河口純之助
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| 河口純之助 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 河口宏之 |
| 別名 | 河ちゃん |
| 出生 | 1961年4月26日(48歳) |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 東京都立桜町高等学校卒 |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 | ミュージシャン 音楽プロデューサー 幸福実現党宣伝局長代理 |
| 担当楽器 | ベース コーラス |
| 活動期間 | 1985年 - |
河口 純之助(かわぐち じゅんのすけ 本名:河口 宏之(かわぐち ひろゆき)1961年4月26日 - )は、日本のミュージシャンであり音楽プロデューサー。幸福実現党宣伝局長代理。元THE BLUE HEARTSのベーシスト。東京都世田谷区出身。東京都立桜町高等学校卒。既婚。
元々はTHE BLUE HEARTSのマネージャー(ライブのブッキング、宣伝等)をやる予定だったが、初代ベーシストのマサミ(望月正水)が脱退、助っ人でベースをやるが、その後正式にバンドに加入。
メジャーデビュー前のライブパンフレット、デビュー直後のファンクラブ会報等には本名の「宏之」と記載されていたが、その後の全てのメディアの於いて「純之助」と記載される。
目次 |
[編集] 来歴
- 1985年6月 THE BLUE HEARTS初代ベースの望月正水が脱退。一時的に山川のりをが加入。
- 1985年8月 THE BLUE HEARTSに河口正式加入。
- 1995年6月 THE BLUE HEARTS解散。その後、様々なバンドのプロデュースをしている。
- 1998年 PAPA WILD#9 「monks not dead」
- 2000年10月 SA 「YOU MUST STAND UP MY COMRADES」
- 2004年2月 STRIPE EFFECT 「Starting Point」
- 2002年8月 SUMMER SONIC02大阪のオープニングアクトで間寛平withアメマーズのベースとして参加。「アメママンのテーマ」、「リンダリンダ」等を演奏。
- 2003年7月 大阪・なんばHatchで行われた「GATSBY Live Junction Vol.11」に、間寛平withアメマーズのベースとして参加。「コスモス」、「電撃バップ」等を演奏。
- 2008年2月 インターネット配信番組「Young Buddha!」の「明日の☆スタアVol.7」に出演。
- 2009年、衆議院選挙に、幸福の科学の政党(幸福実現党)候補として比例東京ブロックから立候補、落選。政党での役職は宣伝局長代理。
[編集] 人物像
- 通称「河ちゃん」。
- 自称「つっぱり」である。
- THE BLUE HEARTS時代は自己紹介の時に「アホの町人」とよく名乗っていた。
- 甲本ヒロト曰く、「出会った頃は痩せていて格好よく、憧れだった」。
- 矢沢永吉の大ファン。
- 肉料理は食べない。
- 昔から、顔が井上陽水に似ていることを周囲に指摘されている。
- 弟が1人いる。
[編集] 逸話
- 初めて買ったギターは、ヤマハのフォークギター。お金は半分は自分の小遣い、もう半分は祖母が出してくれたという。
- 中学3年生の時に初めてバンドを組み、その後はミサイルズ、ウォールズ・アイスクリームなるバンドを結成し、ギター&ボーカル担当だった。
- 加入の経緯に関しては、ラジオで「マネージャーとして行ったら、いきなりベースの人辞めちゃうし、なんかメチャクチャなバンドだな、と思った」と笑いながら語ったことがある。
- シングル「人にやさしく」のクレジットには、なぜか本名である「河口宏之」と書かれている。
- 得意技は「ベース投げ」で、公園でよく練習していた。
- 基本的に髪型はオールバックだが、ブルーハーツ時代にバリカンを使って自ら散髪しようとして失敗、やむなくモヒカンにしていたこともある。
- THE BLUE HEARTSの4thアルバム『BUST WASTE HIP』に収録されている「真夜中のテレフォン」では、初のリード・ボーカルを務める。
- 1990年、大川隆法著『太陽の法』を読み、元々あった宗教的なものへの関心と河口にとっての「パンク=既成概念を愛をもって壊す精神」が、ひとつの線で結ばれたという。「太陽の法を読んだ時、これこそ真のパンクだと。いや、パンクの10万倍凄いことだ」と河口(『QuickJapan Vol.37』での発言)。そして1991年、幸福の科学に入会。しかしファンへの影響等を考えて口止めされていたため、ブルーハーツ解散までは公にできなかった(とはいえ、ロゴマークの入ったベースを使用していたりそれを収録したライブDVDも発売されている)が、入会以後の河口の楽曲にはその影響が見られるようになる。
- THE BLUE HEARTS解散にあたっての雑誌インタビューで、バンドの10年を振り返ってと尋ねられて「バンドやっていた10年より、幸福の科学に出会えたことの方が大きい」と答えている。
- 2005年5月19日の東京・渋谷AXで初めてTHE HIGH-LOWSのライブを見たという。この時の控え室で、甲本ヒロトや真島昌利と久しぶりの再会をしているところに岩城滉一がやって来て、挨拶されたことを友人に自慢している。
- また、2008年5月6日にブルーハーツのドラマーである梶原とキーボードであった白井のバンド、THE BIGHIPのライブを見に行っており、ファンにその姿を確認されている。更に同日は甲本と真島もそのライブに来ていた。[1]
[編集] 脚注
- ^ 梶原のブログにて甲本と梶原、白井、河口が写った写真が掲載されている(2008年5月7日付、真島は写真に写っていなかった。)
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年9月22日 (火) 10:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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