海老沢勝二
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海老沢 勝二(えびさわ・かつじ、1934年5月5日 - )は、平成期の日本放送協会(NHK)第17代会長、元横綱審議委員会委員長、元アジア太平洋放送連合(ABU)会長。茨城県潮来市出身で、潮来市名誉市民。
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[編集] 来歴・人物
[編集] 記者時代
早稲田大学高等学院を経て早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1957年にNHK入局。
最初は福岡放送局で記者として修行を積む。東京の放送センターに移ってからは政治部で記者として勤めた後管理職として出世し、1989年に専務理事に就任。出世は前上司でもあり元会長の島桂次の引立て、政治部時代に築いた人脈によるところが大きいとも言われる。
1991年に島が会長の座を追われると専務理事の職を解かれ出向、子会社NHKエンタープライズ社長に就任。その後NHK本体に復帰し1993年に専務理事に復職、1994年に川口幹夫会長の下で副会長就任。
[編集] 会長就任
1997年7月31日から2005年1月25日までの約7年半会長を務めた。この間、1999年にABU会長となり、2002年には「国際エミー賞」の経営者賞を受賞した(理由はハイビジョンの普及など)。
[編集] NHK不祥事
2004年中に相次いで発覚した一連のNHKの不祥事を巡って、最高責任者として信頼回復とNHK改革に尽力する旨を表明していたが、視聴者はもとより日本放送労働組合や政界からも辞任を求める声が強まり、2005年1月25日付けでNHK会長職を辞任した。ABU会長職についても加盟放送局の代表職を辞任した段階で辞任とみなされるため辞任に至った。
また、この不祥事によって海老沢はNHKで人事権を武器に独裁的な立場にあることが表沙汰になったため、週刊誌などで「エビジョンイル」(北朝鮮の独裁者である金正日になぞらえて)というニックネームを付けられたりもした。
直接の関与は不明だが、海老沢の出身地である茨城県内の小さな集落の、それほど有名でもない「祭り」が『NHKニュース』で取り上げられたことや、自身が出席するNHKニュース番組での露出が多かった事、息子がNHKに入局している、地上デジタル放送の三大都市圏に次ぐ放送開始エリアが、茨城県(NHK水戸放送局)だったことなどから、「公共放送の専横」として週刊誌及び視聴者から批判が相次いだ。
[編集] 辞職から現在
会長辞任翌日に後任の橋本元一会長の任命でNHK顧問として再就任したが、世間の猛反発に遭いわずか数日で辞任という事態になった。
2005年4月より杏林大学の客員教授、2006年1月より読売新聞社の調査研究本部顧問を務めている。
NHK会長在職時より、横綱審議委員会の委員を務めており、2005年1月23日の大相撲一月場所千秋楽の表彰式で「NHK金盃」の授与では自ら土俵に上がり表彰状を読み上げて幕内最高優勝した横綱・朝青龍明徳に表彰状と金杯を授与した(通常は代読がほとんどである)。
2007年1月には横綱審議委員会の委員長に就任した。このためNHKのニュースに海老沢の姿が再び見られるようになった。
退職金については2005年の辞任時より支払いが凍結されていたが、2009年10月13日に会長在籍中の分は支払われない方向で決着した。それ以前の分については支払われるため3146万円の支給となる[1]。
[編集] 今後について
早稲田大学が系属校として佐賀県唐津市に設立を計画している、中高一貫校「大隈記念・早稲田佐賀学園、早稲田佐賀中学校・高等学校」(仮称)の学校法人理事長に就任が予定されている。
[編集] 関連項目
- 茨城県出身の人物一覧
- NHKに言いたい - 海老沢はこの番組で一連の不祥事について改めて謝罪したが、鳥越俊太郎ら一部出演者に厳しく糾弾され、結果として辞任へ追い込まれた。
[編集] 脚注
| ビジネス | ||
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| 先代: 川口幹夫 |
日本放送協会会長 第17代:1997 - 2005 |
次代: 橋本元一 |
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最終更新 2009年11月15日 (日) 03:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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