津軽郡 (渡島国)
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津軽郡(つがるぐん)は渡島国にかつて存在した郡である。現在の松前町の区域にあたる。
- 明治9年の大区小区
- 第11大区
- 1小区 原口村、江良町村
- 2小区 清部村、茂草村、雨垂石村
- 3小区 赤神村、札前村、根部田村
- 4小区 総社登町、生符町、白川町
- 5小区 愛宕町、博知石町
- 6小区 唐津内沢町
- 7小区 西館町、唐津内町
- 8小区 湯殿沢町、(新町)?、小松前町、松城町
- 9小区 大松前町、枝ヶ崎町、中町、(蓑町)?、横町
- 10小区 蔵町、中川原町、川原町
- 11小区 神明町
- 12小区 馬形上町、馬形中町
- 13小区 馬形下町、端立町
- 14小区 東上町、東中町、東下町、東新町、泊川町
- 15小区 伝治沢町、山ノ上町、寅向町
- 16小区 下及部村、上及部村、大沢村
- 17小区 荒谷村、炭焼沢村
- 第11大区
[編集] 沿革
室町時代までに道南十二館のうち原口館・禰保田館・大館・覃部館が築かれていた。コシャマインの乱の際これらの館はいったん落城したものの、散発する蝦夷との交戦時の拠点となった。その後もショヤ(庶野)、コウジ(匐時)兄弟率いる蝦夷が蜂起、永正10年には大館が落城し、松前守護職の相原季胤らが討ち取られた。翌永正11年蠣崎光広が大館に入城、上国に加え松前守護職も兼務するようになる。慶長5年から慶長11年にかけて松前城の前身の福山館が築かれた。
江戸時代の津軽郡域は和人地となっており、北前船も松前に寄航していた。陸上交通は、箱館方面へは吉岡嶺を経て奥州街道(松前道)が、檜山郡方面へは小砂子(ちいさご)山道が通じていた。松前藩の居城も置かれ、当初松前藩領とされていたが、江戸時代後期の文化4年、津軽郡域を含む渡島国域が天領とされた後、文政4年ふたたび松前藩領に復した。幕末には檜山郡との間に内陸を通る福山-上ノ国間山道が開削された。1869年に津軽郡が置かれる。北海道渡島国に含まれた。
- 1871年(明治4年)7月14日 - 廃藩置県により津軽郡は館県の所管となる。
- 1871年(明治4年)9月 - 館県は道外の弘前県などと合併、これにともない津軽郡は弘前県(後の青森県)の一部となる。
- 1872年(明治5年)10月 - 旧館県地域を青森県から開拓使に移管。これにより津軽郡が開拓史の所管となる。
- 1881年(明治14年)に知内村、小谷石村(福島村より分村)を除く福島郡を併せ松前郡となった。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年9月24日 (木) 08:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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