池田厚子

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弟妹の継宮明仁親王清宮貴子内親王とともに。右が厚子。(1950年9月)

池田 厚子(いけだ あつこ、1931年昭和6年)3月7日 - )は、日本の元皇族昭和天皇香淳皇后の第四皇女。旧名、順宮厚子内親王(よりのみや あつこないしんのう)。池田隆政夫人。今上天皇の姉にあたる。神宮祭主勲等勲一等

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[編集] 略歴

1936年(昭和11年)より、両親の元を離れ呉竹寮で姉妹と共に養育される。学習院初等科女子学習院(在学中に新学制により学習院女子中等科学習院女子高等科となる)を経て、学習院女子短期大学文科に入学。二年次に家庭生活科に転科し、同科を卒業。

1951年(昭和26年)5月2日、中国四国地方を訪問した際に岡山市後楽園荒手茶寮にて池田隆政と面会。その後、6月末に正式に見合いの場が設けられて婚約が内定。仲人にあたったのは松平康昌

同年5月17日に貞明皇后崩御してから二ヶ月足らずの時期であったが、昭和天皇は、第一期の服喪期間の50日間が過ぎた7月10日、田島道治宮内庁長官に命じて順宮厚子内親王と池田隆政との婚約が内定した旨を公式に発表させた。なお、貞明皇后の崩御(大喪)に対する昭和天皇の服喪期間は一年間、厚子内親王の服喪期間は、150日間であった。

貞明皇后の喪が明けた、1952年(昭和27年)10月10日に厚子内親王は隆政との結婚により皇籍離脱した。元華族とはいえ内親王の結婚相手が、首都から遠く離れた岡山県、しかも農場主というのは極めて異例なことであった。1953年(昭和28年)2月に有限会社池田産業動植物園を経て、1960年(昭和35年)5月には株式会社池田動物園となり、隆政は園長に就任している。

しかし1965年(昭和40年)前後に敗血症を患い、岡山大学医学部附属病院に長期入院。すでに長姉の東久邇成子で死去しており、身を案じた昭和天皇、香淳皇后は頻繁に岡山へ見舞いのため行幸啓した。

1964年4月29日には勲一等宝冠章受章。日本赤十字社岡山県支部有功会名誉会長などを務める。

姉の鷹司和子の後を受けて1988年(昭和63年)より神宮祭主を務めている。

性格は派手で有名な妹の島津貴子とは対照的にかなり地味で何事も目立つことを嫌い、相手から話かけない限りしゃべらないなど無口な婦人と言われている。

[編集] その他

  • 2006年(平成18年)9月6日秋篠宮妃紀子悠仁親王を出産した際、夫隆政と連名で「無事にお子様を出産され、大変嬉しく、ホッとしております。おめでとうございます。お子様が健やかに成長されますことを心よりお祈りいたしております」と祝意を述べた。

[編集] 著書

  • 思い出の昭和天皇―おそばで拝見した素顔の陛下(光文社、1989年) - 他の皇族・元皇族らと共著。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月14日 (土) 02:40 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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