火の見櫓

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江戸時代建築の火の見櫓(三宅区火の見やぐら福井県若狭町
番屋を務めた民家の敷地内に設置された火の見櫓。横の小屋は現在は消防器具置場に使われている(川崎市宮前区平地区、2006年12月撮影)。

火の見櫓(ひのみやぐら、漢語表現で望楼―ぼうろう)は、火災の早期発見、消防団の招集、町内への警鐘の発信などに使われていた見張台である。

目次

[編集] 歴史

[編集] 日本

木造建築が中心の日本では、ひとたび火災が起きると大災害につながる危険性が高く、火災予防と早期鎮火は主要課題であった。特に治安の安定により人口増加が進み建築物が密集するようになった江戸時代以降の市街地では、町火消(後に消防団)など消防体制の整備が急がれ、これに伴い火の見櫓が各地に造られていった。

江戸時代の消防体制は、大きな町ならば単独で、小さな町ならば近隣で組合を設けて結成された町火消を中心に運営されていたが、この町ごとに番屋(番所、自身番とも)を設置し、番人(番太郎・番太と呼ばれていた)を常駐させて24時間態勢で警戒にあたるのが一般的であった。このとき番人が町全体を見渡せるよう、番屋に櫓を組んで一段高いところに見張台を置いたが、それが火の見櫓と呼ばれる。

火の見櫓には一般に、その上部に半鐘が設けられた。これにより町内の火災を発見した番人がすぐに警鐘を鳴らし、火消を招集するとともに町人に火災の発生を知らせる役割を担う即応態勢が取られた。また、町によってはこの半鐘を時報や各種情報発信に用いている場合もあり、町ごとに鐘の鳴らし方が決められ、その長さや間隔によって様々な情報発信に使われていた。

火の見櫓は江戸時代の江戸を皮切りに、火消体制とともに整備されてゆき、昭和初期には全国ほぼ全ての地域に整備されていった。

その後、大都市を中心に整備が進められた自治体の消防本部消防署などに各地の消防団が収斂され、また電話の普及と 119番による通報体制の整備に伴い番人を置く必要性が薄れたこと、半鐘に代わりサイレン防災行政無線などが整備されたことにより、その役目を終えた火の見櫓も多い。

一方、現在も地域の消防団が活躍している地域では、火の見櫓が使われている場合もある。ただしこの場合も番人が常駐することはなく、主に半鐘を鳴らしての消防団の招集や、火災予防運動期間中の防火広報など各種警報の発信(半鐘を用いる場合や防災行政無線のスピーカ、サイレンを上部に取り付けて行う場合がある)、その高さを利用して消防団で使用したホースの乾燥などに使われている。だがこのように活用されてきた地域でも櫓自体の老朽化や耐震安全性の問題から使用を停止したり、撤去されてウインチを用いたホース乾燥塔が替わりに設置されるケースも多い。又、1990年代の栃木県の小学校校庭にも、火の見櫓時報サイレンを設置した。

[編集] 海外

1930年頃の en:Ochoco National Forest に建てられた監視塔。これは当時の監視塔の代表例である

アメリカ合衆国では、1910年に起こった、ワシントン州アイダホ州モンタナ州にまたがる約 12,000km²森林を焼き尽くした火災(通称 "The Big Blowup")に教訓を得て、米国森林サービス(en:United States Forest Service)により整備されたものが始まりである。監視範囲や監視塔の形態こそ異なるものの、番人が常駐して出火を見張るという運用形態は日本のものと同様である。また、同様の監視塔が、欧州南米アフリカなど各地で造られ、使われるようになった。

その後、19301950年代にかけて各地に整備されてゆき、様々な目的に活躍していたが、1960年代になると無線技術の発展や航空機人工衛星等による監視体制の整備に従ってその役割を縮小していった。19801990年代にかけては森林保全の予算が削られたことなども受け、各地で廃止されていったが、その歴史的価値を鑑み監視塔の再建・維持のために活動している民間組織が登場し、今はそれらの活動により護られている監視塔も多い。

また、今でも人工衛星からでは小さな初期出火を正確に監視しきれないことや、携帯電話などが圏外になり即応態勢が取りにくい地域も少なくないことから、今もそれらの地域を中心に活用されている。

[編集] 画像

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月21日 (土) 14:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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