池上宗仲

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池上宗仲(いけがみ むねなか、生没年未詳)は、鎌倉時代武士で、日蓮の有力檀越。官位は日蓮の書状によると右衛門大夫。大中臣氏を自称。日蓮に深く帰依し、弟の池上宗長とともに池上兄弟と呼ばれた。父は鎌倉幕府作事奉行だった池上左衛門大夫(池上康光とも[1])。弟は池上宗長。母方の叔父に日昭、同じく母方の従兄弟に日朗日像がいると伝わる。

[編集] 来歴

父の左衛門大夫は真言律宗忍性(極楽寺良観)の熱心な信者だったっため、日蓮の信徒となった宗仲は、建治2年(1276年)・同3年(1277年)の二度にわたり父から勘当された。しかし日蓮の慰留もあって日蓮宗への信仰を守り、弟の池上宗長を勧誘するなどしている。勘当が解かれたのは弘安元年(1278年)で、のち父・左衛門大夫も入信している。

弘安5年(1282年)9月18日、師の日蓮が病気治療のため常陸国へ旅する途中、武蔵国池上郷(現・東京都大田区池上)にあった彼の居館(池上邸)に滞在し、同年10月13日に日蓮はそこで入滅した。

正応元年(1288年)日蓮七回忌の際、宗仲は日蓮の六老僧の一人・日朗と協力して日蓮の御影像を造った。この御影像を安置したのが池上本門寺である。

宗仲は日蓮入滅後、館やその周辺の土地を寺に寄進し寺領とした。この寄進地が池上本門寺の基礎となった。そのなかでも彼の居館は日蓮入滅の霊場として重要視され、長崇山本行寺(池上本門寺の院家)となっている。

没年には諸説あり、『本化聖典大辞林 上』によれば弘安6年(1283年)9月13日、享年71と伝わるが、正応元年には生存していたとみられ有力となっていない。また「別頭統紀」には永仁元年(1293年)9月13日没とある。

墓所は池上本門寺内に存在する。

[編集] 脚注

  1. ^ 「康光」説は、将軍随兵として藤兵衛康光と『吾妻鏡』に記載される人物を宗仲の父に比定する見解である。一方で別人説[1]もある。

最終更新 2009年11月8日 (日) 08:36 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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