海戦

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海戦(かいせん, Naval battle, Naval warfare)は、海洋において行われる戦闘のこと。狭義では海上戦闘をさす。しかし、第二次世界大戦以降、航空機ミサイル潜水艦レーダーが発達し、時代によってその形態には大きな差異があるため、さまざまな形態の戦闘を包括する概念として以下に記述する。

[編集] 概要

海洋の重要性はその国の地理的環境、産業構造、国民性などによって若干異なるが、古来よりさまざまな権益が関わる空間であり、海戦とはそれら権益を含む海洋の支配権、すなわち海洋権を巡る対立の最終局面である。道路網の整備が進むまで、大量に物資輸送するのに適していたのは船舶による海上輸送であった。そのため海上での交通路の安全を確保するため、海上における軍事力として海軍が必要となった歴史的な経緯がある。

その形態については主に航空母艦を主力とした航空打撃戦、対空戦闘、対潜戦闘、水上戦闘などがあり、実際にはこれらが同時に平行して進行する場合が多い。海上戦力は陸上戦力とは異なり、長期間にわたる持久戦が不可能であり、即時決戦となる特徴があり、またその勝敗も圧倒的な勝利か壊滅的な敗北かとなる性質がある。

[編集] 形態

海戦は兵器の発展と共にその形態を多様化させてきた。哨戒や電子戦など補助的なものは省き、ここでは基本的な海戦の形態に限って記述する。

[編集] 対水上戦闘

現代における対水上戦闘とは、巡洋艦駆逐艦などの水上艦艇、潜水艦航空機などの戦力によって敵の海上戦力を撃破することを目的とした、最も伝統的な海上戦闘の形態である。かつては砲戦がその主な手段であったが、魚雷機雷ミサイル、電子戦、航空機や潜水艦の発達と共にその内容が複雑化している。故に艦隊は対空・対潜・対艦の武装がシステム的に運用できるように搭載されることが重要である。

[編集] 対空戦闘

航空機やミサイルなどの航空戦力に対応する戦闘である。特に対艦ミサイルはその高速性や低空飛行能力から迎撃が非常に難しく、近年その射程や運搬手段である航空機や潜水艦の発達と共にその対応が難しくなっている。機動部隊では電子偵察機、空中早期警戒機、迎撃戦闘機イージス艦、駆逐艦が重層的な妨害・撃墜手段を行う。

[編集] 対潜戦闘

詳細は「対潜戦」を参照

潜水艦に対応する戦闘である。潜水艦はその活動領域が電磁波が通じない海中であるので、その捜索、捕捉するためには海底に設置されている固定音響探知システムや対潜哨戒機などさまざまなソナーが情報を収集し、それらの情報を総合的に分析することが必要である。また攻撃する際にも、海上艦艇では機動力に乏しく、逆襲される危険がある。しかし航空機では艦艇とは違い、長時間にわたる捜索活動が困難である。近年の対潜戦闘はヘリコプター搭載艦が適当だと考えられるようになってきている。

[編集] 強襲両用作戦

詳細は「水陸両用作戦」を参照

強襲両用作戦とは水陸両用作戦とも呼ばれ、敵の支配下にある沿海地域に対して部隊を上陸させることを目的とした作戦である。大規模な部隊を上陸させる戦略的上陸作戦と小規模な特殊部隊を秘密裏に上陸させるコマンド作戦の二種に大きく分類される。この作戦に当っては揚陸のために大型ヘリコプター強襲揚陸艦、水陸両用強襲車両、ドッグ型揚陸艦、戦車揚陸艦など海上における戦闘とは別の各種兵器が必要となる。海上部隊は上陸部隊の上陸を支援するために砲撃や電子戦を展開し、上陸する部隊の被害を最小限にとどめ、部隊を海岸まで輸送することが求められる。

[編集] 護衛作戦

船舶・船団を海上戦力を以って敵部隊の攻撃から護衛することを目的とした作戦である。海上護衛戦とも言う。出発から到着まで敵部隊を逐次排除しながら航行する直接護衛と、海峡などに敵の動きを妨害するために機雷を敷設することや、哨戒、対潜捜索などを行いながら安全を確保する間接護衛とがある。

[編集] 機雷戦

詳細は「機雷戦」を参照

妨害を目的として敵の海洋交通路に機雷を設置する攻勢的機雷戦と、敵艦隊の進入を阻止することを目的として、海洋交通路に機雷を敷設する守勢的機雷戦がある。機雷が設置されれば、海上戦力の運用が大幅に制限され、最悪の場合は船舶が沈没するなどの被害が出る場合がある。故に敵の機雷を無力化することを目的とした掃海が必要となり、近年ではヘリコプターや掃海艇がこの任務にあたる。

[編集] 戦術

[編集] 衝角戦術

衝角とは、艦首部に装備される突起物のことで、敵艦に艦首を突き込む戦法。古代の海戦では広く使われた。近代では普墺戦争リッサ海戦で、オーストリアのテゲトフが実践し成功を収めた。

[編集] 単縦陣戦法

艦隊を単純に進行方向一列に並べた陣形。16世紀、ポートランド沖海戦の教訓からイギリス海軍が伝統的に採用した。

[編集] 丁字戦法(T字戦法)

詳細は丁字戦法を参照

敵艦隊の進行方向前方を単縦陣で自艦隊を射程内で横切りながら砲撃を加える戦法。この艦隊関係を築くことで、自艦隊すべての砲を敵艦隊の先頭に集中させることができる。この一方的な陣形を築くため艦隊運動の研究が進んだ。日本海海戦では、東郷ターンによりこの陣形を築くことに成功し、日本の連合艦隊は一方的な勝利を得た。丁字戦法は、日本海海戦で初めて行われたという説もあるが、一般的にはこれは誤りで、ポートランド沖海戦でイギリス艦隊やトラファルガーの海戦においてホレーショ・ネルソン提督がスペイン・フランス連合艦隊に対してネルソン・タッチと言われる丁字戦法とよく似た戦法を採用している。

[編集] 海戦史

[編集] 古代・中世

ガレー船時代の海戦戦術も参照
海軍古代地中海で生まれたと考えられている。これは、中国などはあくまで陸上での戦闘が中心であったのに対し、ヨーロッパ周辺では地中海を舞台とした海上交易が早くから始まったため、その制海権を確保することが重要だったことに起因する。紀元前15世紀からフェニキアが地中海を制し、その後古代ギリシア海軍が地中海を制した。古代の海戦はガレー船が中心で、船上に控えた兵士で敵船へ斬り込んで戦闘を行った。

紀元前480年サラミスの海戦三段櫂船を擁しテミストクレス率いるギリシア艦隊が艦数で勝るペルシア艦隊を撃破した。紀元前31年アクティウムの海戦では、ローマ艦隊がアントニウス率いるカタパルトを装備したエジプト艦船に対して火矢と火壺を投擲して勝利を収めている。

1538年プレヴェザの海戦オスマン帝国が宿敵のドーリア軍(スペイン)を撃破し地中海を制圧。スペイン勢力を地中海から締め出しイスラム教徒覇権を確立する。斬り込みを中心とした海戦はこれが最後となった。1571年に起きた、レパントの海戦はガレー船同士の最後の海戦となったが、火砲に勝るスペイン・イタリア連合がオスマン帝国軍を圧倒。砲撃戦が海戦を制する契機となった。

日本では原初的な海軍とも考えられる水軍が生まれ、壇ノ浦の戦い厳島の戦いなどは両軍の勝敗を決する役割を果たしている。

[編集] 近代

トラファルガーの海戦

帆船時代の海戦戦術も参照
15世紀に入り、大航海時代になると外洋航海技術が大きく発展した。軍艦も、漕ぎ手が必要なく、複数の甲板をもち、複数の大砲を並べたガレオン船が登場した。これにより海戦は片舷からの大砲の一斉射撃により勝敗を決するように変化した。当時の大砲の弾丸は実体弾であり、命中しても爆発はしなかった。まだ木造帆船が主であり、200メートルから400メートルに接近して砲弾を打ち合い敵艦を操舵不能にすることが主であった。17世紀に入ると、100門を超える砲数を持つガレオン船も現れ、また集中砲火を効果的に行うための艦隊運動の研究が進んだ。

1653年のポートランド沖海戦ではイギリス艦隊が丁字戦法を成功させ、オランダ海軍を撃破した。この戦いは、海戦で艦隊陣形を作らなければ勝利できないという教訓を与えた。1712年ハンゲの海戦ロシア帝国スウェーデンに勝利し、バルト海制海権を奪った。1805年トラファルガーの海戦ネルソン提督率いるイギリス艦隊がフランス艦隊に勝利し、イギリスが世界の海の制海権を握った。

[編集] 大艦巨砲主義

蒸気船時代の海戦戦術も参照
その後、大砲の射程が1000mを越えるようになると、艦隊運動で優位な陣形を組織し、集中火砲を浴びせることで、敵艦を撃沈する戦法が主流となった。19世紀に入ると、蒸気船が登場し、さらにスクリューが発明されて推進力が大きく向上した。大砲も砲弾が炸薬弾になり命中精度や射程が大きく向上、それにあわせて軍艦も防御力向上のため鉄船、鋼船へと進化を続けた。船の両舷にあった大砲は、旋回可能な砲塔上に艦の中心線に並べられるようになった。19世紀後半には、戦艦、巡洋艦など近代的な役割分担がなされ、主力艦による砲撃戦が海軍の戦略の中心となった。大艦巨砲主義の始まりである。

1905年日本海海戦では、日本海軍の連合艦隊がロシア帝国バルチック艦隊を圧倒。各国海軍の大艦巨砲主義はさらに進んだ。第一次世界大戦でのユトランド沖海戦では、イギリスとドイツによる超ド級戦艦同士の史上最大そして最後の艦隊戦闘が行われた。この海戦ではイギリス側の消耗が大きかったが、ドイツ海軍は北海内に封鎖され戦略的には失敗。また第一次世界大戦では航空機潜水艦が登場し、特にドイツの潜水艦による通商破壊戦は、イギリスを十分に苦しめ大艦巨砲主義の終焉も見えてくる。

それでも第一次世界大戦後、ワシントン軍縮会議を挟んだ一時期、各国の戦艦建造競争は緩和した。しかし各国の海軍は艦隊による制海権の維持を疑わず、条約が無効化した後も建造競争は行われ戦艦の大型化は進んだ。

[編集] 航空機の時代

マレー沖海戦

1941年真珠湾攻撃は、空母と航空機戦力の集中運用による戦闘の有効性を示した。さらにマレー沖海戦でイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズレパルスが撃沈されたことで、洋上にある艦隊への航空攻撃の有効性も示された。以後、制空権の獲得維持が海上戦闘の優位を決め、戦艦を主戦力とする大艦巨砲主義の時代は終わった。1942年珊瑚海海戦では、史上初の空母同士の海戦が行われた。この戦いでは日本海軍が優勢であったが、航空機による海戦は索敵能力と航空機動部隊のシステム運用が重要となり、以降の海戦はアメリカ海軍の優位で推移した。

第二次世界大戦後は、航空機やミサイルが発達し、原子力空母原子力潜水艦が登場。陸海空のシステム運用がより重視されるようになった。1982年フォークランド紛争では、アルゼンチン軍はフランスから導入したエクゾセ対艦ミサイルによる攻撃を行い、イギリス海軍の駆逐艦シェフィールド、輸送艦アトランチックコンベイヤーを撃沈するという成果をあげ、世界の海軍関係者に衝撃を与えた。この結果対艦ミサイルの威力が広く認識され、CIWS等が殆どの艦に配備されるようになった。

イラン・イラク戦争においては、海軍力で劣勢だったイラクが前掲のフォークランド紛争において名を高めたエクゾセを主に航空機(シュペル・エタンダール攻撃機、ミラージュF1戦闘攻撃機、シュペル・フルロン対潜ヘリコプター)から使用したのに対し、イラン革命後の将兵の粛清や脱走、部品供給の断絶で十分に機能しないイラン海軍を補助する形で、イラン革命防衛隊機関砲ロケットランチャー対戦車ミサイルなどで武装した小型高速ボートを投入した。また、実態は不明だが自爆攻撃用の高速ボートも出現していた。

いずれも双方へ向かうタンカーや貨物船を標的にした通商破壊戦であったが、特に後者はそれまで現代ではほとんど考えられていなかった「海上ゲリラ/テロ」という概念を復活させ、時として省略される事もあった近接防衛用の手動式の機銃を大型艦艇にも再導入させる事となった。

また、戦場となったペルシャ湾は水深が浅く、海流や水温も複雑な事から機雷戦には有利であり、双方海軍力が貧弱な事から好んで機雷敷設を行なった。これらは湾岸戦争イラク戦争を経て沿岸における海上作戦を再考させる材料となった。

[編集] 関連項目

[編集] 関連作品 

最終更新 2009年9月11日 (金) 04:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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