熊谷組
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| 種類 | 株式会社 | ||
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| 市場情報 |
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| 略称 | 熊谷組 | ||
| 本社所在地 |
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| 電話番号 | 03-3260-2111 | ||
| 設立 | 1938年1月6日 | ||
| 業種 | 建設業 | ||
| 事業内容 | 建築・土木・不動産 | ||
| 代表者 | 代表取締役社長 大田弘 | ||
| 資本金 | 133億41百万円 | ||
| 売上高 | 単独2,267億円・連結2,841億円 (2009年3月期) |
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| 純資産 | 単独229億円・連結415億円 (2009年3月) |
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| 総資産 | 単独1,634億円・連結2,037億円 (2009年3月) |
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| 決算期 | 3月31日 | ||
| 主要株主 | 土地興業 6.46% | ||
| 主要子会社 | ガイアートT・K(91.63%) | ||
| 外部リンク | www.kumagaigumi.co.jp | ||
株式会社熊谷組(くまがいぐみ)は、日本の建設会社である。本店は福井、本社は東京にそれぞれ所在。
目次 |
[編集] 概要
北陸発祥の中堅ゼネコンである。世界最高層ビル「台北101」の施工を中心に行い、現在も完成後は日本最大級の規模となる徳山ダムを手がける。 特にトンネル工事には高い技術力と実績を有し、青函トンネル、黒部トンネル、関電トンネル、関越トンネルなどの最難関工事にも携わってきた。そのため業界では「トンネルの熊さん」と呼ばれている。
[編集] 沿革
- 1898年1月 - 創業。
- 1938年1月 - 株式会社になる。
- 1964年1月 - 東京営業所を東京本社に改称。
- 1970年4月 - 東京証券取引所2部上場。
- 1971年2月 - 東京証券取引所1部指定替え。
1938年1月、飛島組から独立し株式会社熊谷組が創設され、熊谷三太郎が社長、二男の熊谷太三郎(飛島組の元取締役)は副社長となった。
1940年に三太郎が会長、太三郎が二代目社長となり太三郎の息子熊谷太一郎(四代目社長)と二代目前田又兵衛(前田正治)(太三郎同様に飛島組の取締役だった初代前田又兵衛は前田建設工業の創業者)の娘が結婚している。
会長となった太三郎は福井を地盤に自由民主党の参議院議員となり、科学技術庁長官と原子力委員会の委員を務め、1兆円事業である高速増殖炉もんじゅの建設を推進。福井の若狭湾沿岸を「原発銀座」と呼ばれる地帯に一変させ、原子力発電所建設により一躍、北陸の中小ゼネコンから日本の準大手ゼネコンとなった。太三郎は北陸で群を抜く長者番付1位を保ってきた。
1980年代は海外工事に関しては日本の首位を独走する建設会社であり、完成工事高、経常利益も上位5社内に常時入っていたが、バブル崩壊後は海外資産・不動産投資・債務保証が裏目に出て経営危機に陥った。
主要銀行の住友銀行(当時)を始めとする各行の債権放棄などによって従業員数も最盛期の3分の1に削減し中堅建設会社としての再建を達成した。
大型土木工事、ビル・大型施設の建設が中心で、2005年4月に熊谷組と飛島建設が合併する予定だったが、双方の計画性の食い違いや合理性がないことから白紙に戻されることとなった。なお、舗装部門の子会社については両社の合弁企業(ガイアートT・K)に移行している。
[編集] その他
かつては野球部は江本孟紀、佐藤和弘、波留敏夫、遠藤政隆らプロ野球選手を輩出し、バスケットボール部もタイトルを獲得したことがある。
[編集] 関連項目
- 日刊県民福井(同社の支援で1977年に「日刊福井」として創刊された新聞。現在は中日新聞傘下)
- 熊球クラブ(元は熊谷組野球部)
- サンドーム福井
- 熊谷組ブルーインズ(バスケットボール部)
- 台北101
- 熊谷レッドソックス(1947年のプロ野球チーム)
- 黒部の太陽 関電トンネル工事を題材にした小説、映画、テレビドラマ
- 飯田線
- 三信鉄道 - 同線の建設がきっかけで自立に成功。



