波方村(現在の今治市)に生まれ、大阪市天王寺区豊中市に育つ。豊中市立克明小学校から甲南中高を卒業し、東京大学に進学。東大在学中に財団法人東京大学新聞社で企業向けの営業を覚え、森ビル屋上の物置小屋で株式会社大学広告(リクルートの前身)を設立。大学新卒者向けの「企業への招待」(リクルートブックの前身)を発行し、求人広告という業界の地位を大きく向上させた。その後、不動産、旅行、転職情報などに進出した。1988年リクルート事件が発覚し、証人喚問をされる。翌年に贈賄罪で起訴。2003年に東京地裁にて執行猶予付有罪判決を受け、被告人・検察とも控訴せず同判決は確定。2006年現在は、江副育英会事務局長。株式会社ラ ヴォーチェ代表。また、オペラ愛好家として新国立劇場東京オペラシティの支援に尽力している。

[編集] エピソード

  • 高校の担任は、この成績では絶対に合格しないからと東京大学受験に反対したが、外国語を英語ではなくドイツ語にするなど常人では思いつかないような発想で得点をアップさせ合格した。
  • 東京大学に入学した当時は学生運動真っ盛りで、共産主義が神格化されていたが、江副はそんな同窓たちに疑問を抱き「資本論」を読んだ上で「共産主義は人間性を奪う思想だ」と確信し、学生運動には加わらなかった。
  • 1988年に自宅玄関に一発の銃弾が打ち込まれる。後に赤報隊が犯行声明を出した(赤報隊事件)。
  • リクルート事件に関しては未だ尚、心の傷を引きずっておりその多くを語ることはない。
  • リクルート事件における東京地裁での公判回数は321回であり、東京地裁での公判回数としては歴代1位である。これは検察・弁護双方が争点を絞りたがらず、市販の解説書を読めばわかることまで証人尋問を求めるなど、公判が紛糾したためである。判決では大小53にのぼる争点について書かれた。
  • 現在は投資や執筆業を中心に活動している。
  • 兜町では空売りを得意とする名うての仕手筋といわれたことがあったが、本人はこれに否定し、法的措置も辞さない態度をちらっかせている。ただし、以前に信州ジャスコの大株主に名をつらねていることが報道されるなど、投資家としての顔があることは否定できないとされる。
  • ダイエーにリクルート株を売却したことで400億もの売却益が得られたとされ、電波少年の企画で松村に安比高原スキー場でカレーライスをご馳走したことがあった。
  • スキーの腕前はプロ級。
  • 夫人と離婚の際に、自身がファンだった越路吹雪などのビデオを勝手に処分されてしまったことが週刊誌報道された。

[編集] 著書

  • 『リクルートのDNA 起業家精神とは何か』 角川書店、2007年3月 ISBN 978-4-04-710087-9
  • 『かもめが翔んだ日』朝日新聞社、2003年10月 ISBN 978-4021000812
  • 『不動産は値下がりする! 「見極める目」が求められる時代』 中央公論新社、2007年8月 ISBN 978-4-12-150252-0
  • 『リクルート事件・江副浩正の真実』中央公論新社、2009年10月

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月24日 (火) 15:02 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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