浦上燔祭説

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浦上燔祭説(うらかみはんさいせつ)は、高橋眞司(高橋真司)・長崎大学教育学部教授(2006年度で長崎大を定年退職)によって提起された、永井隆原子爆弾被爆にまつわる思想についての定義のひとつであり、永井の言説および著作(『長崎の鐘』など)に関する論評のひとつである。浦上燔祭論(うらかみはんさいろん)。

「燔祭(はんさい)」とは、生贄にささげる儀式。そのなかでも全燔祭を「ホロコースト」(en:Holocaust (sacrifice))と呼ぶ場合がある。

目次

[編集] 状況

広島は、三角州(デルタ地帯)でおおむね平坦な土地である。原子爆弾は市の中心部に落とされたことから、その被害は市街地全域に幅広く及んだ。

長崎での原子爆弾は、浦上という街外れの山あい集落に落とされたものである。浦上川の両岸にわずかな平地があり、と並行するように急峻ながそびえ立つ。この山間が回廊回廊地帯)のような役割を果たして、狭い地域を爆風が吹き抜けた。複雑な地形は、長崎の原爆被害に同じ市内であっても場所によって濃淡をつけることになった。例えば長崎駅では、爆風で窓ガラスの破損などがあったものの、その他の被害は割合に軽微であった。長崎県庁でも被害は少なかった。被害の程度に差があることや市街地の被害が比較的大きくなかったことは、その後の原爆についての考え方や態度で長崎市民の間に、温度差や時には対立をも生じることになった。

「原爆は長崎ではなく浦上に落ちた」「お諏訪さん(諏訪神社)が原爆から守ってくれた」などと市民の間で公然と言われるような被爆直後の状況に、カトリック信者である永井は直面することになる。

[編集] 概要

高橋は、永井の著作などから言葉を引用して、永井の考えを次のように分類する。

  1. 永井は長崎原爆をどう見るか - 「摂理(大きな御摂理)」である。
  2. 永井は原爆死没者をどう見るか - 「汚れなき小の燔祭」である。
  3. 永井自身を含めて生き残った被爆者はどうすればいいか - 「神が与えた試練であり、神に感謝」すべき。

また、永井が反共主義者であったことも指摘する。さらに、戦争責任や原爆投下の責任の追及をしないままに、戦争を引き起こしたのは「私たち自身である」としたことは、結果的にせよアメリカ政府GHQ日本政府の思惑にかなうものであった、とする。そして永井が持てはやされるかたわらで被爆者の声はかき消され、被爆者援護は大きく立ち遅れることになった、としている。

[編集] 反応

片岡千鶴子・長崎純心大学学長はこれに対して、原爆死没者を冒涜することにもなりかねない「原爆天論」を排する目的で信徒に向けられた信仰上の発言であって政治文脈にからめて論ずるべきではない、としている。

また、本島等・元長崎市長は、江戸時代から連綿と続いてきたキリシタンキリスト教信者)への迫害・差別・弾圧の果てに原爆の被害を受けて浦上の信徒は苦しみのどん底にあったが、同時に太平洋戦争が終わったことで初めて信教の自由が得られたのであり、信徒を激励し皆が一致して教会を再建するためには永井はそのように言うしかなかった、としている。

[編集] 参考

[編集] 関連書籍・論文など

  • 長崎純心大学博物館磯村平和文庫・編、片岡千鶴子・片岡瑠美子・編著 『被爆地長崎の再建』(長崎純心大学博物館研究 特輯) 長崎純心大学博物館・刊 1996年3月

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月29日 (火) 22:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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