河内洋

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河内洋
東京優駿勝利後のアグネスフライト
(2000年5月28日 東京競馬場
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府堺市
生年月日 1955年2月22日(54歳)
騎手情報
初免許年 1974年
騎手引退日 2003年
重賞勝利 134勝
G1級勝利 22勝
通算勝利 2111勝
調教師情報
初免許年 2003年
  

河内 洋(かわち ひろし、1955年2月22日 - )は、大阪府堺市出身の日本中央競馬会(JRA)所属の元騎手で現在は調教師。「牝馬の河内」といわれたほど牝馬の騎乗は得意であり、かつて所属していた厩舎が同じであった武邦彦にとって弟弟子にあたり、息子の武豊の兄弟子にあたる。騎手としての成績14940戦2111勝。JRA重賞134勝(JRAのGIおよびGI級勝利は22勝)。騎手時代、「若大将」「栗東の青年団長」「西のエース」「牝馬の河内」「河内のおっさん」の呼び名を持っていた。

2001年にはナインティナイン岡村隆史演じる新人の岡村騎手の先輩役としてJRAのCMに、またトヨタ自動車カローラのCMにそれぞれ出演したことがある。

目次

[編集] 来歴

[編集] 代表馬

[編集] 騎手時代

「牝馬の河内」と言われ、ハシハーミットでの菊花賞制覇以降牡馬クラシックとは縁遠かったが、2000年にアグネスフライトによって悲願のダービージョッキーとなった。なお、天皇賞(秋)を勝てば旧八大競走完全制覇だった。

また、オグリキャップがJRAに移籍してきた際、1988年のジャパンカップまで主戦騎手を務めた。オグリキャップの6歳時、陣営が武豊に騎乗を依頼した際、武は河内がオグリキャップから降ろされている経緯もあることから、河内に気を遣い、相談を持ちかけたが、河内は騎乗を勧めたという。河内の物事にこだわらない人柄を示すエピソードと言えよう。なお河内は天皇賞・秋のみ勝てずに八大競走完全制覇を逃しているが、1988年1番人気のオグリキャップでタマモクロスに2着したのが天皇賞・秋の最高成績だった。

温厚篤実な性格で石橋守、武豊から絶大な信頼を置かれていた。

寡黙な性格でインタビューにも淡々と応じることから、「職人」とも呼ばれていた。ただしトレセン内では余計なインタビューから逃れるために食堂の厨房内にいることが多かったとも伝わっている。また、不用意、不勉強な質問に声を荒げることも極稀にあったという。

[編集] 調教師時代

2005年3月開業。騎手時代から縁のある西山牧場系列の馬と渡辺孝男所有馬を多く管理しているが、それ以外にも騎手時代から縁がある馬主や牧場の馬を手広く管理している。

厩舎開業初期、解散した清水久雄厩舎から移籍したハートランドヒリュの管理を引継ぎ、サラブレッド・アラブを通じたJRAの平地競走最多出走記録更新も期待されていたが(実際、清水からその事を託されていたという)、管理後3週間目の2006年3月22日、調教中に急死してしまった。翌年には、同様に解散した瀬戸口勉厩舎から重賞馬マルカシェンクを引継いだものの、5月に腸捻転を発症。同年末に復帰している。

騎手の起用については、武豊や藤田伸二など有力騎手に依頼する一方で、「人も育てる」の信念の下、若手騎手にも積極的に依頼している。特に長谷川浩大にはアグネスアークなど厩舎の期待馬の手綱を多く任せている。また、石橋守小池隆生にも厩舎開業当初からよく騎乗依頼をしている。小池に関しては厩舎の調教も任されており、2007年5月9日にはフリーから河内厩舎所属の騎手へ所属変更され、同年7月1日からは厩舎の調教助手として活動することになった。

2007年4月22日、第2回東京競馬第2日最終レース終了後に行われた「ジョッキーマスターズ」(芝1600m)に出場し、見事に初代優勝を果たす。

2008年8月10日、関屋記念(GIII)をマルカシェンクで制し、初重賞制覇を飾る。

2008年11月9日、23年ぶりの日本でのアジア競馬会議の開催を記念して第5回東京競馬場第2日最終レースレース終了後に行われた「第2回ジョッキーマスターズ」(芝1600m)に出場し、見事に連覇を果たす。

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[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
武豊
日本ダービー優勝騎手
2000年
次代:
角田晃一
先代:
東信二
有馬記念優勝騎手
1982年
次代:
田原成貴

最終更新 2009年11月2日 (月) 09:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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