河野義行
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河野 義行(こうの よしゆき、1950年 - )は、日本の著述家。特定非営利活動法人リカバリー・サポート・センター理事。愛知県豊橋市出身。名城大学理工学部卒。山岳写真家の河野齢蔵は妻の祖父にあたる。
松本サリン事件の被害者でありながら、警察・マスメディアから事件の犯人であるかのように扱われた。このときの体験を多くの書物にまとめている。
現在は報道被害に関する問題や一連のオウム裁判について、各種メディアに寄稿するなどして積極的に発言しており、客観的で冷静な視点で知られている。2002年に長野県知事であった田中康夫の要請を受けて、長野県警を監督する長野県公安委員を1期務めた。
目次 |
[編集] 松本サリン事件と冤罪
1994年6月27日夜に発生した松本サリン事件の第一通報者であったことから関与が疑われ、長野県警察は家宅捜索を実施した(捜索令状を出したのは、松本簡易裁判所判事であった松丸伸一郎裁判官)。自宅から大量の農薬が発見されたこと、不審な煙を見たとの証言(虚偽と判明)からさらに嫌疑が深まった(後の警察の科学調査で、農薬からサリンは生成できないことが判明している。またサリンは本来は無色無臭の液体である)。
地元紙の信濃毎日新聞をはじめ、警察から情報をリークされたマスメディアもこぞって犯人扱いした。逮捕はされなかったものの、翌年まで社会から犯人視され続けていた。
しかし、1995年3月に地下鉄サリン事件が発生したことがきっかけとなり、松本サリン事件もオウム真理教の犯行であると判明し、疑いが晴れ、以後ネット媒体の普及などを通じ徐々に名誉も回復した。
後に、当時の国家公安委員長であった野中広務から謝罪を受け、マスメディア各社も謝罪文を掲載した。 しかし、長野県警は「遺憾」の意を表明したのみで「謝罪というものではない」と捜査の間違いを認めなかった。のちに河野が長野県公安委員を務めた際、長野県警本部長が当時の捜査について謝罪せざるを得なくなったが、これが県警の初めての直接の謝罪であった。
なお、妻はサリンによる被害を受け長らく意識不明状態であり、献身的な介護が続いていたが、2008年8月5日に事件以来意識が回復することなく60歳で死去。その死に際して「我が家におけるサリン事件はこれで終結したものと考えています」とコメントを出した。
[編集] 死刑について
オウム真理教の被害者にしては珍しく、死刑に対して慎重な考えを持っている。理由として、オウム真理教の被告人を死刑にすることで、「殉教者」になることを恐れていること、殺人を起こす人が刑法の規定を理解した上で殺人を犯しているわけではないことを挙げている。また、麻原彰晃のことを「さん」付けで呼び「教えは間違っていた」と声明を出してほしいと著書の中で訴えている。
[編集] 公安委員在職中の活動
飯田市大王路の無職の女性(当時77歳)が2004年4月に殺害され、当時、その長女が「犯人扱いされた」と訴えていた問題で、私人として長女宅を訪れ、長女らと約2時間半にわたって非公開で面談した。
飯田署でポリグラフ(うそ発見器)をかけられたことや強要された自白、深夜まで事情聴取を受けたことなどについて説明する長女に対し、松本サリン事件で一時容疑者扱いを受けた自身の体験を話した。
面談後、「直接の謝罪は必要。市民にとって大きな負担となる捜査方法は改善すべき」として、県公安委員会で警察側に陳謝の要望があったことを報告すると約束。任意の事情聴取を何時間以内にとどめるべきかなど捜査の指針作成を提案する意向を示した。
事情聴取のポリグラフについて、「一般市民には非日常的なことだが、警察にすれば日常的。そのギャップは大きい」と指摘した上で、「今後は県警が配慮してギャップを埋めていく必要がある」とした。
この件に対し、長女は「話を聞いてもらって楽になった。」と話している[1]。
その後、生坂ダム殺人事件の長野県警の捜査ミス糾弾(他殺死体を自殺事件と断定したが、公訴時効成立後に覚せい剤所持等の別件で逮捕された犯人の任意の自白により殺人事件と判明)において、田中知事と対立し公安委員を更迭された[2]。
[編集] 著作
- 妻よ!(潮出版社)
- 松本サリン事件報道の罪と罰(浅野健一との共著 第三文明社ほか)
- 「疑惑」は晴れようとも(文藝春秋)
- 松本サリン事件(近代文芸社)
- 命あるかぎり~松本サリン事件を超えて~(第三文明社)
[編集] 河野義行を演じた俳優
- 寺尾聰 - 『日本の黒い夏─冤罪』(河野をモデルにした・神部俊夫 役)
- 石黒賢 - 『金曜プレステージ「妻よ! 実録・松本サリン事件犯人と呼ばれて…家族を守り抜いた15年」』(2009年6月26日、フジテレビ)(実名役)
[編集] 脚注
- ^ 南信州サイバーニュース
- ^ 田中知事は冤罪被害者の河野が長野県警糾弾の先鋒になることを期待したが、河野は「当時の捜査において他殺と断定できなかった事はやむを得なかった」との判断をしている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年10月3日 (土) 01:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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