無冠の帝王
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無冠の帝王(むかんのていおう)とは、賞やタイトルを獲得できていない実力者を指す言葉。
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[編集] 概要
元々は新聞記者を指していた言葉である。これは、新聞記者は特に地位や権力を有しているわけではないが、決して圧力に屈することはなく、世論を武器に権力者に対抗するという意味から名付けられたものである。
現在では、相当の実力を持ちながらも、その実力に相応しい賞やタイトルを獲得できていない人物を指す言葉となっている。多くの分野で用いられるが、特にスポーツ選手の実力を賞賛するために使われる例が目立つ。一方で、肝心なところで勝負強さを発揮できず、賞を取り逃しているということから、やや侮蔑的な意味を込めて使われることもある。元来は新聞記者を賞賛する意味で使われたことを考えると、別の点からも意味が変わった言葉であるといえる。
[編集] 無冠の帝王と呼ばれている人物
[編集] ボクシング
- サム・ラングフォード
- ジョー・メデル
- 串田昇
- 村田英次郎
- トニー・アヤラ
- タノムサク・シスボーベー
- カーロス・リベラ
[編集] サッカー
- ブンデスリーガ等ドイツ国内以外の主要タイトルを取ったことがない。ワールドカップ、チャンピオンズリーグ、欧州選手権の最高成績はいずれも準優勝。
[編集] 野球
※野球においては首位打者、本塁打王、打点王の打者三冠タイトルを獲得していないが、それらのタイトルを獲得してもおかしくないほどの実績のある選手を指している(その他の打者タイトルやベストナイン、ゴールデングラブ賞、新人王等は除外されている)。以上は打者に関する定義であり、投手については基準が定かでない。
- 通算200勝以上で最多勝利、最優秀防御率、最高勝率を獲得したことがない唯一の投手。最多奪三振は2度記録しているが、当時はタイトルではなかった。また、1953年に新人で20勝しながら新人王に選ばれなかった唯一の投手でもある(1953年のパリーグ新人王は26勝の宅和本司)。ただし、最優秀投手(1回)、ベストナイン(1回)を獲得している。
- 選手生活14年目の1975年に本塁打王を獲得したが、日本プロ野球史で「無冠の帝王」と言えば、長らく土井の代名詞であった。他にも、ベストナイン(3回)を獲得している。
- 通算2095安打、331本塁打、1180打点の活躍にもかかわらず、打者三冠タイトルは一つも獲得出来なかった。また、新人王や最優秀選手の獲得経験も無く、同時期に王貞治が現役だったこともありベストナインやゴールデングラブ賞も受賞できなかった。最多安打は2度記録しているが、当時はタイトルではなかったため、結局現役時代に獲得したタイトルは一つも無い。唯一の表彰としては、オールスターMVPを獲得している。
- 通算2081安打、270本塁打、985打点の活躍にもかかわらず、打者三冠タイトルは一つも獲得出来なかった。ただし、ベストナイン(5回)、ゴールデングラブ賞(3回)を獲得している。
- 通算400本塁打以上で打者三冠タイトルの獲得経験がない唯一の選手。また、中心打者として10度(西武で8度、巨人で2度)のリーグ優勝、8度(西武で6度、巨人で2度)の日本シリーズ優勝に貢献しながらシーズン、日本シリーズとも最優秀選手に一度も選ばれなかった。現在、「無冠の帝王」の代名詞とされている。ただし、新人王、最高出塁率(2回)、最多勝利打点(1回)、ベストナイン(3回)、ゴールデングラブ賞(5回)の他、数々の表彰を受けている。
- ルーキー・オブ・ザ・イヤー、シルバースラッガー賞(2回)、ゴールドグラブ賞(3回)、ハンク・アーロン賞(1回)、ベーブ・ルース賞(1回)を獲得している。
- 通算3000本安打、500本塁打以上で打者三冠タイトルの獲得経験がない唯一の選手。ただし、シルバースラッガー賞(2回)、ゴールドグラブ賞(3回)、最優秀指名打者賞(1回)を獲得している。
[編集] モータースポーツ
- 1955年から1961年にかけ7年連続でランキング3位以内に入るも、チャンピオン獲得はとうとう実現しなかった。1958年に1ポイント差で2位に終わったことをはじめ、1956年には3ポイント差、1959年には5.5ポイント差、と、わずかな得点差でチャンピオンを逃すこともしばしばであった。
- 1970年代から長年トップチームで活躍したが、1度もドライバーズタイトルを獲得できなかった。特に1986年は、1度タイトルを決めた14日後、多くの問題が起こったイタリアのサンレモラリーが無効となり、ここで優勝していたアレンはその分のポイントを失い、ユハ・カンクネンに破れた。ちなみに、1978年にはFIAドライバーカップを獲得しているが、WRCにドライバーズチャンピオンシップが始まったのは1979年なので、正式なチャンピオンではない。
- 2008年、SG15回目の決勝進出となったオートレースグランプリを制し、当名称を返上した。
[編集] プロレス
[編集] K-1
[編集] 競艇
[編集] 競輪
- 国持一洋
- GI(特別競輪)優勝戦で2着6回、3着2回の実績がありながらとうとう優勝まで手に届かず。
[編集] スプリンター
[編集] テニス
- キャリア最高順位2位、1992年、1994年、1998年ウィンブルドン選手権準優勝、1992年バルセロナオリンピック銅メダルなど、強烈なサーブなどインパクトのあるプレースタイルとは裏腹に有名な大会では優勝経験が無かったため「無冠の帝王」と呼ばれた。その後2001年のウィンブルドン選手権でパトリック・ラフターとの激闘を制し、悲願のそして生涯唯一の4大大会優勝を成し遂げる。
[編集] 将棋
- 2002年に初タイトルである名人を獲得するまでは、何度も非タイトル戦の棋戦優勝経験はあったが、タイトル獲得がなかったため、「無冠の帝王」と呼ばれていた(名人獲得後は数々のタイトルを獲得し、かつての呼び名は払拭)。
[編集] エンターテインメント
- M-1グランプリの決勝戦に進出した芸人にはキャッチフレーズがつけられる。その中で、第1回大会の決勝戦に進出したDonDokoDonに付けられたキャッチフレーズは「無冠の帝王」であった。これは、DonDokoDonが当時、全国的な知名度があったにもかかわらず、各賞レースなどでは一度も賞を獲ったことが無いことから来ている(但し、爆笑オンエアバトルのチャンピオン大会において、初代チャンピオンとなっている)。
- 爆笑オンエアバトルでのオーバー500獲得回数1位を誇るも、オンバトのチャンピオン大会では成績が振るわないことが多く、M-1グランプリでも決勝進出経験がなく、大きな漫才レース賞を獲得したことがないため(但し、爆笑レッドカーペットの「レッドカーペット賞」の受賞経験はある)。
[編集] 文壇
- あまりに賞に無縁なことから自称していたが、1994年に『さぎ師たちの空』で路傍の石文学賞を受賞した。
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年8月13日 (木) 13:53 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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