渡辺謙

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わたなべ けん
渡辺 謙
渡辺謙(ニューヨーク・ブルックリンにて)
渡辺謙(ニューヨークブルックリンにて)
本名 (同じ)
生年月日 1959年10月21日(50歳)
出生地 日本の旗日本新潟県北魚沼郡小出町(現魚沼市
国籍 日本人
血液型 A
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1979年 -
活動内容 1979年:演劇集団 円入団
1982年:正劇団員へ昇格
1987年:『独眼竜政宗
1989年白血病発症
2002年ケイダッシュへ移籍
2003年:『ラストサムライ
2006年:『硫黄島からの手紙
配偶者 南果歩
家族 渡辺大(息子)
(娘)
主な作品
日本映画
タンポポ』/『海と毒薬
スペーストラベラーズ
陽はまた昇る』/『北の零年
明日の記憶
外国映画
ラストサムライ』/『SAYURI
硫黄島からの手紙
テレビドラマ
はね駒』/『独眼竜政宗
仕掛人・藤枝梅安
池袋ウエストゲートパーク
御家人斬九郎』/『砂の器
舞台
『下谷万年町物語』/『ピサロ
ハムレット』/『永遠 Part2』

渡辺 謙(わたなべ けん、1959年10月21日 - )は、日本俳優

所属事務所は、演劇集団 円を経て2002年よりケイダッシュ身長184cm体重80kg血液型A型。「謙」の名は出身県である越後戦国武将上杉謙信に因む。

日本国内・海外双方において映画を中心にテレビドラマ舞台テレビコマーシャルと幅広く活躍。日本人で世界的に最も知名度の高い俳優の一人。父の渡辺亮一は画家として活動している。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] デビューまで

新潟県北魚沼郡小出町(現:魚沼市)出身。
新潟県北魚沼郡広神村(現:魚沼市)にて共に教師をしていた両親の元に生まれる。両親の転勤で幼少期を入広瀬村守門村(ともに現:魚沼市)、高田市(現:上越市)で過ごす。新潟県立小出高等学校在学時には吹奏楽部に所属し幼少の頃から親しんできたトランペットを担当。高校卒業後の1978年、東京の武蔵野音楽大学進学を目指す。しかし正規の音楽教育は受けておらず、また渡辺が中学生の時、父・亮一が病に倒れ仕事が出来なくなったこともあり学費捻出の困難などの問題から断念。劇団ひまわりに入団するも、カリキュラムの問題から退団した。同劇団の広告に「出身者」として渡辺の名が挙げられているが実際に在籍したのは3ヶ月程である。

劇団ひまわり退団後の1978年、芥川比呂志演出による演劇集団 円公演『夜叉ヶ池』を観劇して感銘を受け、翌年に同劇団附属の研究所に入所。アルバイト先で知り合った猪俣公章の紹介で唐十郎作、蜷川幸雄演出『下谷万年町物語』のオーディションを受け、研究生ながら主演の青年役を勝ち取ったが、この時期の渡辺に多くの演劇テレビ映画関係者達が、かなり早い段階から目を付けていたと語っている。

1982年、演劇集団 円の劇団員に昇格し、『未知なる反乱』でテレビデビューを果たすと1984年には『瀬戸内少年野球団』で映画デビュー。その後も『タンポポ』、『海と毒薬』などの映画に相次いで準主役級で出演。1986年NHK朝の連続テレビ小説はね駒』にも出演した。

[編集] 『独眼竜政宗』と闘病

1987年NHK大河ドラマ独眼竜政宗』で主役(伊達政宗役)を演じ、39.7%という大河ドラマ史上最高の平均視聴率を獲得。卓越した演技力と存在感に加え、容姿と日本人離れした体躯にも恵まれた彼は一躍全国的な人気を獲得、一気にスターダムにのし上がる。

以降、舞台・テレビドラマなどで次々と大役を演じ、前途洋々に見えた1989年、映画初主演となるはずであった『天と地と』の撮影中に急性骨髄性白血病を発症し降板。再起はおろか生命も危ぶまれたが、約1年の闘病の後、治療を続けながらも俳優業に復帰。定期的に入院治療を続けながら、単発テレビドラマ作品を中心に活動するが、大きな仕事はできなかった。経過は良好に見え、一応治療が終了した1993年、NHK大河ドラマ『炎立つ』に再び主演、完全復活をアピール。しかし、発病から5年経過し、完治したとみなして良いと思われた矢先の1994年に再発。再治療を行い、経過は良好となって、翌年無事復帰を果たす。

[編集] 方向性の模索

病気再発を経て再復帰した時期と前後して、初の本格的娯楽時代劇シリーズドラマ『御家人斬九郎』、2時間ドラマでは『わが町』『鍵師』などが当たり役となりシリーズ化されたが、渡辺はあまりにも強烈な「政宗」のイメージと、俳優としての評価以前にまず病気のことを持ち出されることなどに悩んでいたという。30代の終わりを機にこれらの人気シリーズを全て終了させるとともに、従来彼のイメージにはなかった悪役・ダメ男役・格好悪い役柄などを積極的に演じるようになる。2000年には、『池袋ウエストゲートパーク』に出演。体当たりな役柄で若年層からの支持を得ることが出来た。2001年、久々に演劇集団 円の公演『永遠 Part2』で舞台に立つが、これが結局「円」での最後の舞台となった。2002年元日をもって演劇集団 円を退団、所属をケイダッシュに移す。

[編集] 海外進出と映画初主演

海外映画初出演となった『ラストサムライ』(2003年公開)で、渡辺は同年度の第76回アカデミー賞助演男優賞ならびにゴールデングローブ助演男優賞にノミネートされる等高い評価を得る。これを機にロサンゼルスに居を構え、『バットマン ビギンズ』や『SAYURI』など海外映画に立て続けに出演。当初通訳を要していた英会話に関しても猛勉強の末、殆どの会話を自らこなしている(現地での生活ぶりや英語学習の様子は「AERA English」に掲載中)。2005年には米国のTIME誌の表紙にグラビアが掲載されたりピープル誌が企画する「最もセクシーな外国人男性」に選出されたりするなど、現在米国における知名度が最も高い日本人俳優の一人である。

日本映画では2006年荻原浩小説明日の記憶』映画化作品で映画初主演を果たす。同作品の映画化に当たっては各映画会社の駆け引きがあり、渡辺を含む複数の日本を代表する大物俳優達が候補に挙がったが、自らも闘病経験があり原作に人一倍の共感を持てた渡辺が荻原に映画化を熱望する旨の手紙を直接送付したことで(荻原は最初誰かの悪戯だと思ったが、紛れもなく渡辺本人からのものだと知り仰天したという)、渡辺の主演で映画化された。白血病の発症以降、患者役や医療関係者役、難病を扱った作品は避けてきたが、若年性のアルツハイマー病に冒されていく主人公を好演。また、映画公開と同じ時期に発表した自らの著書『誰? - WHO AM I?』で、かつて白血病の治療中頻繁に受けた輸血(主に血小板輸血)が原因でC型肝炎ウィルスに感染し、『明日の記憶』の撮影はその治療の副作用に悩まされながら敢行していたことを告白。幸いにも、現在は急性骨髄性白血病・C型肝炎ウィルス感染ともに問題のない良好な状態を保っているという。更にこの作品で初めてエグゼクティブ・プロデューサーを兼任。映画の普及とアルツハイマー病への理解を促進するため全国各地を奔走した(ただし、渡辺本人は「自分はプロデューサーというよりも『イントロデューサー(紹介者)』である」と述べている)。

2006年には、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』に、栗林忠道役で海外映画初主演。他の主要日本人キャストはオーディションの末選出されたが、渡辺だけは監督から直接出演要請があった。外国語映画賞を受賞したゴールデングローブ賞の授賞式において、壇上のクリント・イーストウッド監督は「偉大なるケン・ワタナベに敬意を表したい」と渡辺に言葉を贈った。

かつては早川雪洲上山草人マコ岩松ナンシー梅木、高美以子、谷洋子、岡田英次丹波哲郎高倉健三橋達也山村聡若山富三郎浜美枝といった日本人俳優が海外の映画を彩ってきたが、松田優作三船敏郎の死去後は長らくハリウッド俳優と呼べる日本人の存在が途絶えてきた。近年、渡辺の他にも真田広之役所広司といった日本を代表する俳優も海外作品に相次いで出演しており、新たな日本製ハリウッドスターの誕生が期待されているが、渡辺が海外において独自の地位を確立しつつあることがその大きな契機となっているとの見方も多い[要出典]

2007年2月25日日本時間26日)、第79回アカデミー賞授賞式に出席し、世界的に有名なフランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴと2人で非英語圏俳優代表として舞台に立ち、賞が設定されて50周年を迎えた外国語映画賞の歴史を紹介した。

2008年2月に撮影開始された映画『ダレン・シャン』にも、サーカスのオーナー、Mr.トールで出演することが決定している。

[編集] 私生活・その他

1983年に結婚した前夫人とは2年に及ぶ調停の末、2005年の3月に離婚。時を同じくしてテレビ東京のサスペンスドラマの共演を機に知り合った女優南果歩と本格的に交際を開始し、同年12月3日に再婚。二人の交際に関しては日本の芸能マスコミもノーマークで、AP通信配信の写真で渡辺が映画『SAYURI』のニューヨークプレミアに同伴した「未確認ゲスト」の女性が南と判明すると同時に、二人の結婚が公表された。南が前夫の辻仁成との間に儲けた1子(男子)とも養子縁組(次男)し、一時は南と次男と共にロサンゼルスを生活の拠点にしていた。

前妻との間に儲けた第1子(長男)の渡辺大は俳優として、第2子(長女)のファッションモデルとして活躍している。2008年8月には長男の大に第1子が誕生し、渡辺は48歳の若さで初孫を持つ身となった。

趣味は乗馬料理など多岐にわたる。無類の蕎麦好きで、テレビ番組に出演した際、十割蕎麦を「ケレン」と評するほどのこだわりを持つ。スポーツではラグビー神戸製鋼プロ野球阪神タイガースのファンとして知られる。特に阪神タイガースに関しては熱狂的なファンであり、阪神の試合結果はハリウッドに活動拠点を移した現在でもインターネットなどで随時情報収集しており、渡辺自身も多忙な中、2005年9月19日9月20日には阪神甲子園球場に駆けつけ、阪神×中日戦を観戦。20日には関西ローカルの独立UHF局のナイター中継『サンテレビボックス席』に5回までゲスト出演した。

上記のアカデミー賞のプレゼンターを一緒に務めたカトリーヌ・ドヌーヴが、約2週間後の3月13日に「フランス映画祭2007」の代表団長として来日。東京都港区のフランス大使館での記者会見の時に渡辺の印象について聞かれ、「彼の英語は素晴らしいと思った。非常に才能があって、すてきな方ですね」と語った。

2009年5月29日付東京新聞の一般投書欄へ渡辺自身が投稿していたことが話題となった。具体的には、日本の方向性を示しきれない政治家へ苦言を呈すると共に、麻生内閣が決定した補正予算の中の「アニメの殿堂(国立メディア芸術総合センター)」について「文化発信に繋がるという妄想は止めて、即座に予算から削除するべき」というものであった。

[編集] 出演

[編集] 映画

ダレンシャン

[編集] テレビドラマ

[編集] 舞台

  • 悲劇・ブリタニキュス(1980年、演劇集団 円)
  • 下谷万年町物語(1981年、蜷川幸雄 演出)
  • 冬のライオン(1981年、演劇集団 円)
  • バジャゼ(1981年、演劇集団 円)
  • プラトーノフ(1982年、演劇集団 円)
  • 花粉熱(1984年、演劇集団 円)
  • ピサロ(1985年、パルコ山崎努プロデュース公演)
  • ハムレット(1988年、蜷川幸雄 演出)
  • 永遠 Part2(2001年、演劇集団 円)

[編集] CM

テレビ
ラジオ
  • ヤクルト本社(2007年 - )

[編集] 吹替え

[編集] ドキュメンタリー

  • 渡辺謙 アメリカを行く~星条旗の下に生きたヒバクシャたち(2009年、NHK)

[編集] 受賞

[編集] 日本アカデミー賞

  • 第22回(1999年)優秀助演男優賞 - 『絆』
  • 第25回(2002年)優秀助演男優賞 - 『千年の恋 ひかる源氏物語』
  • 第26回(2003年)優秀助演男優賞 - 『陽はまた昇る』
  • 第30回(2007年)最優秀主演男優賞 - 『明日の記憶』

[編集] その他

[編集] 関連項目

[編集] 脚注


[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月17日 (火) 16:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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