池山隆寛
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| 基本情報 | |
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| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1965年12月17日(43歳) |
| 身長 体重 |
183cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 遊撃手、三塁手 |
| プロ入り | 1983年 ドラフト2位 |
| 初出場 | 1984年8月9日 阪神戦(神宮) |
| 最終出場 | 2002年10月17日 広島戦(神宮) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者。
目次 |
[編集] 来歴・人物
兵庫県の市立尼崎高校卒業。1983年同高校3年次に夏の甲子園出場、3回戦で敗れる。高校全日本選抜チームに選ばれ、同年のプロ野球ドラフト会議で、ヤクルト、読売ジャイアンツ、近鉄バファローズの3球団競合の末、ヤクルトが交渉権を獲得し2位指名で入団(1位は高野光、池山を外した巨人は再指名で香田勲男獲得)。大型内野手、10年に1人の逸材と言われて期待され、長距離打者としての頭角を現した。池山を初めて見た江夏豊は「中米の選手のようなバネを持つ選手」と評価した。また、桑田真澄は、池山のコースの読みに対して、「もうすこし考えて打ってほしい」と、自らの投球術が通用しないことに苦笑しながらも高い評価をした。
入団当初こそ打力よりも俊足巧打な点が評価されていた選手であったが、やがて足を高く上げた豪快なスイングに切り替えた。本塁打も多かったが三振も多いという、そのバッティングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれた。他に、バックスクリーンへの美しい弾道のホームランが多かったことから、「ミスターバックスクリーン」の異名もあった。同じく豪快なスイングが特徴の広沢克己とのコンビは、二人の名前とあだ名を取って、「イケトラコンビ」と呼ばれ、共にチームの看板選手として活躍し、1980年代後半から1990年代にかけてのヤクルトの人気を支える事になった。準永久欠番となっていた若松勉の背番号1を引き継ぎ、「ミスタースワローズ」とも呼ばれた。
1989年に在籍していたラリー・パリッシュに、広沢を加えた3人ともがシーズン100三振を超えたことから「100三振トリオ」、3人のイニシャルを取って「HIP砲」とも呼ばれた。1988年から、5年連続で30本塁打を記録。1990年には.303、31本塁打、97打点と、遊撃手としては史上初の「3割30本」を達成し(これは、他には野村謙二郎と松井稼頭央の2人しか達成していない記録であり、97打点は遊撃手の歴代最多打点である。)、同年8月23日の中日戦でサイクルヒットを達成した。
1993年5月19日での対広島カープ戦では1イニング2本塁打を記録したが、その試合はもつれにもつれた試合となり、ヤクルトの勝利で試合が終わったのは、0時過ぎとなっていた。その為、インタビューに答えた池山は「1イニング2ホーマーが昨日のことのようだ」と話したが、本当に昨日の出来事となっていた。
打撃での活躍が目立つ一方、守備での貢献度も高く、1991年には、遊撃手として当時の日本新記録である守備率.9941、連続守備機会無失策記録405を記録したが、ゴールデングラブ賞の受賞は1回にとどまった。これは同時代に名手として名高い読売ジャイアンツの川相昌弘がいたからであり、川相のゴールデングラブ賞受賞は6回。対してベストナインは僅か1回(池山は5回)に留まっており、遊撃手部門のタイトルを分け合っていたことになる。
長らく中軸打者を務めつつ、ショートという負担の大きなポジションを任されていたが、アキレス腱痛に悩まされ、宮本慎也の台頭により、1997年前後からサードへコンバートされた。更に2000年からは岩村明憲へサードのポジションを譲り、代打を務めることが多くなった。2001年には背番号1も岩村に譲り、自身は入団時の36に戻っている。しかしその後もベンチの最前列で常に赤いメガホンを持ってチームを鼓舞し続け、誰よりも先にベンチに帰ってくるチームメイト出迎えるなど、チームの精神的支柱ともいえる存在であった。2001年は代打の切り札としてチームの優勝・日本一に貢献した。その際池山は、その年の3月に亡くなっていた元ブルペン捕手の小山田健一の遺影を持ってセレモニーに参加している。若松勉監督は「スター選手が控えの立場になれば心の中で納得できないこともあっただろう。それでも常に最前列で声を出し、先頭に立ってチームメイトを出迎える池山の姿勢には頭が下がる。池山がいたからこそ優勝できた」と後に語っている。
2002年に長年の持病であったアキレス腱痛のため引退。会見の席で「調子のいい時の自分の打席のビデオを手本に頑張ってきたが、その姿がかつての自分ではなく、全く違う誰かに見えるようになった」と引退の理由を語った。現役最後の打席は、空振り三振であった。通算成績は打率.262、304本塁打、898打点、1440三振。引退後はフジテレビ・ニッポン放送・サンケイスポーツの野球解説者に転身した。2006年より、恩師野村監督の下で楽天の一軍打撃コーチに就任し2009年まで務めた。 夫人は誕生年・誕生日とも同じ、元モデルの真田ゆりか。池山は競馬好きであり、夫人とも競馬が縁で結婚したと言われる。
なお、1993年には小室哲哉作曲による「自由の女神」という楽曲を発表している。この曲は1993年に発売された「TO THE TOP VICTORY ROAD」という当時のヤクルトの一部の主力選手が歌った楽曲を集めたCDに収録されている。このCDには、池山のほかにも古田敦也、高津臣吾、高野光、広沢克己などの楽曲も収録されている。
[編集] 引退試合
2002年10月17日に明治神宮野球場で行われた対広島東洋カープ最終戦の試合前「現役最後の、ありのままの姿を見せたい」と意気込みを語った。池山はこの頃になると、もはや全力疾走する事も叶わない右足の状態であったが、痛みをこらえて久しぶりに3番・遊撃で先発出場し、途中からは一塁に回ってフルイニング出場した。打撃では5打数1安打で、8回には現役最後の安打となる左中間二塁打を放ち、守備でも4回に遊撃、延長10回には一塁でもファインプレーを披露した。
試合は1-1の同点で迎えた10回に広島が1点を勝ち越したが、その裏ヤクルトは「池山にもう一度打順を回そう」と、飯田哲也がセーフティバント、さらに稲葉篤紀も同様にセーフティを企図(結果は犠打)するなど二死二塁とし“本塁打が出れば逆転サヨナラ”の場面で池山に打順が回った。池山は広島投手長谷川昌幸が投じた球速150km超の直球に3球続けて空振りし、1-2で試合終了。池山はマウンドに歩み寄り、長谷川らと握手を交わした。
試合後には引退セレモニーが行われ、引退挨拶で「今日まで19年、多くの応援を頂いた。こんなに幸せな男はいません。これから第二の人生の打席に入りますが、必ず皆様の前に戻ってきます」とメッセージを送り、また同年7月に亡くなった応援団「ツバメ軍団」団長であった岡田正泰へも感謝の意を表した。
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | ヤクルト | 10 | 7 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
| 1985 | 65 | 94 | 85 | 5 | 12 | 3 | 0 | 0 | 15 | 1 | 1 | 2 | 1 | 0 | 8 | 0 | 29 | 6 | .141 | .215 | .176 | .391 | ||
| 1986 | 65 | 162 | 147 | 17 | 36 | 10 | 1 | 6 | 66 | 15 | 2 | 1 | 4 | 2 | 8 | 1 | 47 | 0 | .245 | .263 | .449 | .712 | ||
| 1987 | 127 | 453 | 400 | 42 | 100 | 25 | 1 | 13 | 166 | 46 | 3 | 1 | 11 | 2 | 37 | 3 | 112 | 8 | .250 | .318 | .415 | .733 | ||
| 1988 | 130 | 554 | 504 | 72 | 128 | 21 | 2 | 31 | 246 | 81 | 12 | 8 | 8 | 4 | 31 | 7 | 120 | 8 | .254 | .306 | .488 | .794 | ||
| 1989 | 130 | 540 | 484 | 80 | 128 | 13 | 2 | 34 | 247 | 74 | 6 | 3 | 6 | 2 | 47 | 1 | 141 | 7 | .264 | .331 | .510 | .841 | ||
| 1990 | 130 | 556 | 502 | 83 | 152 | 25 | 4 | 31 | 278 | 97 | 11 | 3 | 2 | 2 | 48 | 2 | 100 | 14 | .303 | .366 | .554 | .920 | ||
| 1991 | 132 | 557 | 498 | 74 | 134 | 28 | 1 | 32 | 260 | 80 | 13 | 5 | 1 | 4 | 48 | 6 | 124 | 12 | .269 | .341 | .522 | .863 | ||
| 1992 | 127 | 536 | 477 | 74 | 133 | 29 | 2 | 30 | 256 | 79 | 13 | 5 | 1 | 4 | 52 | 2 | 148 | 9 | .279 | .352 | .537 | .889 | ||
| 1993 | 108 | 451 | 390 | 63 | 100 | 15 | 1 | 24 | 189 | 71 | 10 | 5 | 3 | 4 | 51 | 3 | 95 | 9 | .256 | .347 | .485 | .832 | ||
| 1994 | 99 | 402 | 362 | 46 | 94 | 16 | 0 | 19 | 167 | 55 | 8 | 2 | 0 | 4 | 35 | 1 | 83 | 9 | .260 | .261 | .461 | .722 | ||
| 1995 | 130 | 521 | 456 | 64 | 120 | 24 | 2 | 19 | 205 | 70 | 8 | 5 | 0 | 3 | 56 | 6 | 105 | 14 | .263 | .351 | .450 | .801 | ||
| 1996 | 53 | 205 | 183 | 20 | 49 | 11 | 0 | 7 | 81 | 29 | 3 | 2 | 0 | 1 | 21 | 0 | 40 | 8 | .268 | .343 | .443 | .786 | ||
| 1997 | 124 | 505 | 439 | 65 | 121 | 26 | 3 | 18 | 207 | 79 | 11 | 1 | 2 | 9 | 49 | 6 | 76 | 21 | .276 | .356 | .472 | .828 | ||
| 1998 | 118 | 455 | 400 | 63 | 110 | 20 | 0 | 18 | 184 | 59 | 3 | 5 | 2 | 1 | 48 | 4 | 79 | 9 | .275 | .358 | .460 | .818 | ||
| 1999 | 60 | 225 | 204 | 22 | 45 | 4 | 0 | 8 | 73 | 23 | 1 | 1 | 4 | 3 | 14 | 0 | 47 | 7 | .221 | .273 | .358 | .631 | ||
| 2000 | 67 | 175 | 157 | 21 | 36 | 3 | 0 | 9 | 66 | 21 | 3 | 0 | 2 | 0 | 16 | 0 | 43 | 1 | .229 | .301 | .420 | .721 | ||
| 2001 | 65 | 85 | 73 | 7 | 14 | 4 | 0 | 4 | 30 | 12 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 2 | 30 | 1 | .192 | .245 | .411 | .656 | ||
| 2002 | 44 | 48 | 43 | 1 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 19 | 0 | .209 | .292 | .302 | .594 | ||
| 通算:19年 | 1784 | 6531 | 5811 | 819 | 1521 | 278 | 19 | 304 | 2749 | 898 | 108 | 49 | 47 | 48 | 580 | 45 | 1440 | 143 | .262 | .333 | .473 | .806 | ||
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル・表彰・記録
- ベストナイン:5回(遊撃手 1988-1990年、1992-1993年)
- ゴールデングラブ賞:1回(遊撃手 1992年)
- サイクルヒット(1990年8月23日の中日戦で達成。本塁打・単打・二塁打・三塁打の順。)
- 1イニング2本塁打(1993年5月19日)
- 1イニング7打点(1993年5月19日)
- オールスターゲーム出場:7回(1988年~1992年、1994年、1998年)
- 405守備機会連続無失策
- 通算1000試合出場 1993年9月12日(314人目)
[編集] 背番号
- 36(1984年 - 1991年、2000年 - 2002年)
- 1(1992年 - 1999年)
- 77(2006年 - 2009年)
[編集] 個人記録
- 初出場 1984年8月9日阪神戦(神宮) 9回釘谷の代打、福家から三振
- 初安打 1985年4月21日大洋戦(神宮) 久保から単打
- 初打点 1985年9月8日中日戦(郡山) 4回桑田から適時打
- 初盗塁 同上
- 初本塁打 1986年6月12日大洋戦(横浜) 4回門田から左越ソロ
[編集] 著書
- 池山隆寛のブンブンブン! 夢、ありがとう プロ野球栄光と挫折の19年(小学館) 2003年3月 ISBN 4-09-387423-9
- ブンブン丸の「野村野球」伝道 わが球歴40年史(小学館文庫) 2006年4月 ISBN 4-09-408076-7
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月6日 (金) 09:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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