湘南
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湘南(しょうなん)とは、神奈川県の相模湾沿岸地方を指す名称。
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[編集] 概要
「湘南」という名称は、各方面で多種多様に使用されている曖昧な言葉であり、それを一義的に定義できるものではないが、おおむね鎌倉・江の島 周辺地域を指す。鎌倉、江の島などは観光資源も豊富で夏を中心に多くの観光客を集める。映画、ドラマ、歌の題材などマスコミにより造り上げられた良好なイメージ「海・太陽・若者」などから、その範囲が拡大される傾向にある。
湘南の由来として、以下のようなものが挙げられる。
- 1664年頃に小田原の崇雪というういろうの商人が大磯の鴫立庵に建てた石碑に「著盡湘南清絶地」と刻んだものが、その由緒としては最古のものである。この石碑は複製品が作られて鴫立庵の庭にあり、本物は大磯町が管理している。なお、語源は仏教語である[1]。
- 明治時代に湘南を冠する事業所が、相模川西岸の地域に創立された。
- 明治維新によって当時の西欧の流行であった海水浴保養が日本にも流入し、逗子や葉山、鎌倉、藤沢などの相模湾沿岸が海水浴に適した保養地として注目されて富裕層など特権階級者の別荘地となり、現代の「湘南文化」の礎となる風俗文化が生まれた。1897年に赤坂から逗子に転居した徳冨蘆花が逗子の自然を國民新聞に『湘南歳余』として紹介、翌年1898年の元日から大晦日までの日記を『湘南雑筆』として編纂し随筆集『自然と人生』(1900年)を出版した。蘆花がこの随筆の中で描写した自然の一例として、逗子から相模湾越しに望んだ富士山や相豆の山並みが挙げられる。
[編集] 湘南ブランドの変遷
近代から現代にかけて、「湘南」は一種の地域ブランド名として著名となった。高級感を醸す「湘南ブランド」の由来は、明治時代に大磯、鎌倉、葉山地区が東京近郊の海浜保養別荘地と目され、少数ではあるが文人や政財界の要人(特権階級の富裕層)によって別荘が建てられたこと、そしてこの別荘地が関東地方を中心に「湘南」として認知されていったことにある。この別荘はイギリス文化を代表とする西洋文化に基づくものである。別荘地・湘南の文化・地域は、関東大震災や太平洋戦争などを転機とする「東京」の拡大によってその位置づけはより「カジュアルで日常的、庶民的」なものへと移行し、「湘南」の命名起源と相まって、現在ではより広くの文化・地域を指すものとなっている。 21世紀になってからの貧困層の拡大に伴い、湘南海岸の防砂林には多くのホームレスが住み着き、それによって異なったブランドイメージの発信を始めている。
[編集] 湘南ブランドの起源
「湘南」ブランドは、明治維新に伴う日本の近代化の経緯で生じた富裕層の文化が起源となっており、誇大化されたイメージはその発祥期においては一般庶民の高級志向の対象の一つにもなっていた。こうした「湘南」のイメージが醸成された背景には、以下のような歴史的経緯がある。
- 1879年(明治12年)- お雇い外国人で東京医学校の講師であったドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ博士が、内務省より海水浴場候補地の諮問を受けて江の島を訪問、片瀬が適地と答申する。
- 1882年(明治15年)- 明治政府の使節団がロンドン近郊のブライトン海浜保養地を視察。
- 1885年(明治18年)- 軍医総監の松本順の勧めにより大磯に海水浴場を設営。由比ヶ浜の三橋旅館が海水浴場を開設したことを東京横浜毎日新聞で広告。
- 1886年(明治19年)- 藤沢の鵠沼海岸に海水浴場を開設。
- 1887年(明治20年)- 東海道線の横浜駅と国府津駅間が開業(保土ヶ谷駅、戸塚駅、藤沢駅、平塚駅、大磯駅、国府津駅を設置)。
- 1888年(明治21年)- 大船駅が開業。
- 1889年(明治22年)- 旧日本海軍の軍港となった横須賀に至る鉄路として横須賀線が開通(鎌倉駅、逗子駅、横須賀駅を設置)。
- 1891年(明治24年)- ベルツ博士の推奨の元、葉山に有栖川宮別邸が竣工。
- 1893年(明治26年)- 葉山に北白川宮別邸が竣工。
- 1894年(明治27年)- 葉山御用邸が竣工。
- 1897年(明治30年)- 徳富蘆花が東京赤坂から逗子柳屋に転居。
- 1898年(明治31年)- 國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)が掲載される。
- 1900年(明治33年)- 『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版される(逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を西洋画風に紹介)。
- 1930年(昭和5年)- 湘南電気鉄道が営業開始、黄金町から浦賀駅までと、金沢八景駅から湘南逗子駅までの路線が開業。湘南電車と呼ばれる。
1882年の使節団に参加した要人達や海浜保養による療養を目的とした特権階級の富裕層が、この地域に広大な庭園つき別荘を建設したことを契機として、「湘南ブランド」が形成されていった。
[編集] 戦後の湘南ブランド
明治時代に富裕層の海浜別荘地というイメージが現実よりも誇大化されて作られた「湘南ブランド」であったが、関東大震災や太平洋戦争に続く経済成長にともなって、その位置付けは大きく変貌した。湘南電気鉄道は1941年(昭和16年)に京浜電鉄との合併によりその名称が消滅し、戦後の高度経済成長の元では緑豊かで広大な敷地に建てられた要人別荘は切り売りされて東京のベッドタウンとなり、海水浴場は市民の余暇の場として広く一般に開放された。現在、「湘南ブランド」はサーフィンやニューミュージックなどカジュアルで大衆向けの文化に変貌し、その指す地域も、高度経済成長の象徴である「自動車」のナンバープレートに代表されるように、広く神奈川県中南部地域で用いられる傾向にある。
[編集] 定義される地域
様々な事象において、湘南と呼称される地域が以下のように定義されている。ただし前述の通り厳密な定義は存在しない。
[編集] 行政
- 行政区域名「湘南地区」(神奈川県による規定)
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町
- 「湘南ナンバー」(「関東運輸局神奈川運輸支局湘南自動車検査登録事務所」の管轄区域)
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、小田原市、秦野市、伊勢原市、南足柄市、寒川町、大磯町、二宮町、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町、箱根町、真鶴町、湯河原町
- 気象区分「神奈川県東部・湘南」(横浜地方気象台)
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、大和市、海老名市、座間市、綾瀬市、寒川町、大磯町、二宮町
- 「湘南市」構想(2005年までの合併を目標としていたが、参加自治体の首長交代などにより白紙化され、事実上消滅)
- 平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、大磯町、二宮町
- 「湘南村」(1889年-1955年に存在した自治体名)
- 相模原市
[編集] 教育・スポーツ
- 県立高校旧学区「鎌倉湘南学区」(神奈川県立湘南高等学校も1980年まで属していた)
- 藤沢市、茅ヶ崎市、鎌倉市、寒川町
- なお、この学区は1981年の学区細分化によって「鎌倉藤沢学区」「茅ヶ崎学区」に分割され、2005年には県立高校学区自体が撤廃された。ただし、地区校長会や部活動の地区としては残っている
- 「湘南国際村」(神奈川県による国際研究拠点)所在地
- 横須賀市、葉山町
- 「湘南シーレックス」(プロ野球横浜ベイスターズの二軍チーム)本拠地
- 横須賀市(横須賀スタジアム)
- 「湘南ベルマーレ」(サッカーJリーグ)ホームタウン
- 平塚市、藤沢市、厚木市、茅ヶ崎市、小田原市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町
[編集] 交通・経済
- 旧「湘南遊歩道路」沿線
- 藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町
- 「湘南モノレール」沿線
- 鎌倉市、藤沢市
- 「湘南電気鉄道」(京浜急行電鉄の母体会社の一つ)沿線(起点の横浜市以外)
- 横須賀市、逗子市
- 「湘南京急バス」(京浜急行バスの子会社)(一部横浜市)
- 鎌倉市、逗子市(鎌倉営業所)、横須賀市(堀内営業所)
- 旧「湘南馬車鉄道」沿線
- 秦野市、中井町、二宮町
- 「湘南電車」(正式名ではないが、昭和初期には湘南電気鉄道の電車の愛称、戦後は東海道本線の中距離電車の愛称)
- 鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市、真鶴町、湯河原町
- なお、列車は静岡県まで直通する
- 「湘南ライナー」(湘南電車のホームライナー)
- 鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、二宮町、小田原市
- 「湘南新宿ライン」
- 鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、平塚市、大磯町、二宮町、小田原市、逗子市
- 「湘南急行」(小田急江ノ島線で運行されていた列車種別。小田原線沿線の自治体を除く)
- 大和市、藤沢市
- 「横浜湘南道路」(起点の横浜市以外)
- 藤沢市
- 「新湘南バイパス」
- 藤沢市、茅ヶ崎市
- 旧「湘南道路」
- 逗子市、鎌倉市、藤沢市
- 「湘南信用金庫」本店所在地
- 横須賀市
- ただし、この名称は旧横須賀信用金庫が鎌倉信用金庫を併合したことによる
[編集] 各地域の特色
- 藤沢・茅ヶ崎
- 江の島を中心とした海岸風景は湘南の代表的なイメージである。神奈川県立湘南高等学校、私立湘南学園(幼稚園-高等学校)は藤沢市に位置し、江ノ電沿線の大正時代に開発された住宅地である鵠沼や片瀬地域では比較的広い邸宅も見られる。
- しかし、北部は海からも遠く、湘南というイメージとはほど遠い工業・田園地帯である。地理的にも、町の雰囲気からみても、湘南と呼べるのは事実上東海道本線以南の沿岸地域だけといえるが、キャンパスの名称やマンション・アパート名など、大学や不動産業者の戦略的理由によりかなり広い範囲で「湘南」の名称が当てられている。
- 藤沢市北部に小田急江ノ島線・相鉄いずみ野線・横浜市営地下鉄の湘南台駅があり、その西に慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスと文教大学湘南キャンパスがある。やや南の六会にも日本大学湘南キャンパス(旧・藤沢キャンパス)があるが、いずれも海岸からかなり離れた田園・丘陵地帯に位置する。
- 藤沢市西部、茅ヶ崎市北部にまたがる区域には「湘南ライフタウン」と呼ばれるニュータウンが存在するが、海岸地域ではなく、北部の丘陵地域を開発したものである。
- 湘南のイメージが一般にも定着している加山雄三は横浜生まれだが茅ヶ崎育ちで、またサザンオールスターズの桑田佳祐は茅ヶ崎市の出身であり、現在は茅ヶ崎海水浴場もサザンビーチと呼ばれている。
- 太平洋戦争末期、もし日本が降伏せずに徹底抗戦した場合、相模川以東で相模湾中央部の長い海岸線を持つという理由から、茅ヶ崎海岸が連合国軍上陸作戦の有力候補地点として想定されていた(コロネット作戦)。戦後海岸地区は一時アメリカ軍を中心とした連合国軍に接収された(在日米海軍辻堂演習場)が、1959年6月25日に返還された。
- 1940年(昭和15年)、藤沢町と片瀬町が合併した際、「湘南市」とする案が挙げられたが「藤沢市」となった経緯がある。
- 1956年(昭和31年)、寒川町が藤沢市と茅ケ崎市に合併のうえ「湘南市」とする話を持ちかけるが実現に至らなかった。
- 鎌倉・逗子・葉山
- 1897年(明治30年)、徳富蘆花が國民新聞に『湘南歳余』(徳富蘆花)を掲載し、さらに1900年(明治33年)、『湘南雑筆』を含む『自然と人生』(徳富蘆花)が出版され、逗子の自然や、逗子から見た相模湾や富士山などの風景を紹介して「湘南」が全国的に知られることとなった。
- 明治時代までは湘東と呼ばれることもあり、湘南とは分けてとらえられていた[要出典]。しかし昭和、とりわけ第二次世界大戦後には映画、ドラマの舞台の湘南として脚光を浴び、湘南として位置づけられるようになった。
- 現在の逗子市域は昭和初期に京浜電気鉄道(現京浜急行電鉄)の子会社「湘南電気鉄道」の沿線となり、戦後横須賀市より分離独立して発足した歴史を持つ。また湘南のイメージが強い石原裕次郎は逗子市で青年期を過ごした。
- 従来より「湘南」ではなく「歴史の街」また「御用邸」といった高級感のあるイメージを有する「鎌倉」「逗子」「葉山」と呼ばれている。
- 平塚
- 湘南地区では初めて市となるなど早くから商工業都市として発展したため、リゾート地域としてのイメージは薄い[要出典]。相模川の対岸に位置する藤沢市、茅ヶ崎市と同様、湘南のイメージに合致するのは東海道線以南の高級住宅地である沿岸地域だけといってよい。
- 県の湘南地区県政総合センターや湘南ナンバーを発行する「関東運輸局神奈川運輸支局湘南自動車検査登録事務所」など湘南地域管轄の行政機関が多く所在し、行政的には湘南地区の中心である。政治的にも湘南市として合併し政令市をめざすという構想の中心的な役割を果たしたが、平塚と藤沢という2大都市の間で埋没してしまうのではという危機感[要出典]から茅ヶ崎市民の反発もあり、リーダーであった当時の平塚市長が2003年に落選したことにより、構想は挫折した。
- 海岸は急に深くなる地形的理由から海水浴に適さなかったが、湘南のイメージ戦略もあり、海岸工事により近年海水浴場を開設した。相模湾を一望できる湘南平は湘南海岸を俯瞰できる場所として、知られている。夜景も美しく、湘南地域のデートスポットとして有名である。 関東三大七夕祭りの一つ「湘南ひらつか七夕まつり」が7月7日を中心とした5日間に開催されている。サッカーJリーグの湘南ベルマーレは、本拠地が平塚競技場である。市西部に東海大学湘南キャンパス・神奈川大学湘南ひらつかキャンパス(旧・平塚キャンパス)が存在する。
- 大磯・二宮
- 江戸時代、崇雪が大磯の東海道筋にある標石に「著盡湘南清絶地」と景勝を讃えたことばを刻んだことから、湘南発祥の地とされている。現在は、城山公園内にその碑が保存されている。
- 二宮は海水浴場が狭いためか訪れる客は少ないが、温暖な気候から長寿の里として有名であり、交通の便も良く実業家の堤義明も在住する。現在は減ってしまったが、明治時代には大磯、二宮近辺には、湘南馬車鉄道(後の湘南軽便鉄道)に代表されるように、湘南の名を冠する企業が多数あった。また大磯は明治以降、伊藤博文などの元勲をはじめとする要人の高級別荘地として知られるようになり、吉田茂の別荘もあったことから、ある意味では湘南よりも大磯の名にステイタスがあった。
- 律令以前は豪族である師長(磯長)国造によって支配されていた地域であるが、中央集権体制の整備に伴い朝廷に仕えた渡来人が移り住んだと考えられ、高麗山や高来神社など、かつて周辺に大陸からの文化を広めた高句麗(現在の中国東北部 - 朝鮮半島北部)からの渡来人(主に朝鮮民族)に由来するといわれる地名が残る。
- 伊勢原
- 江戸時代、伊勢原市にある大山は湘山・湘岳と言われ、歴史的には湘南とつながりがある。神奈川県の行政区域でも「湘南地域」に含まれており、経済面でも車でのアクセスに優れている平塚市とのつながりは深いが、近年、小田急小田原線や国道246号で結ばれた厚木市など県央地域との関係が深くなりつつある。
- 横須賀・三浦
- 県の行政区域上は「横須賀三浦地域」であり「湘南地域」には含まれず、また、横須賀市中心部は相模湾ではなく東京湾に接しているため、湘南の基本的な定義(相模湾岸)からも外れている。経済的なつながりも横浜横須賀道路や京浜急行で結ばれている横浜との方が強くなっている。しかし、相模湾に面する横須賀市・三浦市西部については、長者ヶ崎を挟み葉山に接する秋谷海岸など、湘南の一部と認識される地域もあり、また湘南イメージを訴求する住宅地や避暑地、観光地も多い。なお、私立湘南学院高等学校は横須賀市の中心部にある。
- 「湘南国際村」や「湘南信用金庫」、「湘南鷹取(横須賀市内の地名)」など、地名や企業名などに湘南を採用する例も多く、古くは昭和初期の「湘南電気鉄道」がある。
- プロ野球・横浜ベイスターズの二軍チーム湘南シーレックスの本拠地は横須賀である。
- 秦野
- 県の行政区域では「湘南地域」に含まれるが、山に囲まれた秦野盆地にあり、湘南海岸とは地理的なつながりは寸断されている。経済的にも厚木市や小田原市や松田町、山北町、中井町など足柄上郡との関係が深い。1906年には湘南馬車鉄道も二宮-秦野間に開通しているが、一般に湘南と呼ばれることはない。
- 小田原・箱根・湯河原・真鶴
- 温泉宿泊地やキャンプ場、城下町など独自色が強く、湘南というイメージとは一線を画す[要出典]。保養地であり観光地という特色が強く、西湘とも呼ばれている(西湘バイパスは小田原と大磯を結ぶ道路である)。
- ただし、明治時代に「湘南煙草合名会社」が存在するなど、この地区にも湘南を冠したものが多く存在したことから、現在のイメージが定着する前は湘南の一部と考えられることもあった。
- 南足柄・足柄上郡
- 丹沢や足柄山のふもとで、単に湘南ナンバー適用エリアにすぎない。
- 城山(相模原市)
- 城山地区にはかつて湘南村という行政区が存在した。1889年から名乗っており名称としては古いが、この場合の「湘」とは相模湾のことではなく相模川が「湘江」と呼ばれていたことに由来する。ただし、この「湘江」は相模川全体ではなく河口付近の「馬入川」を指す。1906年創立の湘南小学校(湘南村立→城山町立→相模原市立)がある。
- 厚木
- 通常湘南には含まれないが、湘南ベルマーレのホームタウンの一つとなっている。
[編集] 国道134号
湘南を代表し海沿いを走る国道134号は様々な映画やドラマ・曲の舞台となっている この国道134号付近には、葉山御用邸・逗子マリーナ・鎌倉高校前駅・江ノ島・烏帽子岩等がある 葉山・逗子・鎌倉・藤沢・茅ヶ崎は全国的に湘南として定着しているスポットが数多くあり、ドライブコースとしても特に有名である
[編集] 湘南・鎌倉地域による合併案
鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市、寒川町、及びその周辺地域による合併が神奈川県の推進する、期待されている市町村合併の一つとして紹介されている
[編集] 音楽
「湘南サウンド」を参照
「神奈川県のご当地ソング一覧」を参照



