清水トンネル

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清水トンネル(しみずトンネル)は上越線群馬県新潟県の間にあるトンネル。名称は、付近(直上ではない)にある清水峠にちなむ。

在来線である上越線はおのおの単線の清水トンネル新清水トンネル(しんしみず―)の2本があり、上越新幹線用の大清水トンネル(だいしみず―)(複線)と合わせて合計3本が並行している。

本稿では主に清水トンネルについて記載し、新清水トンネルと大清水トンネルについても記述する。

目次

[編集] 清水トンネル

[編集] トンネル開通前

清水トンネルができる前の関東地区と新潟を結ぶ鉄道は、高崎から碓氷峠を越えて長野・直江津経由となっていた。よってこれが新潟県(越後)へ行くメインルートで、信越本線と呼ばれていた。途中に難所の碓氷峠もあり、関東と新潟の往来は非常に不便であった。1914年には磐越西線が全通し、東北本線と同線を使用して向かうこともできるようになったが、いずれにしろ遠回りであることに変わりはなかった。

[編集] トンネル工事

群馬県の水上から新潟県の越後中里まで、その間にそびえる谷川岳の中腹を貫いて、7つの単線トンネルが掘削された。谷川岳の山体は「閃緑岩」と呼ばれる硬い岩ではあったが、工事自体は丹那トンネルのような悪戦苦闘の難工事ではなかった。[1]群馬側・新潟側の両方にループ線を設置して高度を稼ぎ、土合駅土樽駅間の本トンネル(清水トンネル)の長さをできるだけ短縮した。

[編集] 開通後の状況

新潟と上野の間が路線距離にして98km短縮されたうえ、碓氷峠の難所を通らずに済む効果で、到着時間の短縮幅は約4時間に達した。その結果、新潟地区と首都圏の交通事情が飛躍的に改善された。

なお、上越線の清水トンネルを挟む水上駅 - 石打駅間は1931年の開業当時から直流電化され、電気機関車が使用されていた。これは、蒸気機関車を使用して長大な清水トンネルを越えることは、機関士機関助士が煤煙によって窒息する事故を起こす危険性があるために不可能だったからである。なお気動車による列車に関しては、上越線の全線電化が早かったこともあって数は少なかったが、戦後になって非電化羽越本線只見線に直通する列車(特急「いなほ」・急行「鳥海」・「奥只見」)を中心にいくつか生まれている。

またこの県境の長大なトンネルは、さまざまな点から注目を集めた。開通後、川端康成越後湯沢(湯沢町)を訪れるようになり、その経験を元に1935年から執筆されたのが有名な『雪国』である。小説冒頭の「国境の長いトンネル」が、完成したばかりの清水トンネルであったとされる。

一方戦前の国定教科書である第4期『小學國語讀本』(通称:サクラ読本。全12巻、1933年から使用開始)の第8巻末には「淸水トンネル」として、3月に関東平野を走る汽車が清水トンネルを抜けて越後へ向かう様子が描かれている。作家の宮脇俊三はこの国定教科書で国語を習ったため、1937年に小学4年の3学期の授業で「淸水トンネル」を見て同トンネルの虜になったという。当人は、同年夏に母と嫁ぎ先が新潟に転勤となった姉の元へ行くため、急行列車で清水トンネルを通ったときの様子を『時刻表昭和史』でつづっている。群馬の郷土カルタ「上毛かるた」に「ループで名高い清水トンネル」と詠まれたのもこうした知名度を反映しているといえよう。

またトンネルの上にそびえる谷川岳は、この線の開通により首都圏から手軽に行ける本格的山岳として大人気となったが、冬の雪の多さと岩壁の厳しさは多くの遭難者を出し、「魔の山」と呼ばれるようになった

[編集] 茂倉信号場

新清水トンネル開通以前の単線時代は、清水トンネルの中間地点に列車交換のため茂倉信号場(しげくらしんごうじょう)が設置されていた(信号場の名称は、直上にそびえる茂倉岳にちなんで名づけられた)。設置は1943年5月15日、廃止は1984年11月1日である。現在も設備は温存されており、冬になると除雪のための保線車両が留置されることがある。なお新清水トンネルの中間地点にも列車交換設備を設置するための空間が存在するが、線路は敷設されておらず、清水トンネル内の茂倉信号場とも繋がってはいない。

[編集] 新清水トンネル

新清水トンネルの高崎方の入口
土合駅内の長岡方面の下り地下ホームに進入する長岡行き普通電車(2008年1月2日撮影)

戦後の経済成長で新潟への交通量が増え、これに対応するため上越線の複線化が実施された。新トンネルは群馬側のループトンネル下の新湯檜曽信号場(現在の湯檜曽駅)から掘削され、途中の土合駅はトンネル中に設けられ階段で地上へ出る構造をとり、(旧トンネルとほぼ同じく)土樽駅手前で地上に出た。

工事は難航し、湯檜曽駅付近掘削中には温泉湧出に遭遇した。その結果、泉脈の水圧低下に伴い周辺温泉街から苦情が出たため、コンクリートで湧出部を塞いだ。技術の進歩もあり清水トンネルの約半分の工期で完成した。それまでの清水トンネルは上り(東京方面)専用、新清水トンネルは下り(新潟方面)専用となった。

[編集] 大清水トンネル

上述の通り、読み方は「だいしみず―」である。上越新幹線の上毛高原駅越後湯沢駅の間にある。1979年1月25日に貫通した[2]

全長22,221mは、当時世界最長だったスイス連邦鉄道(SBB、スイス国鉄)のシンプロントンネル(19,823mおよび19,803m)を抜いて、世界一(1983年1月の青函トンネル貫通まで、山岳用としては2000年9月の東北新幹線岩手一戸トンネル貫通まで)となった。

工事中に湧水に悩まされたが、その水が非常に美味であったことから、1984年より『名水「大清水(おおしみず)」』ブランドとしてミネラルウォーターや清涼飲料水などにシリーズ化された。なおこの名称は「おいしい水」をもじったものである。発売元は国鉄からJR東日本を経てJR東日本高崎支社の関連会社であるジェイアール高崎商事へと代わったが、2006年10月1日から同日に設立された『株式会社JR東日本ウォータービジネス』に完全移管され、ジェイアール高崎商事はこの事業から撤退した。水源は引き続きJRが保有・管理し、2007年にウォータービジネスが『「From AQUA」~谷川連峰の天然水~』というミネラルウォーターの発売を開始、大手飲料メーカーとのタイアップによるこの水を使った商品展開をしている。

なおこの大清水トンネルの途中から新潟側に越後湯沢駅を挟んだ塩沢トンネルにかけ、長い下り坂を利用した営業最高速度275km/h運転が一部の新潟行き列車にのみ実施されていた時期がある。これは山陽新幹線で営業最高速度300km/h運転が実現するまで、定期列車の営業運転速度としては日本最高であった。

トンネル工事を行った際に、越後湯沢温泉水上温泉の泉脈に影響を与えたために源泉枯渇や湯量減少を招いた。後に、補償として源泉集中管理システムや新規源泉の開発が両温泉地に対して行われた。また貫通を目前に控えた1979年3月20日には群馬県側の保登野沢工区で火災が起き、16名の死者を出している。

[編集] 脚注

  1. ^ トンネル掘削は,岩のかたまりのような硬い地質の方が容易である。断層や海底などの柔らかく崩れやすい地質の場合に難工事となる。
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル』1979年4月号、25頁。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月21日 (土) 18:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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