海光山大五郎
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海光山 大五郎(かいこうざん だいごろう、本名は小倉 清次(おぐら せいじ)、1900年3月16日 - 1954年5月16日)は、徳島県海部郡宍喰町(現海陽町)出身の元大相撲力士。最高位は西前頭2枚目(1934年5月場所、1937年5月場所)。二所ノ関部屋所属。身長176cm、体重128kg。得意手は左四つ、吊り、寄り、突き。
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[編集] 来歴
兵役を終えて1924年5月場所に幕下付出で初土俵を踏む。このときすでに23歳だった。1927年10月場所で十両に昇進したが、そのあと何度も幕下との間を往復し、1932年1月場所に新入幕を果たしたときは、すでに30歳を越えていた。その間、1928年5月場所に海光山と改名。この四股名は、師匠だった「海山の名を光らせる」という意味を込めて付けられたものだった。
しかし、新入幕と同時に春秋園事件がおき、革新力士団に加わり脱退、1933年1月場所、幕内格別席で復帰した。その後は左四つから太鼓腹を利しての寄りを得意として、幕内中堅力士として活躍、独立して部屋を興した兄弟子の横綱玉錦を支え土俵入りでは露払を務めた。
その玉錦が亡くなったことで張りを失ったか1939年1月場所、太刀持ちだった土州山とともに当時13日制の幕内で全敗して引退、二枚鑑札で部屋を継いだ玉ノ海を年寄として助け、後進の指導につとめたが、1953年5月に廃業、まもなく亡くなった。
[編集] 主な成績
- 幕内在位:13場所(春秋園事件の1932年1月場所は含まない)
- 幕内成績:69勝82敗 勝率.460
[編集] 四股名変遷
- 八坂濱 ?(やさかはま ?)1924年5月場所 - 1928年3月場所
- 海光山 大吾郎(かいこうざん だいごろう)1928年5月場所 - 1934年1月場所
- 海光山 大五郎(- だいごろう)1934年5月場所 - 1939年1月場所
[編集] 年寄変遷
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年8月21日 (金) 13:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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