浅草公園六区

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映画館が立ち並ぶ浅草六区の歓楽街、1937年1月
左 - 松竹館 池田義信の旧作『わが母の書』(1936年12月作品)、伊藤大輔の旧作『あさぎり峠』(1936年10月作品)ほか上映中
右 - 常盤座 アチャラカ演劇一座「笑の王国」(古川緑波菊田一夫退団後)上演中

浅草公園六区(あさくさこうえん ろっく)は、東京都台東区浅草にある日本の歓楽街である。通称浅草六区1884年(明治17年)以来の名称である。

目次

[編集] 略歴・概要

1873年(明治6年)の太政官布告により、浅草寺境内が「浅草公園」と命名され、1884年(明治17年)、一区から七区までに区画された。この時浅草寺裏の通称・浅草田圃の一部を掘って池を造り、池の西側と東側を築地して街区を造成。これが第六区となり、浅草寺裏手の通称奥山地区から見せ物小屋等が移転し、歓楽街を形成した。

凌雲閣 十二階、手前は大池

1887年(明治20年)の根岸興行部の「常盤座」に始まり演劇場、活動写真常設館オペラ常設館などが出来て隆盛を誇り、江川の玉乗り、「浅草オペラ」(1917年 - 1923年)、安来節等が注目を浴びた。1890年(明治23年)、突き当たりに建設された凌雲閣は通称「十二階」と呼ばれた高層ビルで、その展望台は浅草はおろか東京でも有数の観光名所となったが、1923年(大正12年)9月1日関東大震災で崩壊した。1903年(明治36年)には、吉沢商店が日本初の映画専門館「電気館」をオープンした。

昭和期(1926年 - 1989年)に入っても「アチャラカ」と呼ばれた荒唐無稽の喜劇が好評を博し、1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦の終戦後も軽演劇、女剣劇、ストリップ、およびその幕間に演じられたコントが注目を浴び、芸能の殿堂・一大拠点として、ここからスターとなった芸能人も数多かった。

1959年(昭和34年)、浅草寺五重塔再建のためにランドマークであった通称「瓢箪池」が埋め立てられ、跡地に楽天地の遊園地と東急グループの複合娯楽施設「新世界」が立つ。また、奥山から新世界までの間が西参道商店街として整備される。

高度成長期と呼ばれた1960年代に入り、テレビ時代を迎え、1964年(昭和39年)10月10日東京オリンピック以降、新宿渋谷六本木など城南方面に若者の文化が芽生え、浅草公園六区は急激な地盤沈下を迎える。若者世代の嗜好と合わなくなった映画館・劇場は悉く閉鎖され、新世界の跡には場外馬券売場 (WINS) が移転して、以降平日は通行人がまばらで週末は競馬目当ての客のみが集中する光景が多くなった。夜間は7時になると人通りも疎らになり、不夜城と詠われた嘗ての殷賑振りとは隔世の感がある。

1988年(昭和63年)には、映画『異人たちとの夏』のロケ舞台になった。

六区地区の斜陽に歯止めを掛けるべく、地元の「おかみさん会」等の下支え等により次第に復調の兆しを見せ、今日に至っている。

[編集] おもな劇場

[編集] 昭和初期

  1. 昭和劇場 - 凌雲閣跡地、劇場 ⇒ 昭和座 - 吉本興業直営、軽演劇 ⇒ 戦後 浅草東映劇場 ⇒ エンジョイスペースサンシャインアサクサ
  2. 江川劇場 - 玉乗りで知られる ⇒ 浅草新劇場
  3. 大都劇場 - 大都映画 ⇒ 浅草中映劇場
  4. 遊楽館 - 映画館 ⇒ 遊楽館 - 吉本興業直営、演芸場 ⇒ 浅草大番会館
  5. 浅草花月劇場 - 吉本興業直営、レヴュー軽演劇、演芸、映画 ⇒ 浅草パールホールビル
  6. 大勝館 - 映画館 ⇒ 浅草中映ボウル ⇒ キャピタル・ロマン・アポロ ⇒ 浅草大勝館
  7. 三友館 - 映画館 ⇒ 浅草東洋劇場 ⇒ 浅草演芸ホール
  8. 浅草映画劇場 - 映画館 ⇒ 商店に分割
  9. 富士館 - 映画館 ⇒ 浅草日活劇場 ⇒ パチンコスロットパンドラ
  10. オペラ館 - レヴュー、ピエル・ブリヤント ⇒ 商店飲食店に分割
  11. 千代田館 - 映画館 ⇒ 閉鎖 ⇒ 浅草電気館パシフィックコート
  12. 電気館 - 吉沢商店の日本初の映画館 ⇒ 浅草電気館パシフィックコート
  13. 国際キネマ劇場 - 映画館 ⇒ ROX
  14. 帝国館 - 映画館 ⇒ 浅草松竹映画劇場 ⇒ ROX
  15. 松竹座 - 映画館 ⇒ ROX
  16. 松竹館 - 映画館 ⇒ ROX
  17. 大東京 - 映画館、大正時代はマキノ・プロダクション封切館 ⇒ 商店に分割
  18. 東京倶楽部 - 映画館 ⇒ スーパーマルチコート
  19. 常盤座 - レヴュー ⇒ 浅草トキワ座 ⇒ スーパーマルチコート
  20. 金龍館 - レヴュー ⇒ 浅草ロキシー映画劇場 ⇒ ROX3
  21. 日本館 - 映画館 ⇒ ROX2G (マクドナルド等)
  22. 公園劇場 - 劇場 ⇒ 公園劇場 - 吉本興業直営、演芸場 ⇒タイトーステーション
  23. 万盛座 (万成座、元そば屋万盛庵) - 吉本興業直営、レヴュー、軽演劇
公園四区
  1. 木馬館 - 現存
  2. 浅草公園水族館 - 四区勧工場共栄館跡地、カジノ・フォーリー ⇒ 常盤堂雷おこし本舗

[編集] 昭和30年代以降

  • 浅草東映劇場
    東映直営の封切館。「十二階」の跡地、戦前の「昭和劇場」の跡地に建設。2003年(平成15年)5月22日に閉鎖され、跡地にパチンコ店が立地。
    • 浅草東映パラス
    東映直営の洋画封切館。東映洋画系。浅草東映劇場2階、上記同様に閉鎖。
    • 浅草東映ホール
    東映直営。浅草東映劇場地下。名画座、成人映画封切を経てにっかつ封切の「浅草日活」。のち松竹に賃貸して「浅草松竹映画劇場」(三代目の移転場所)になるが、最終的に「浅草東映パラス1」となる。上記同様に閉鎖。
  • 浅草新劇場 - 現存
邦画名画座。中映株式会社経営。東宝・松竹・大映・日活の名作を組み合わせて上映。ただし、その組み合わせ方は一種異様で独特。(チャンバラ映画とヤクザ映画と純愛物、封切終了直後の話題作とB級喜劇とアイドル映画など)。元々は実演劇場で「江川劇場」。戦時中松竹の経営となり「浅草松竹新劇場」と改称。清水金一の実演が売り物だった。その後松竹傍系の中映に移管され、名画座になる。
  • 浅草世界館 - 現存
    中映経営。成人映画上映。浅草新劇会館内。
    • 浅草シネマ - 現存
    中映経営。成人映画上映。浅草新劇会館内。もともとはストリップ劇場「浅草座」、のち「カジノ座」が移転。
  • 浅草中映劇場 - 現存
    中映経営。邦画名画座。浅草中劇会館(旧大都劇場)内。
    • 浅草名画座 - 現存
    中映経営。洋画名画座。浅草中劇会館内。現在は日本映画の名画座。
  • 浅草美人座
中映経営。ストリップ劇場。浅草中劇会館裏手。2階には浅草ロマンス座(ストリップ劇場)があった。1954年(昭和29年)閉鎖。
  • 百万弗劇場
ストリップ劇場。国際通り沿い。現在は閉鎖。
  • 浅草花月劇場
吉本興業直営。戦前は、レビューの「吉本ショウ」を上演。「あきれたぼういず」を売り出す。高見順の代表作『如何なる星の下に』(1939年 - 1940年 連載)の舞台ともなった。戦後「浅草グランド劇場」と改称して洋画封切館に転身。その後、浅草花月劇場に名前を戻し、軽演劇や女剣劇を上演。1960年代以降は東映作品を中心とした邦画名画座に転換。漫才ブームの最中に閉鎖(1980年代)。当時吉本唯一の東京の事業所であったが、吉本側ではすでに浅草は終わった場所として見限っていたため、漫才ブーム後躍進した吉本の東京の拠点には成り得なかった。現在は「浅草パークホールビル」(JRAWINS別館)。吉本興業は2006年(平成18年)11月以降、同地ではなく、浅草観音裏の言問通り沿いにある雷5656会館5階のトキワホールにて「よしもと浅草花月」と銘打った演芸興行を定期的に行っている。
東宝の泰豊吉社長にストリップショウの有望性を説かれた東洋興業の松倉宇七が開業。戦後の浅草の中心的存在となり、特にストリップは東洋興業と中映がしのぎを削って発展させた。ロック座には踊り子(ストリッパー)の他有能なコメディアンが数多く在籍して隆盛を誇っていたが、ストリップを取り巻く環境が変化し、関西発祥の猥雑な興行形態が主体となるにつれ、東洋興業はストリップ興行からの撤退を決意。人気ストリッパーの東八千代(斎藤智恵子)と歩興行の契約を結び運営一切を委譲。まもなく正式に売却し、斎藤の手により改築され内装・興行形態も一新。関西系の猥雑な内容を一切行わず、レビュー形式の舞踊を主体とした興行形態がロック座のスタイルとして確立し、ロック座チェーンの旗艦劇場として現在に至る。
  • 浅草東宝劇場
東京楽天地経営。東宝封切館であったが、深夜興行には独特のプログラム(クレージーキャッツ特集・ゴジラ特集など)を組み、映画ファンに好評を得ていた。元々は浅草楽天地の遊戯施設があった箇所。2006年(平成18年)2月13日閉鎖。これで浅草公園六区から封切館が消滅。
  • 浅草宝塚劇場
東京楽天地経営。東宝系の映画館であるが、実演の興行も行われた。1969年(昭和44年)廃座、現在は楽天地ボウル。
ロードショー劇場。松竹・中映が長年経営していたが斜陽により1971年に閉鎖。「浅草中映ボウル」に改築され、中にキャピタル、ロマン、アポロの各映画館が設けられたが、いずれも成人映画を上映していた。1980年代半ばに閉鎖され、長年空家状態のまま放置されていた。
    • 浅草大勝館 - 休館中
    大衆演劇を上演する劇場。浅草ロック座の斎藤智恵子が経営。中映が放置していた上記建物を買収し、館内を大改装して大衆演劇に転向。2007年9月に老朽化に伴う再改築のため一時休業となるが、再開後は名実共に大衆演劇の殿堂に相応しい劇場が誕生する予定。
    • 浅草カジノ座
    中映経営。ストリップ劇場。大勝館の地下にあった。1960年(昭和35年)に浅草新劇会館内に移転。
東洋興業経営。ストリップ劇場。渥美清萩本欽一ビートたけしを輩出し、劇作家としても井上ひさしを世に送り出した伝説の劇場。東洋興業撤退後はビートたけしの師匠・深見千三郎(久保七十二)が歩興行の契約を結び、一切を執り仕切っていた。深見の死後も興行を続けていたがストリップの退潮に抗しきれず、遂にストリップ興行を打ち切り舞台を改装。「浅草フランス座演芸場・浅草東洋館」と改称して、漫才協会、東京演芸協会、ボーイズ・バラエティ協会といった各色物団体や落語協会(正月上席)と提携した演芸興行を行い現在に至る。なお、月末には独自に若手芸人主体のお笑いライブを開催している。
    • 浅草東洋劇場
東洋興業経営。軽演劇を上演。1964年、上記フランス座を取り壊して開場。1971年上階にあった寄席・浅草演芸ホールが移転する形で閉鎖。
東洋興業経営。落語定席。1964年、浅草東洋劇場上階に開設。1971年浅草東洋劇場跡に移転。
映画館。中映経営。かつては生駒雷遊が専属弁士となった時期があった。のち、大蔵貢が買収して新東宝の封切館となった時期もあった。最晩年は成人映画を上映していた。壁面の楽譜を象ったネオンが独特。1976年(昭和51年)に閉鎖。
1903年(明治36年)、日本初の映画封切館として誕生。のち、松竹の経営となり戦前は新興キネマ、戦後は大映の封切館となった。大映倒産後に中映に移管されて東映封切館になるが、1976年(昭和51年)閉鎖。跡地は「蚤の市」として長らく更地となっていたが、現在は飲食・住宅の複合施設「電氣館ビル」。
  • 浅草日活劇場
浅草富士館。日活直営。1800人収容の大勝館・帝国館と並ぶ大規模劇場。閉鎖され、新世界が一時期移転してキャバレーとなっていた。その後取り壊され、現在はパチスロ店が立地。
  • 浅草アンコール劇場
もともとは「テアトル浅草」という名前の映画館。公園劇場に改称して実演を上演。軽演劇やストリップ、女剣劇と興行形態を転々とし、この名前で名画座となった後廃座。パチンコ店に転換した。松竹直営。現在は浅草ROX
  • 浅草松竹映画劇場(初代)
浅草帝国館。松竹直営。浅草を代表する映画館の一つであったが、1983年(昭和58年)に閉鎖された。現在は浅草ROX。
松竹直営。軽演劇と色物専門の演芸場。現在は浅草ROX。
松竹少女歌劇の本拠地。1960年代初頭には早くも閉鎖されボウリング場に転向。その後丸石家具センターに賃貸されたが閉鎖。現在は浅草ROX。
松竹直営の名画座。かつては隣接する金竜館・常盤座と三館共通制を採っていた。後ろから見ると芋虫の様な独特の形態をした建物であった。現在は閉鎖され、ROX3等。
  • 浅草ロキシー映画劇場
浅草金竜館。松竹直営。洋画を上映。戦前及び終戦直後は松竹洋画系の基幹劇場であり、松竹の洋画関連部署である「ロキシー興行社」が同劇場内に所在していた。のち洋画の成人映画封切となるが、1983年(昭和58年)、「浅草松竹映画劇場」(二代目)と改称し、松竹封切館になる。現在は閉鎖され、ROX3等。
根岸興行部が建てた公園六区最初の劇場。根岸大歌劇団(浅草オペラ)の本拠だった時代も。松竹系の常盤興行を経て松竹直営となり、戦後森川信一座の軽演劇等で好評を博す。1965年(昭和40年)中映に移管され、「浅草トキワ座」と改称。邦画名画座になるが不採算のため閉鎖。空家状態が続いたのを、おかみさん会が松竹から賃借して演劇の定期興行を再開した。しかし、再開発に伴い松竹が権利をTOCに譲渡し、閉鎖された。現在は浅草ROX3。
松竹直営。邦画の下番線館であったが、末期は松竹(東活)系成人映画の封切館であった。閉鎖され、現在は浅草ROX2G(TSUTAYAが入居)。

[編集] 交通

[編集] 関連項目

[編集] 関連組織

[編集] 関連人物

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最終更新 2009年11月8日 (日) 03:18 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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