河戸駅
河戸駅の最新ニュースをまとめて検索!
河戸駅(こうどえき)は広島県広島市安佐北区亀山1丁目9番にあった西日本旅客鉄道(JR西日本)可部線の駅(廃駅)である。
可部線非電化区間(可部~三段峡間)の廃線に伴い、2003年(平成15年)12月1日に廃止された。
目次 |
[編集] 駅構造
単式ホーム1面1線のみを持つ地上駅であった。駅舎はなくホーム上に簡便な待合所が設けられているだけであるが、入口から待合所寄りに汲み取り式便所があった。
現在でも線路を含めて、ほぼそのままの状態で残されているが、駅名標は撤去され、待合所は閉鎖されている。
[編集] 利用状況
| 年度 | 1日平均 乗車人員 |
|---|---|
| 1999年 | 136 |
| 2000年 | 117 |
| 2001年 | 115 |
| 2002年 | 112 |
| 2003年 | 119 |
[編集] 駅周辺
可部の中心部からみて西に外れたところにあったが、周囲には住宅地が広がっていた。駅附近には民家が密集しておりこの駅は路地裏のような場所にあった。
可部線の三段峡方面の列車は当駅を出ると可部の市街地を抜け以後はこの駅の南側を東西に流れる太田川に沿って山中に分け入ることと成っていた。駅入り口には、天草出身の店主が営む中華料理店があったが、廃線と運命を共にしたように閉店している。
[編集] 歴史
- 1956年(昭和31年)11月19日 - 国鉄可部線の河戸仮乗降場として開業。
- 1956年(昭和31年)12月20日 - 河戸駅に昇格。旅客駅。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道の駅となる。
- 2003年(平成15年)12月1日 - 廃止。
[編集] 可部駅-河戸駅間電化計画
1984年に当時の日本国有鉄道が、可部線の非電化区間の部分廃止の方針を示した時に、廃線の代償案として同時に可部駅-河戸駅間、1.3kmの電化計画を示した。しかし地元の猛反発にあい、部分廃止は棚上げになったため電化も行われなかった。
2000年になり、JR西日本が可部線の部分廃止の方針を示した時に、「可部駅・河戸駅間電化促進期成同盟会」が結成され、運動が始まった。当時、500人前後の輸送密度の可部線が100人以上の底上げが期待できるとされた。JR西日本は「自治体が費用を全額負担するのであれば存続させる」との方針を示している。しかしながら、電化論は河戸駅-三段峡駅間の切り捨てになるとの意見に押され全線存続論が主流となってゆく。しかし、利用実績はJR西日本の示すラインには及ばず2003年に廃止となった。
廃止後に広島市はJR西日本との線路敷地無償譲渡協定において「市から電化延伸の協議要請があれば応じる」との約束を取り付け、地元による工事費全額負担の条件付きで可部駅-河戸駅間の電化延伸による復活開業の可能性を残した。廃止後も、旧河戸駅周辺住民と広島市が、月に1回JR可部線電化延伸等連絡会を開催。2005年に入ってからも電化延伸の要望は行われているが[1][2]、緑井駅-可部駅間のすれ違い施設を含めて30億円から40億円かかる事により広島市は財政難を理由に消極的である。恩恵を受ける沿線住民にも資金集め等の具体的な動きはなく、電化延伸は具体化していない。以北の観光鉄道としての復活開業も頓挫しており、本案についても厳しさを増しているのが実情である。しかし、2008年9月末に国の補助対象に選ばれ、2008年10月、同区間の電化復活についての議論が本格的になされることとなった。JR西日本は事業化に関しては慎重である[3]。
このようにJR線を便利にするには工事費の地元全額負担が大前提となっており、山陰本線・津山線・因美線などでは実際に地元負担による改良が行われている。国鉄時代のように単に要望するだけでは実現されないのが現状である。広島県の財界が提言した芸備線や木次線の電化・高速化計画なども地元の全額負担がなければ実現されないとされる。可部線#可部 - 三段峡間の廃止についても参照。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 平成18年度の要望書受理状況
- ^ 平成19年度の要望書受理状況
- ^ 中国新聞朝刊2008年10月23日13面「可部線活性化調査 国の補助に 可部-河戸復活に光明」
[編集] 外部リンク
|
|||||








