清水仁 (実業家)

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清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - )は日本実業家。1995年東京急行電鉄社長に就任。東急グループ代表として、バブル崩壊の影響で業績不振に陥っていたグループの再興を行った[1]ほか、日本民営鉄道協会会長等の公職も務め、2004年には旭日大綬章を受章した。ほかに1992年運輸大臣表彰、1995年藍綬褒章受章。

[編集] 人物

東京都出身。1953年に一橋大学経済学部を卒業し、東京急行電鉄に入社。同社では長く財務部門、経営管理部門を歩み、入社後に公認会計士試験に合格し会計士補の資格も取得した[2]

専務等を経て、1週間前に横田二郎社長から後任社長の内示を受け、いったん固辞したのち、横田が取締役相談役として引き続き取締役に留任するなどとの説得を受け[3]、1995年東京急行電鉄代表取締役社長就任。

社長就任後はバブル崩壊によって生じた建設不動産部門などの不良債務処理にあたった。

1998年に東急グループから主要加盟社に対し「自立なき者は共創の輪に加わる事ができない」との方針[4]を通告、数百社をグループから離脱させるなどリストラを加速させた。

東急百貨店に対しても「東急ブランドを毀損したり、財務的に自立できない会社はいらない」と述べ、1998年9月に土地・建物などの売却や、1662年創業の白木屋以来の伝統があった日本橋店の閉店など、厳しいリストラ策を発表させた[5]。東急百貨店日本橋店跡地は、516億円で買戻特約付きで民間都市開発推進機構に売却され、その後三井不動産及び東急不動産によりコレド日本橋が建設された。1998年10月には伊豆急行東急観光にも資産売却などを柱とするリストラ策を発表させた[6]

またグループ各社の独立性を尊重し経営に介入しなかった横田前社長の路線を変更し、元グループ代表五島昇の側近のグループ各社会長・社長の粛清人事も行い、東急観光の遠藤邦彦社長、伊豆急行の大木俊一会長、東急ホテルチェーンの中島貢社長などが次々に退任した。1998年には横田や清水の後任社長候補としても有力視されていた創業者五島慶太の孫である五島哲が、建設部門の業績不振から東急建設社長を退任、1999年には「グループ各社のトップの人事権は電鉄にある」と明言し、かねてより退任を求められていた東急百貨店の三浦守会長も経営悪化の責任を取り退任した[7]

1999年東急グループ共同プロジェクトの都市開発事業の一環としてなされたQFRONT竣工披露パーティーに来賓として出席し、「渋谷は東急グループの中心地」とのあいさつを述べた[8]。1000億円の事業費が見込まれた渋谷の本社跡地再開発にもとりくみ[9]、2001年にはセルリアンタワーを完成させた。

2001年に70歳を定年とするグループの内規[10]に従い、後任社長に上條清文を据え、自身は代表取締役会長に退いた。同年日本エアシステムを東急グループから分離し、日本航空に経営統合させるなどのグループ再編において、陣頭指揮を執った[11]。2005年には取締役相談役就任。

趣味はクラシック音楽鑑賞、謡曲[12]

[編集] 略歴

[編集] 脚注

  1. ^ 日経産業新聞1995/05/01、 nikkei BPnetニュース2000年12月26日
  2. ^ 日本経済新聞1995/04/29
  3. ^ 日経産業新聞1995/05/01、日本経済新聞1995/04/29
  4. ^ 経営戦略の策定と推進
  5. ^ 週間ダイヤモンド2003/6/21 )
  6. ^ 日経産業新聞1999/04/19
  7. ^ 日経産業新聞1999/04/19
  8. ^ ASCII24ニュース1999年12月14日
  9. ^ 日経産業新聞1995/08/31
  10. ^ 日経産業新聞1999/04/19
  11. ^ 日経産業新聞2003/03/27
  12. ^ 日本経済新聞1995/04/29
先代:
瀬島龍三
亜細亜学園理事長
第5代:2007年 -
次代:
-

最終更新 2009年11月8日 (日) 08:32 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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