渋谷

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109周辺

渋谷(しぶや)とは、渋谷区に属する渋谷駅、及び渋谷駅を中心とする

目次

[編集] 概要

渋谷駅前のスクランブル交差点付近

池袋新宿と並ぶ三大副都心で日本を代表する繁華街の一つである。「西武百貨店」・「東急百貨店」・「パルコ」・「109」などのデパートや専門店・飲食店などが立ち並ぶ。渋谷駅前には忠犬ハチ公の銅像がある。若者として知られる。 また、同じ渋谷区にある、原宿と並ぶ、流行の発信地である。

1970年辺りまでは、若者の街、若者文化の流行の発信地といえば新宿だった。しかし、1973年の渋谷PARCOの開店以降、日本における若者文化の歴史が大きく変化。その流れは「新宿から渋谷へ」と移り変わっていく。

[編集] 地理

新宿が甲州街道に沿って尾根筋に生まれた“丘の上の街”であるのに対し、渋谷は武蔵野台地を侵食する渋谷川穏田川)・宇田川の合流地点に作られた“谷底の街”である[1]両側の勾配は大変厳しい。例えば渋谷マークシティは谷底に1階の出入り口があるが、谷上部では4階からも出入りができる。

穏田川(渋谷川の上流部)、宇田川はいずれも現存しない[2]。かつては両河川の下流であった渋谷川は源流を失い、渋谷駅やや北の地下に始まる形になっており、そのため自然の水流はほとんどない。詳細については各川の項目を参照のこと。

現在の行政区分では周辺に代々木、神宮前(原宿)、青山代官山等の地域がある。

[編集] 歴史

ハチ公銅像
(渋谷駅・ハチ公口)

吾妻鏡などの歴史書に、平安時代末期から鎌倉時代に掛けて、この付近を本拠としていた武将渋谷氏の活動の記録が残されており、その一族に河内源氏源義朝の近従だった渋谷金王丸がいる。

江戸時代には大山街道(現在の国道246号にほぼ一致)沿いの集落として栄えた。

明治時代になると1885年明治18年)に山手線が開通し、1911年明治44年)にはその都心寄りに東京市電が、1907年明治40年)には西側に玉川電鉄(現:東急田園都市線)が接続したことから、交通の結節点として発展していくこととなった。以後も1927年昭和2年)に東京横浜電鉄(現:東京急行電鉄東横線1933年昭和8年)に帝都電鉄(現:京王電鉄井の頭線)、1938年昭和13年)に東京高速鉄道(現:東京地下鉄銀座線)と次々に新線が開通し、ますますその地位を高めていく事になる。

その中でも注目すべき事は、五島慶太の率いる東京横浜電鉄が小林一三率いる大阪の阪神急行電鉄(現阪急電鉄)の梅田駅の手法に倣って、1934年昭和9年)にターミナルとなる渋谷駅に東横百貨店(現:東急百貨店東横店東館)を設けたことで、関東では池上電気鉄道(現:東急池上線)の五反田駅白木屋1928年昭和3年))、東武鉄道・浅草雷門駅(現:浅草駅)の松屋1931年昭和6年))に続いて3番目、全国でも4番目となるターミナルデパートであった。それまで鉄道で渋谷に来た後に銀座上野方面へ市電やバスで向かっていた客が渋谷で買い物をするようになり、成功を収めた。

1938年昭和13年)、前山久吉の所有していた三越株の譲渡の話が持ち上がった。そこで五島は東横百貨店を三越と合併させ、東横百貨店を三越の渋谷支店にしようと考え、10万株を購入した。しかし、三井財閥の中枢企業である三越の乗っ取りを阻止するために三井銀行は東京横浜電鉄への融資を停止。三井の要請を受けた三菱銀行頭取の加藤武男も慶應閥の牙城だった三越の買収に手を貸せば非難が向くと判断し、融資を停止した。五島は三井・三菱を相手に戦いを挑まねばならなくなった。もちろん資金繰りは悪化。慶應閥に大いに顔が利く小林一三に助力を依頼したが、小林には「渋谷のような片田舎の百貨店がそんなことをするのは、蛙が蛇を飲み込むより至難」と諭された、と言われている。

戦後になると渋谷は1954年昭和29年)に東急会館(旧:玉電ビル、現:東急百貨店東横店西館)、1956年昭和31年)に東急文化会館1965年昭和40年)に渋谷東急ビル(現:渋谷東急プラザ)、1967年昭和42年)には東急百貨店本店が設けられ、「東急の街」として発展していく事になった。

だが、渋谷が現在の地位を手にすることになるのは昭和40年代以降であり、きっかけはセゾン系列の西武百貨店が1968年(昭和43年)に渋谷へ進出した事によるものである。以後、東急と西武による開発競争が始まる。

などが次々に完成。

西武は通りの名称を「スペイン坂」「渋谷公園通り」などに変え、東急は通りの名前を「東急本店通り(現:文化村通り)」などに変え、再開発も同時に進めることで現在の街並みが形作られていった。

[編集] 渋谷を特徴づけるもの

[編集] 文化

渋谷・公園通り

渋谷パルコ劇場、クラブ・クアトロ、シネセゾン渋谷、スタジオパルコなど、ライブハウス劇場映画館が多く、映画祭や音楽祭も開催される。作家性にこだわった個性的な作品を上映する映画館も多い。篠山紀信写真展など多くの企画展を開催してきたパルコミュージアム(2007年閉館)、新しい情報発信スペースのパルコファクトリー、ロゴスギャラリーなどでも、アートから社会性の高いテーマまでを扱った様々な企画展示をしている。「TOKYO FM渋谷スペイン坂スタジオ」などラジオ局のサテライトスタジオもある。東急は東急文化会館跡地に都内最大規模のミュージカル劇場を建設する予定である。

[編集] ファッション

1970年代から、PARCO・OIOIの進出やシブヤ109の誕生などで、若者のファッション文化の発信の地として原宿と並ぶ地位を確立していた。1990年代にはギャルブームやメディアに盛んに取り上げられたことで、更に情報発信源として注目されるようになった。百貨店の主たる顧客層の20,30代のOLが大人のファッションをリードし、10代の女性は109やパルコ、路面店などで服を買い求めギャルファッションをリードした。ギャルファッションが男性に波及したギャル男ファッションや、お兄系と呼ばれるファッションも渋谷から広がり、全国区になった。ギャルファッションのイベントとして、渋谷コレクションが知られている。また古着店も多い。

[編集] IT

IT関連のベンチャー企業が渋谷近辺に集っており、国土交通省の調査によるとソフト系IT産業の事業所数は、千代田区港区に次いで3位であり、駅別では渋谷駅は、秋葉原駅に次いで2位であることなどから、「渋谷」を1文字ずつ英語に訳した "bitter valley" [3]と情報量の単位の「ビット」からアメリカ合衆国シリコンバレーになぞらえて「ビットバレー」と呼ばれることがある(PC Online?ダイアリー)。

[編集] 主なイベント

イベントの模様(2002年度2003年度2004年度2005年度

[編集] 主な施設

渋谷駅周辺

渋谷センター街方面

井の頭通り方面

渋谷公園通り方面

ファイヤー通り方面

文化村通り方面

道玄坂方面

円山町方面

宮益坂方面

桜丘町方面

青山通り(国道246号)方面

[編集] 渋谷を舞台とした作品

[編集] かつて存在した施設

[編集] 参照

  1. ^ 新宿周辺の標高は35m~40m程度、渋谷周辺は15m前後で、20m以上の標高差がある。
  2. ^ いずれも暗渠化された上で下水道(千駄ヶ谷幹線および宇田川幹線)として利用されてはいるが、渋谷駅周辺では流路も大きく改造され、渋谷川からは切り離されて、下流の下水道へと導かれている。
  3. ^ "bitter valley" は、デーモン小暮閣下の発生地の名称(地獄の都 "Bitter Valley"地区)として紹介されている。

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月2日 (月) 15:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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