無文土器時代

無文土器時代の最新ニュースをまとめて検索!

朝鮮の歴史
朝鮮の歴史
先史時代
檀君朝鮮
箕子朝鮮
衛氏朝鮮
辰国 古朝鮮
高句麗 扶余 沃沮 三韓 原三国
高句麗 伽耶 新羅 百済 三国
渤海 統一新羅 南北国
渤海 後高句麗 新羅 後百済 後三国
高麗
李氏朝鮮
大韓帝国
日本統治時代
連合軍軍政期
朝鮮民主主義人民共和国 大韓民国

無文土器時代(むもんどきじだい)とは朝鮮考古学的な時代区分である。紀元前1500年から300年頃に及ぶ。この時代の典型的な土器が、表面に模様を持たない様式であることから命名された。

大規模農耕が始まるとともに、社会に階級が生じた時代であり、原三国時代の原始国家形成につながる。時代的には日本弥生時代と重なり、これに影響を与えた可能性もある。特に弥生前期の北部九州には南朝鮮と共通の文化要素が現れる。

かつては朝鮮における青銅器時代と呼ばれたが、青銅器が出現したのは紀元前8世紀であり、普及したのは末期であるから正確ではない。

葬制としては巨大な支石墓が特徴的で、また石槨墓や甕棺墓が見出されている。

目次

[編集] 歴史

無文土器時代は櫛目文土器時代に続く時代である。

紀元前1800年から1500年頃、北方の遼河流域から北朝鮮にかけて支石墓、無文土器や大規模な住居が出現しており、これが無文土器文化の源流と考えられている。

[編集] 前期

前期は紀元前1500年から850年頃とされる。農耕のほか、漁労狩猟、採集が行われた。農耕にはまだ石器が用いられた。大型の長方形の竪穴住居からなる集落が営まれた。住居にはが複数ある場合もあり、多世帯が同居していたと思われる。 後半には集落が大規模化し、集落ごとに有力者が生まれたと見られる。紀元前900年頃を過ぎると小型の住居が普通になり、竃ではなく、中央に囲炉裏のような炉が掘られた。

支石墓、副葬品の朱塗り土器、石剣など無文土器時代を通して続く宗教・葬制上の特徴はこの時代に生まれた。

[編集] 中期

大坪遺跡出土の中期無文土器

中期は紀元前850年から550年頃とされる。大規模農耕が始まり、社会の階級と争いが生じたと考えられる。南朝鮮では大規模な水田も作られた。 数百軒からなる大規模な集落が出現した。また青銅器が出現し、その他工芸品の生産が盛んになり、また交易や支配者による分配も行われるようになった。

中期無文土器文化は、中部の遺跡名から松菊里[ソングンニ]文化(송국리 문화)とも呼ばれ、特に中南部で発展した。分布範囲の南は済州島に及び、さらに北部九州にも影響が及ぶ。

中期後半(紀元前700-550年頃)には青銅器が副葬品として現れた。青銅器は中国東北部に由来すると思われるが、この時期には南朝鮮でも製作が始まったらしい。

中期無文土器時代後半の墓には特に大規模なものがあり、特に南岸部には多数の支石墓が造られた。一部からは青銅器、翡翠、石剣、朱塗り土器などの副葬品が見出されている。

無文土器文化は稲作文化の始まりでもあるが、前期および中期には、稲作はあったものの主要な作物ではなかったとされる。現在までに渤海沿岸では当時の水田遺構が見出されていないことから、水田稲作は大陸沿いでなく黄海を越えてもたらされた可能性が大きい(日本の水田稲作も同様)。北部では大麦小麦雑穀などが栽培された。

[編集] 後期

後期は紀元前550年から300年頃とされる。環濠集落や高地性集落が増え、争いが激しくなったことを示している。特に南岸部に人口が集中している。集落数は前の時代より減っており、少数の集落への集住が進んだと考えられる。

弥生文化の開始には無文土器文化が影響した可能性もある。特に北部九州では無文土器、支石墓や甕棺墓など、南朝鮮の無文土器文化と直接結び付けられる要素が多数見つかっている。これは無文土器時代中期ないし後期に当たると考えられる。

無文土器時代の終末期には鉄器が出現し、住居にはオンドル用の炉(아궁이)が現れる。また中期に北方から伝わった琵琶形銅剣(遼寧式銅剣)の影響の下に細形銅剣が作られ始め、これは弥生時代の銅剣銅矛などの基となった。

[編集] 終末

普通、無文土器時代の終末は鉄器の出現に置かれるが、土器様式の連続性を重視して紀元前後までを含める説もある。しかし、紀元前300年頃から青銅器が広範囲に普及し、さらに鉄器もこの時期を境に南朝鮮に普及していく。このような技術・社会の変化を重視するならば、無文土器時代をこの時期までとするのが適切である。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月18日 (日) 08:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【無文土器時代】変更履歴

ご利用上の注意