江戸っ子

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江戸っ子(えどっこ、江戸っ児)とは、江戸で生まれ育った生粋の江戸の住民を指す呼称。主に町人を指すが、武士や借家人を含むこともあり、明治東京改称以後も旧江戸町民の主たる居住区であった下町地域出身者を指して呼称される場合もある(明治以後の江戸っ子を「東京っ子(とうきょうっこ)」と呼称する場合がある)。

また、「ちゃきちゃきの~」という言葉を冠する場合が多く、この言葉は「生粋の江戸っ子である」という強調の意味で付される。もとは長男の長男を意味する「嫡嫡」がなまった言葉で、厳密に言えば3代続きの長男のみを「ちゃきちゃきの江戸っ子」と言う。

典型的な江戸っ子像として、細かい事にはこだわらず商売下手、人情家で正義感に溢れるものの、意地っ張りで喧嘩早く、駄洒落ばかり言うが議論は苦手と言われており、夏目漱石描く『坊ちゃん』の人物像がその典型である。しばしば、五月の鯉で口ばかり、宵越しの銭は持たない、気が早い、などとも言われ、江戸っ子気質(えどっこかたぎ)などとも呼ばれている。

目次

[編集] 概要

近年の研究では江戸は徳川家康の入府(天正18年(1590年))以前から一地方都市としてある程度の発展を遂げていたと考えられているが、江戸幕府成立後の都市整備の一環として主に畿内、特に堺、大坂の商工業者が幕府により強制的に移住させられたことを端緒として、その後全国各地から江戸へと移り住む住人が急増して古くからの住民を圧倒し、世界でも屈指の大都市へと変貌して行く事になった。

しかし、「江戸っ子」と称される独自の住民意識が登場するようになるのは意外と遅く、家康の江戸入府から実に200年近く経った江戸時代後半の事であると考えられている。文献上の最古のものは明和8年(1771年)に作られたと思われる川柳「江戸ッ子のわらんじをはくらんがしき」という句であるとされている。

江戸っ子意識の高まりの背景にはこの時期の経済的社会的変動により、江戸の町民の間に貧富の差が広がってきたこと、それに加えて新規の住民――豊富な財力を有して江戸の行政にも影響力を与えるようになった上方商人伊勢近江出身者も含む)の「吝嗇」(「節倹」ともいう)[要出典]飢饉や貧困により流入して江戸の町民より安価でも働いた地方の農村(田舎)出身者の「野暮」ぶりに対する反発が古くからの町民に広がってきた事が挙げられる。特に古くからの住民が多かった神田日本橋浅草本所深川地域では江戸生まれ同士間で強い「身内」意識が形成されたと考えられている。

彼らは自分達こそが「将軍様のお膝元」である江戸を支えているという意識を強く有し、天明年間には江戸の町民が経済・文化の担い手の地位を獲得し始めた事もあり、共通の意識として広く江戸社会に根付く事になった。

[編集] 各時期の江戸っ子

「江戸っ子」と言っても厳密に言えば3つの時期に分けて考えられると言われている。

まず最初は天明期に現れた地方出身者や彼らに支えられた幕府権力への強い反骨精神に支えられた日本橋・神田の町人蔵前札差歌舞伎の『助六』や山東京伝洒落本川柳浮世絵の流行などに代表される貪欲な文化的関心と、強い社会批判の精神を併せ持ち、天下祭神田祭山王祭)・三社祭町火消・歌舞伎・遊郭などを発信元として江戸独自の文化を形成していった。こうした動きの反社会的な性格に気付いた江戸幕府は寛政の改革を行ってこうした動きを抑圧していくことになる。山東京伝が「江戸の水道を産湯とした」「宵越しの銭は持たない」「粋と(意地の)張りを本領とする」と定義づけた「江戸っ子」の本来の姿とはこの時期のものである。

第二期として、文化文政年間がある。江戸の経済発展によって生活的なゆとりがわずかながらも生み出されてきた下層の人々(主に長屋住まいの借家人)が強く(別の見方をすればやたら乱暴に)江戸っ子意識を振りかざすようになる。この時期の「江戸っ子」像が以後も引き継がれているため、この時期の江戸っ子が「江戸っ子」の典型例とされているが、寛政の改革などを経て江戸っ子本来が有した反骨精神などが弱められた江戸っ子の姿であり、武家主体の政治都市・消費都市に相応しい江戸っ子であったとも言える。とは言え、彼らに支えられて江戸に化政文化が花開き、江戸っ子気質は下層の庶民だけでなく下層の武士にも広く共有されるものになり、江戸っ子の気質や江戸言葉日光街道筋など江戸周辺の町や農村地域にも影響を与えた。この時代の江戸っ子の姿を今に伝えるのが、不良旗本だった勝小吉(勝海舟の父)が喧嘩に明け暮れた半生を口述した『夢酔独言』である。

第三期は、明治以後に新しい支配層となった京都薩長土肥など他の地方出身者が「東京」と改称した江戸に乗り込んだ明治時代である。西日本出身の役人や華族が東京で幅をきかせるようになり、かつての武家屋敷の跡であるいわゆる「山の手」の台地に居を構えた事への古くからの江戸町民の反感があり、これには薩長の下級武士ら地方出身者そのものへの反発とその政治(明治政府)に対する反発があった。そこには従来の江戸っ子だけではなく、旧名主階層や上層の旗本出身者などの東京(旧江戸)在住の旧支配層の一部も加わるものであり、伝統的な江戸っ子の文化・精神を維持する事によって自己のアイデンティティの確立を図るものであった。この点について歌舞伎を例に見ると、幕末から明治にかけての代表的作者河竹黙阿弥の作品群が特徴的である。黙阿弥は、幕末には盗賊が活躍する派手で娯楽的な作品を多く制作したが(『白浪五人男』『三人吉三』等)、明治になると、江戸の庶民や下級武士の生き様を活写した作品を多数送り出している(『梅雨小袖昔八丈(髪結新三)』『天衣紛上野初花(河内山・雪夕暮入谷畦道)』など)。これは黙阿弥自身の志向の変化にとどまらず、当時それを評価し受容する観客層が存在したことを物語っている。

[編集] 現代

関東大震災東京大空襲によって下町地域が壊滅的打撃を受けたことに加えて、バブル経済によるいわゆる「地上げ」によって郊外に追われた住民も多く、実態としての江戸っ子は消滅の瀬戸際にあると考えられており、江戸っ子を称する住民の多くは、長くても2代・3代の住民が大半で、江戸言葉を喋る昔気質の江戸っ子は老人にしかいなくなっている。

ドラマ、時代劇などで江戸っ子気質として登場するものは未だに人気が高く、一種のプライドとして存在している。講談・映画で知られる架空キャラクター・一心太助や、テレビドラマ・映画シリーズ「男はつらいよ」の主人公・車寅次郎などはその典型であり、旧江戸地区以外の全国にも江戸っ子気質の特徴を広く知らしめている。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月1日 (木) 22:50 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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