温家宝

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温家宝
溫家寶
Wen Jiabao
温家宝
温家宝(2008年、世界経済フォーラムにて)
生年月日 1942年9月15日
出生地 中華民国の旗天津市
所属政党 中国共産党
配偶者 張培莉(Zhang Peili
サイン

内閣 温家宝内閣
任期 2003年3月16日 -
国家主席 胡錦濤

中華人民共和国の旗 国務院副総理
内閣 朱鎔基内閣
任期 1998年3月18日 - 2003年3月16日
国家主席 江沢民
  
温家宝
各種表記
繁体字 溫家寶
簡体字 温家宝
Wēn Jiābǎo
和名表記: おん かほう
発音転記: ウェン・チアパオ
  

温 家宝(おん かほう、ウェン・チアパオ、1942年9月15日 ‐ )は中華人民共和国政治家中国共産党中央政治局常務委員で、党内序列は第3位。2003年より、第6代国務院総理首相)を務める。中国共産党第四世代では重要な位置を占める。

温家宝は、一般的なイメージとして、国民からはパワーエリートから離れた人物と見られており、「人民の総理」と呼ばれる[1]

長男の温雲松は北京Unihub公司総裁。

目次

[編集] 生い立ち 権力の掌握まで

1942年9月、中華民国天津郊外教員の家に生まれる。天津南開中学卒業後、1960年に北京地質学院(現・中国地質大学)へ入学。1965年4月、中国共産党に入党し、1968年に研究生課程を卒業、地質関係の技術者として働き始める。1968年から1978年までの間、甘粛省地質局に配属され、地質鉱産部門の技術員・行政指導員として業務に従事。1979年には甘粛省地質局副局長に就任。後に党総書記・国家主席となる胡錦濤と同様に、当時の甘粛省委員会書記だった宋平によって抜擢された温家宝は、1982年国務院の地質鉱産部政策法規研究室主任となる。

温家宝が甘粛省から北京の国務院に移った当時、共産党総書記であった胡耀邦は、若手の有能な人物の登用を進めていた。地質鉱産部長(大臣)の孫大光の賞賛を受けた温は、1983年10月、地質鉱産部副部長(副大臣)に就任。その後、胡耀邦によって抜擢され、1986年5月に党中央弁公庁主任となる。1993年に中央財経領導小組秘書長に転出するまで、温家宝は胡耀邦、趙紫陽江沢民の3代の総書記の下で中央弁公庁主任を務めた。温は、この3人の総書記に仕えた唯一の人物である[2]1987年11月には党中央委員に選出され、党中央書記処候補書記となる。

趙紫陽に同伴する温家宝(1989年5月・写真中央右)

1989年5月19日、民主化を要求して天安門広場を占拠した学生たちと対話を試みるため、趙紫陽は彼らの下へ向かった。温家宝は趙に同行した(天安門事件を参照)。この趙の行動は「重大な反抗」とされ、趙は総書記を解任されて失脚、2005年1月の死まで自宅軟禁に置かれた。しかし温は、当時の立場や自己批判が考慮されたことで、天安門事件の余波を受けて失脚することもなく政治的に生き残った。

その後、1992年10月に党政治局候補委員・中央書記処書記となり、1997年には党政治局員となった。そして、1998年朱鎔基内閣が発足すると、温家宝は金融・農業担当の国務院副総理に任命された。朱内閣において、温は経済、農業、財政、防災政策を監督し、中国の重要方針である世界貿易機関への加入の準備活動に従事した。温は1998年から2002年まで中央金融工作委員会(Central Financial Work Commission)の書記を務めた。

[編集] 国務院総理

[編集] 第1期

2002年11月15日、第16期中国共産党中央委員会第1回全体会議において、胡錦濤指導部が発足。温家宝は政治局常務委員に選出された。政治局内での序列は第3位で、翌年3月に正式に発足する胡錦濤政権において温が国務院総理(首相)に指名されることが確実なものとなった。

2003年3月、第10期全国人民代表大会第1回会議が開催され、温家宝は正式に国務院総理に就任した。共産党員や官僚の腐敗に対しては厳しい態度で臨んでいる。

首相となった温は改革開放を監督し、国家目標を、ほかの社会的目標(公衆衛生や教育など)とともに平等主義の富を重視した成長から何としてでも中国経済を成長させようという目標に転換した。加えて、中国政府は温の指導のもとで、環境や労働者の健康への被害を含む経済発展の社会的費用に焦点を合わせ始めた。この、より包括的な定義は「小康社会」(xiaokang society)に要約された。温の広範な経験と専門知識は、改革による過去20年間で除外された地方の経済を活性化させようという朱鎔基の農業政策のもとで議長を務めるあいだに培われた。当初寡黙で出しゃばらないと思われていた温は、「良き伝達者」、そして「人民の味方」として知られた。温は20年間の経済成長(とくに地方や中国の西方)で除外されたかに見えた人々に手を差し伸べるために多大な努力をしたと思われている。温家宝と胡錦濤の両者は、江沢民および中央政治局常務委員会で彼の保護下にある者、いわゆる「上海幇」を結成していた者たちとは異なり、広漠な中国国内での政治的基盤を強化した。人々は、「人民の味方」こと温家宝と胡錦濤、対する江沢民との対比に注意した。控えめな胡錦濤や温家宝とは異なり、江沢民は古代中国、西洋哲学の格言を引き合いに出して多言語で詩を暗誦することで知られている。

2003年3月、普段は控えめな温が『「私の脳はコンピューターのようだ」「実に多くの統計を私は記憶できる」と述べた』と、前駐中大使のスイス人が伝えた[3]

頑健で直接的にものを言う前任の朱鎔基と比較して、穏やかで融和的な温の合意に基づく経営方式は大きな信用を得たが、より厳しい政策決定を支持する一部の反対者も作った。温は中央政府の方針と一致しない上海市党委員会書記(当時)の陳良宇と衝突していたことが知られている[4]

温には公衆衛生を含む主要な2つの逸話がある。2003年の早期、彼は中国国内で発生したSARSの危機に対する中国当局の怠慢の終局に関わっていた。2003年11月、温はエイズによって一部が壊滅状態にあった雲南省河南省に、そして中国発展にかかる大きな負担の恐れに公式に取り組む最初の中国高官となった。2004年5月より、温はエイズの被害に遭った地域を訪問し、その訪問の様子は全国のマスコミによって大きく報じられた。この行為を見せることで、温は多くの活動家が中国共産党の否定と怠慢の方針であると述べた年のときと逆の努力を見せた。さらに温は、薬物依存症歴がある人間の健康と安全について心配した。2004年3月より、温は中国南方にある複数の薬物依存治療施設を訪問し、入院患者たちの問題に取り組み、国内のエイズが、性交渉よりもむしろ薬物乱用と皮下注射器の再利用によって蔓延しやすいことを認めた。中国の田舎の比較的貧しい区域への温の多くの訪問は、当局をなだめる入念な準備を回避するためと、中国国内でしばしば行われる本当の現状を隠すために無作為に行われた。温は国務院の委員会会議で、地方の貧富の問題に取り組むことを明らかにした。国家主席の胡錦濤とともに、温は農業、農村地帯、農民のいわゆる三農問題について、研究と発展を要する分野であると強調した。胡温政権は、2005年に農業税を完全に廃止した。これは地方の経済モデルを大きく変えた大胆な手段であった。前任の朱鎔基のように、温は、通常は一般の中国国民から人気のある共産主義者の政府高官と見られている。彼の態度は一見誠実であり、温和であり、かつての周恩来と比較されることがある。2005年の旧正月、温は山西省の炭鉱で炭鉱作業員の一団と過ごした。多くの人にとっての温の印象は、「国民の総理」であり、「人民主義者」であり、そして「一般人の需要を知り、理解している普通の中国国民」と見られている[5]。中国作家協会の年次総会で、温はどんな原稿にも目を通すことなく、2時間以上にわたって話をした。

中国政府が算出した依然として高い確率で発生する台湾独立運動チベット、そして中国の人権問題といった政治的に敏感な難題にしばしば直面するたびに、温家宝は海外に向けて無料の記者会見を開く。2003年12月、温はアメリカ合衆国を初めて訪問した。この訪問のあいだに、温は中華民国総統陳水扁(当時)に対する軽い非難として、ジョージ・W・ブッシュに問題を話すことができた。カナダオーストラリアへの訪問も、ほとんどは経済問題であった。2005年3月15日、全国人民代表大会で2896の過半数(棄権2)であった反分裂国家法が可決されたあとに、温は「我々は外国からの干渉を望まないが、それを恐れない」と述べた。台湾問題に対するアメリカの姿勢を隠喩したものである。温は中国の標準にしては珍しく長い拍手を受けた。

2007年3月5日、温は軍事予算を増やすことを発表した。2007年末までの軍事予算は、前年の450億ドルと比較すると17.8%上昇している。これはアメリカ国内で緊張状態を生んだ[6]

中国共産党第十七回全国代表大会前に、温が引退することと、陳良宇との衝突があったという噂が立った。一部の情報源では、温が疲労による引退を請うつもりであったことを示唆していたが、結局、温は首相の座にとどまり続けた。胡錦濤が中国の今後5年間の方向性についての要綱の重要な演説を行う際に、温はそれを草稿する責任を負った。

2008年1月、大雪による雪害が中国を襲った。温は南へ進んで長沙広州の鉄道駅を訪れると、列車を長時間待っていた市民たちの怒りを鎮めるために演説した。

温は、著述業が知られていないソーシャル・ネットワーキング・サービスFacebookにプロフィールを持っていた。このサイトでの温は、プロフィールが2008年6月16日ごろに削除されるまでは有名な政治家上位5人のうちの1人であった。

[編集] 第2期

2008年3月16日、中国の二期目の首相として任期5年を命ぜられた温家宝は、急上昇するインフレーションを抑えるためと、北京オリンピックで世界の国々で中国を目立たせるために努力した。温は、共産主義政治体制でさえ首相職が敵を作りやすい兆候であった2003年の首相就任時よりも、賛成票を多く得た。アメリカに端を発した経済危機による影響が世界でますます大きくなるにつれて、温は深刻な経済問題に直面した。社会の安定と、2008年3月にチベットで発生した暴動では、政策面で大きな集中力が要求された[7]。チベット騒乱のさなかの温は、「ダライ・ラマとその追随者が全ての分離独立活動を断念することを選ばない限り、彼らとの協議を拒否する」として、共産党政府の報道官として動いた。2008年3月18日第十一届全国人民代表大会一次全体会议のあとの記者会見の場で、温はチベットでの暴動を受けてダライ・ラマ14世とその支持者を非難し、「ダライ・ラマが『チベット独立』を放棄し、『台湾を中国不可分の領土と認める』なら対話してもいい」と発言した[8]

[編集] 四川大地震への対応

2008年5月12日四川大地震が発生した際、地震発生からわずか数時間で地震の被災地に向かったことで、温の人気はさらに上昇した。彼は災害後、直ちに地震救援活動事務局長に指名された。温の被災地への訪問を受けて、その姿は全国のマスコミに映され、「人民の総理」と呼ばれた周恩来と温家宝とを比較した多数のビデオが中国国内のブログアップロードされ、その人気は著しく高まった。中国の指導者たちが、堅く、じっと動かずに座っているように見える姿が国営テレビに映し出されると、温の現場での姿と率直な性格は、中国国民から大きな支持を得た[9]。海外メディアと同様にこの大地震の科学的予測の有効性がインターネットフォーラムにて考察された。温は科学的予測を発表しようとした唯一の中国の指導者として伝えられ、それを公表したが、強大な権限を持つ共産党常務委員会のほかの委員によって防がれた[10][11]

[編集] ビデオ会議

2009年第十一期全国人民代表大会第二次全体会議に召集される前の2月28日、温家宝は、中国共産党政府の公式ウェブサイト『gov.cn』と『新華社ネット』が主催したビデオ会議でオンラインによる質問に答えた。温は政府の透明性と見解について公然と述べた。多数の中国人ネットユーザーから広範囲に亘る質問を受けた温は、大きな経済問題(世界的な財政破綻など)についての質問を選び、それに答えた。大会で、温は中国の経済成長が2009年には8%を割ることはないという声明を伝えた。温は、新しい景気刺激策を導入せず、中央政府の支出額1兆1800億人民元の一部が財政出動に充てられなかったという考察を重視しなかった。温は中国が保有するアメリカの財務省の負債について懸念を表明した。温はより変わった身振りで台湾訪問への関心も示し、「歩けなければ這ってでも行く」と述べた[12]

[編集] 政治的見解

温家宝(2006年

温家宝の政治的見解に関して、香港と台湾のジャーナリスト仲間内と同様に、中国国内でもいくつか論争がある。記者会見の場では胡錦濤よりも多く姿を見せるため、彼らの全てを評価することは困難だが、温の観点を識別するのは胡よりも容易である。通常、中国内外のメディアは、温を普通の人々の要求に触れる「人民主義者」と信じている。最大の社会問題には、温の政策の種類として、社会調和に基づく政権の主要なイデオロギーである科学発展観(Scientific Development Concept)を規定している。政治改革に関する温の見解が何なのかは明らかにされてはいない。温は「中国では今後100年、社会主義制度が続くでしょう」と述べた[13]にもかかわらず、のちに第十回全国人民代表大会2007 National People's Congressにて「民主主義は、社会主義制度の基本的な狙いの1つです」と述べた。

2008年9月のインタビューにて、温は独立した司法制度の構築を通して、人々からの批判を受け入れる政府のために、「本当に人々に属した」権限のために、中国の民主主義制度は改善する必要があることを認めた[14]

台湾に関しては、温は世評によれば段階的な交渉を信じている。新華社は2007年の早期に、温の名前で国家の発展についての記事をいくつか発表している。温は党の公式見解とは若干異なる視点を持っている徴候であると疑われた。

2007年9月、温は全国紙で詩を創作した。中国の将来についての彼の微妙に空想的な認識が紹介され、海外メディアで称賛された。

マスコミでの温の誠実な物腰にもかかわらず、指導者間の明快な分裂はない。知識人の一群は、温の人民主義的アプローチについて警告を発しており、中国の経済発展に影響を及ぼすと主張した[15]

[編集] 訪日

2007年4月11日、温家宝は日本を訪問した。温はこの訪日を「融氷之旅(日中の冷えきった政治的関係を氷に例え、その融解への旅)」と位置付け、「政冷経熱」の日中関係を打開する道筋をつけようとした[16]4月12日国会での演説では「日本の過去への謝罪」を評価する一方で「それを行動で示すように」とした(靖国神社参拝の自粛を求めている)。また、温が演説原稿にあった「戦後、日本が平和発展の道を歩んだことを中国人民は評価する」内容の一節を読み飛ばしたこと[17]について、日本の議員たちの間では「わざと抜いたのではないか」と憶測も飛んだ。中国外交部は後日「その直前にあまりに拍手が大きく沸き起こったので、うっかり読み飛ばしてしまった」と説明した[17]

天皇との会談では「北京オリンピックの開会式に招待したい」と述べ、日本政府を困惑させた[17]。また、主要政党の首脳や創価学会池田大作とも会談した[18]。最終日の4月13日には、日本で初めて孔子学院が開設された立命館大学を訪問し、「四庫全書」を寄贈した[19]

高山正之は、日本を訪れた際の温家宝のこの野球のパフォーマンスについて、その半分以上を「自国向け」と見ている。中国のテレビ局が温家宝の振る舞いを繰り返し放送し、「お前ら人民は知らないだろうが、日本と中国は本当は仲良しなのだ」という温家宝による中国向けのパフォーマンスなのだという[20]

[編集] ケンブリッジ大学での出来事

2009年1月末から2月初めにかけて、温はヨーロッパを訪問した。2月2日イギリスケンブリッジ大学にて講演していたところ、会場にいた男から靴を投げつけられる騒ぎがあった。男は「ここに独裁者がいるぞ。彼が語る嘘をよく聞いていられるな。反論もしていないじゃないか」[21]「どうして大学は独裁者に身を売ることができたのか?」[22]などと叫んでいた。講演は中断し、靴を投げた男は他の聴衆から非難され、会場から排除されたあとに地元警察に逮捕された[23]。講演再開後、温は「我々は平和にやっている。男の行為が中英の友好を妨げることはない。調和は武力によって妨害されないと歴史が証明している」と述べ[22]、講演の会場内の学生たちが拍手で応えた。拍手していたのは中国人留学生であった[21][22]。中国国内では事件に関する報道を抑制していたが、インターネット上では温家宝支持とイギリス批判の書き込みが盛んにおこなわれた[24]2月3日、中国外交部は公式に批判声明を出した[25]。ケンブリッジ大学は事件について公式サイトで謝罪表明を行った[26]

[編集] 人物像

趣味ランニング。外遊に出た際も早朝のランニングは欠かさず行っている。また、以前は野球をやっていたとのことで2007年の来日の際に、立命館大学学生と野球を楽しんでいた(ちなみに左投左打)[27]。汚職や賄賂に対して厳しく、商才があって手広く商売を始めたいという妻と離縁し、身内を優遇しない姿を自ら示す半面、事故などの災害時に現地視察の際には、よく泣く姿が映し出されるため、しばしば「泣きの温家宝」と評される。「宝宝(宝ちゃん)」の愛称で呼ばれることもある[24]

幼い孫とテレビを一緒に視聴することがある。それに関して「孫と一緒に見るのは外国のアニメばかり。国産のアニメを育成しないといけない」と発言したことがある。温は、孫がよく見るのは「ウルトラマン」と発言しており、それを受けてネットで一時期「ウルトラマン叩き」が起きた。

[編集] 引用

温は中国の早い経済成長、社会正義、そして公正さについて「艦隊の速さが測定されるのは、もっとも速い船ではなく、むしろもっとも遅い船であります」と述べている[28]

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 脚注

  1. ^ Wen Jiabao re-elected Chinese Premier
  2. ^ ::温式微笑将给中国带来什么?温家宝的中国命题::
  3. ^ http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/2836857.stm
  4. ^ VOA
  5. ^ BBC: 透视中国官员的施政个性
  6. ^ Budget Increase
  7. ^ Wen gets second term as China's premier
  8. ^ Dalai Lama 'to resign' if violence worsens
  9. ^ IHT: China's 'Grandpa Wen' widely admired for work to rally victims in hard-hit earthquake areas
  10. ^ [translation:Open journal: concealment of the CPC Political Bureau of Sichuan earthquake early warning”]. Sina BBS. http://translate.google.com/translate?hl=en&sl=zh-TW&u=http://bbs.sina.com/viewthread.php%3Ftid%3D46065%26extra%3Dpage%253D1&ei=5u-oSfPNAonOtQOWxeDWDw&sa=X&oi=translate&resnum=9&ct=result&prev=/search%3Fq%3D%25E6%25BA%25AB%25E5%25AE%25B6%25E5%25AE%259D%25E6%25B1%25B6%25E5%25B7%259D%25E5%259C%25B0%25E9%259C%2587%25E9%25A0%2590%25E5%2591%258A%26start%3D90%26hl%3Den%26sa%3DN 2009-02-26 閲覧。 
  11. ^ 中央社记者王曼娜 (2008-07-02). [Chinese:开放杂志:中共政治局隐瞒四川地震预警]. DWNEWS.com. http://app2.dwnews.com/view-article.php?url=/gb/MainNews/SinoNews/Mainland/cna_2008_07_02_11_04_14_599.html 2009-02-26 閲覧。 
  12. ^ Xinhua
  13. ^ China promises socialism for 100 years Richard Spencer, The Daily Telegraph
  14. ^ Interview with Wen Jiabao, CNN, September 28, 2008.
  15. ^ The Economist: Populist Politics in China Retrieved June 2008
  16. ^ 温家宝総理 4月の日本訪問を「氷を溶かす旅」に 人民網日本語版2007年3月16日
  17. ^ <取材日記>温家宝首相「老獪な外交術」に振り回された日本 中央日報2007年4月14日
  18. ^ 温家宝首相、日本の各政党党首と会見 中華人民共和国駐日本国大使館
  19. ^ “氷をとかす旅”各地で歓迎 子どもたちの漢詩の朗読に耳を傾ける。中国温家宝首相、関西地区を訪問 学生たちと本音の交流<立命館大学> 関西華文時報
  20. ^ 高山正之『変見自在 サダム・フセインは偉かった』182ページ
  21. ^ 中国の温首相、英ケンブリッジ大で講演中に靴を投げられる AFPBB News 2009年2月3日
  22. ^ 温家宝首相に靴投げる 英大学で講演中、命中せず asahi.com2009年2月3日
  23. ^ 中国・温首相も靴投げられる 英大学で講演中、命中せず 産経新聞2009年2月3日
  24. ^ 温首相への“靴投げ”事件 中国サイトに非難殺到 産経新聞2009年2月3日
  25. ^ 「卑劣な行為」強い表現で批判 温首相に靴、中国報道官 MSN産経ニュース2009年2月3日
  26. ^ 中国首相に靴投げ ケンブリッジ大学が謝罪表明 サーチナ・中国情報局2009年2月3日
  27. ^ 日刊スポーツ2007年4月13日[リンク切れ]
  28. ^ Joseph Kahn, China isn't looking to replace U.S., prime minister says, The International Herald Tribune, 16 March 2007
中華人民共和国の旗中華人民共和国
先代:
朱鎔基
国務院総理
2003年3月16日 -
次代:
在職
 中国共産党
先代:
王兆国
中央弁公庁主任
1986年 - 1993年
次代:
曽慶紅

最終更新 2009年11月16日 (月) 13:31 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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